2021年10月30日土曜日、三重県尾鷲市の矢ノ川峠昭和道、三重県熊野市の高尾谷隧道及び同じく熊野市の旧土場隧道を訪れました。
私は10月のうちに2度、一人で三重県尾鷲市の矢ノ川峠周辺へ昭和道と明治道の探索に出かけたわけですが、この様子を見てか、母が「山へ行きたい、山へ行きたい。」と何気に言ってくるわけです。
そこで、「矢ノ川峠の昭和道なら実質林道だからハイキング気分で歩けるし、山深い雰囲気もそこそこ味わえる。距離はちょっと遠いけど、ドライブも兼ねてちょうどいいだろう。」と思い、再度訪ねたわけです。
前回訪問時と同じく、国道42号千仭橋付近にある駐車帯へとやって来ました。
当日は昭和道の入口に出入りを監視するような形で軽四が停められており、作業服を着た人が座っていました。今日は林道へ入ったらまずいか尋ねたところ、「林道へ入るのは構わないが、歩いて2時間くらいの所で伐採作業をしているので注意してほしい。」とのことでした。おそらく作業車が来た時にゲートを開閉するために停まっていたのでしょう。
問題なしということで、母を連れて昭和道へと入っていきます。
これ以降は訪問2回目ということで、サラッと流していきます(笑)。
矢ノ川峠開鑿記念碑前。
矢ノ川1号トンネル。
令和に入って完成した砂防ダムがある沢。母は暑くなってきたのか、上着を脱いでいます。
母は私が廃道歩きへ出かける時、持ち物や服装がどうだこうだと細かいことをよく言ってきますが(笑)、いざ自分が久しぶりに山歩きに来た時には、ナップサック持ってきていないわ、靴が運動靴ではなく街履き用のものだわ、山歩き用ストック忘れただわと、歩き始めてからいろいろと悔やんでおりました。
結局は「仕方がない。」とビニール袋に手荷物を詰めて、そこらの枯れ枝を杖代わりにして歩いております。こちらがせめて「ビニール袋持つわ。」と言っても、そういうことは頑なに拒むんですよねぇ。
矢ノ川2号トンネル。
矢ノ川3号トンネル。
そこらの登山道に比べれば全然ゆるい坂道の昭和道ですが、普段キロメートル単位で歩くことがない母にとってはなかなかキツそうです。
矢ノ川4号トンネル。やはり人間が入ると大きさの対比ができ、わかりやすくて良いですね。
4号トンネルの峠側坑口。
母はここでギブアップ。スタートから1時間半ほどでした。そのままこの場所でしばらく休憩。ついでに補食でミニあんぱんを食べます。
母はこれで戻ることになって気が楽になったのか、下り坂をスタスタと歩いていってしまいます。時に小走りしたりとはしゃいでいるので、「転ぶと危ないから足元に気を付けてゆっくり歩いて!」と注意します。
矢ノ川2号トンネル前。
登っている最中、母へトンネルの数の話をしていた時に、「コンクリートのトンネルなんか通ったっけ?」とか言っているので、「ちゃんと通ったわ!」と返したのですが、それもあってかしげしげと見ています。
岩石に残っている発破の跡。
前回訪問後に、再度、矢ノ川峠昭和道関係の記事を検索していた時にこのような跡が各所に残っているとあったので、あらためて探してみました。
こちらは発破の際に岩石が燃焼したのか変色しています。
無事に車まで戻ってきました。
一旦、国道42号で矢ノ川トンネル・弓山トンネル・大又トンネルと越えて、熊野市にある道の駅「熊野きのくに」まで移動してから小休止。
まだお昼になったばかりだったので、本来この日に訪れようと思っていた廃トンネルへ向かうことにします。
向かうのは、同じ熊野市内の国道169号沿いにある高尾谷隧道と旧土場隧道です。地図はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
まずは旧国道169号にある高尾谷隧道。竣工は1932年(昭和7年)です。
坑門のデザインが、1924年(大正13年)に竣工した国道1号の鈴鹿隧道に類似していることで知られています。
扁額。
ピラスター(壁柱)。鉾のような柱頭が特徴です。
トンネル内部。目で見える限りでは特に問題なさそうですが、現在は通行止めとなっています。
次にやって来たのは、同じく旧国道169号にある土場隧道。このトンネル自体は、今回の目的物件ではありません。
扁額。
お目当ての旧土場隧道は、土場隧道の上に位置しています。
母には車で留守番してもらい、まずは山の斜面を登って、旧国道169号の旧道へと向かいます。
旧国道169号の上の斜面を通る旧道へと出てきました。一旦、ここからトンネルとは逆方向へと進み、廃道であるこの旧道の結末を確認しに行きます(すでに知ってはいますが。)。
旧道は思ったよりもしっかりと道跡を残しています。
路肩に石積み擁壁が見えます。
羊歯の密生地帯を抜け、倒木群をかいくぐります。
落石防護ネットの支柱がズラリと並んでいます。
支柱が段々と旧道を圧迫していきます。
ついに旧道は無くなってしまいました。旧国道に完全に削り取られています。
旧道の末端部分を確認したので、いよいよ旧土場隧道へと向かいます。
写真中央部、やや凹んだ場所に旧土場隧道があります。
旧土場トンネルです。竣工年は不明。既出の情報にあるとおり、トンネル直前が土砂で埋まっています。
土砂の山に登り、トンネル坑口を眺めます。
残っている石積みアーチなどを見る限り、坑門はもともと無かったように思われます。
トンネル内部を覗くと、石積みアーチが途切れた場所で崩落しています。
坑口を眺めています。土砂の山で相当埋まっていますが、一応立ったままで出入りは可能です。
石アーチ先の崩落箇所を越えてから振り返り、石アーチ方向を眺めています。天井部の崩落が進み、本来のトンネル内部よりもはるかに大きい空間ができています。
反対側坑口へと進みます。石積みアーチで巻き立てられているのは、トンネルへ進入した坑口付近だけで、その他の場所は素掘り状態のままです。
岩の性質によるものなのか、トンネル形状が四角形というか台形になっています。
反対側坑口へと出ました。
まさに岩山にトンネルを穿ったという感じです。
こちら側もトンネルの先に旧道が続いています。
曲線を描く石積み擁壁がいい雰囲気を醸しています。そして、廃道ながら往時を思わせる整った道跡。
前方で土砂が流れ込んでいますが、そのまま奥へと進んでいきます。
右へとカーブしながら下っていきます。
そして、こちらの旧道も途絶えてしまいました…。
旧道の下を通る別の林道に削り取られたようです。
下の林道へと下りて、旧道を見上げます。これでは、あらかじめわかっていないとここに旧道があるとは気づかないでしょう。
林道を歩き、旧国道へと戻っていきます。写真中央部で路肩の石垣の上端が微妙に「へ」の字に曲がっています。もともとはこのまま上り坂になっていて、林道の上を通る旧道へとつながっていたのではないかと想像しています。
旧国道へと出てきました。奥のトンネルが国道169号新土場トンネルです。
土場隧道を通り抜けます。
車へと戻ってきました。
短い区間ながらも、廃トンネル・廃道ともになかなか満足できる内容でした。
この時点で時刻は14時。どうせ翌日は日曜日。母をここまで連れてくることはめったにはないことなので、このままさらに熊野市街地方面へと移動します。
やって来たのは、花の窟神社。
花の窟神社には社殿が無く、この巨岩がそのままご神体となっているそうです。
神社から国道42号を横断し、熊野灘の海岸「七里御浜」へ。
ここは砂浜ではなく、玉砂利の浜。私がまだ赤ん坊の頃に家族で来ていて、その時に玉砂利の上に寝かせて撮った写真を見たことがあります。母も「こう寝かせて写真に撮ったんだよ。」と懐かしそうに話します。
今回のドライブはここまでで終了。熊野大泊ICから熊野尾鷲道路に乗って帰路につきます。そして尾鷲市を過ぎた頃から早くも眠気が…。
紀勢道紀北PAに立ち寄り、併設の道の駅「始神テラス」でまずは晩御飯。箸で持ち上げるのも大変な身の厚いアジフライの定食を食べました。
その後はしばし仮眠をいたしました。
