2022年1月2日日曜日、弟と一緒に静岡県伊豆市の天城山隧道と伊豆の国市の韮山反射炉へ行ってきました。
最初に訪れたのは天城山隧道。周辺の地図はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
国道414号から旧道が分岐する地点にある駐車場に車を停めて、ここから徒歩でトンネルへと向かいます。
普通はバイパスルートができると旧道は国道から格下げされるものですが、この道は国道指定されたままのようです。
1車線から1.5車線幅の旧道を歩いていきます。旧道は砂利道となっていますが、元々は舗装されていたものを、トンネルの文化財指定に伴う整備の際に剥がしたようです。
乱積みされた石垣。明治時代の旧道建設時のものでしょうか。
駐車場から約35分、天城山隧道に到着しました。旧道は車両通行止めになっているわけではないので、ここまで乗り入れてきた車が停まっています。
あらためて天城山隧道です。トンネルは現地の説明板によると1905年(明治38年)の開通(文化庁のデータベースでは1904年(明治37年)。)。川端康成の「伊豆の踊子」に出てくるトンネルとして知られています。
総石積みで建設されたトンネルでは国内最長であり(現地説明板は446m、文化庁データベースでは444.5m。)、貴重であるということで国の重要文化財に指定されています。
トンネル上部に掲げられている扁額。「天城山隧道」と陽刻されています。
こちらは現地に設置されている説明板。
冬期の路面凍結や氷柱の落下に注意するよう案内板が設置されています。訪問時も坑門から氷柱がぶら下がっていました。
坑口からすぐの側壁も凍り付いています。沢のすぐ横にトンネルがあるので、地中からの漏水が多いのでしょう。
それではトンネル内を歩いていきます。明治期の道路トンネルで延長が400m以上あるのは珍しいと思います。道路での往来のほとんどが徒歩や牛馬車である時代、重要な街道の峠だとしてもここまでの規模のトンネルを掘削するのは躊躇するでしょう。
ちなみに鉄道トンネルではほぼ同時期の1903年(明治36年)に開通した中央本線笹子トンネルが延長4,656mと当時日本一の延長を誇ります。
内部は照明が設置されていますが、雰囲気を損なわないようにするためか、光量の少ないものが点々と設置されているだけです。
なので、暗闇が苦手な方は懐中電灯を持参した方がよいかもしれません。
河津町側の坑門です。伊豆市側の坑門とデザインには特に違いは感じられません。
愛嬌のある踊り子の絵が描かれた案内板。
トンネルの上に登ってみました。上に登れそうなトンネルには何気によく登っています。そこに発見があったりもしますので(笑)。
河津町側の扁額。こちらは陰刻となっています。
それでは車へと戻っていきます。
車に戻ってきたのは13時半過ぎ。伊豆半島とは言え、高い峠の山中でもっと冷え込むかと思いましたが、穏やかな天候で助かりました。
一旦、修善寺まで下りて、コンビニで腹ごしらえ。このまま帰っても良かったのですが、せっかくなので、私の希望で韮山反射炉へ行くことにします。
地図はこちら。
韮山は鎌倉幕府執権の北条氏の遺構などもありますが、今回はこちらにしました。
韮山反射炉です。江戸幕府の命により建設され、1857年(安永4年)に完成。鋳鉄製及び青銅製の大砲の製造工場として活用されました。
明治時代に入り使われなくなったようですが、1908年(明治41年)に陸軍省により補修され、1922年(大正11年)に史跡指定されました。早い時期に保存対策が成されたため、良好な状態を保っているそうです。
反射炉の説明板です。「反射炉」というのは、ドーム型の炉内の天井で熱や炎を反射させて一点集中させることにより高温を発生させる仕組みの炉のことだそうです。
今回の正月休みのドライブは2か所回っただけでしたが、なかなか良いドライブでした。

Posted at 2022/02/13 13:30:36 | |
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