2022年1月9日日曜日、愛知県新城市作手菅沼から豊田市羽布町の山中に残る古道「根道・信玄道」を歩いてきました。
ちなみに、表題の「根道」・「信玄道」は歩いてきた古道に付いていた固有の名称ではなく、「根道」は尾根を通る道を表す一般的な言葉、「信玄道」は戦国時代に甲斐国の武田軍が三河国を侵攻した際に、現在の豊田市下山地区の城砦攻略時に軍を進攻させるルートとして利用されたという伝承によるものです。
前回は何かの像のような枯れ木の前まで来ました。
これを見た時は、「木彫りの仏像でも立ってるのか?」と思いましたが、近くまで来て眺めてみたらなんということもない枯れ木。アングルの妙というやつですかね。
「わざわざ土を盛らんでもいいのに。」というようななだらかな場所ですが、なぜか盛土道にしてあります。通行人が迷子にならないようにするためとか?どうですかね。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
盛土道を通過するとちょっとした丘越えになります。道跡に枯れ木が被さり、積雪もあるので、積雪を踏み抜いたり枯れ木に足を引っ掛けて転倒しないよう、少し慎重に歩いていきます。
小さな丘を越えると道跡は下り基調になっていきます。
尾根の上から左斜面へと道跡が移っていきます。そのまま尾根を真っ直ぐ進んでいくと傾斜がきつくなるのでしょう。
足元が笹で覆われた斜面をどんどん下っていきます。
ここでアクシデント発生(というほどでもないですが。)。右膝あたりにガツンと何か引っ掛けた感触があり見てみたところ、なんとジーパンがザックリ切れて大穴が開いていました。
安物とは言え、買ってまだ1~2週間しか経っていないジーパンが…。幸い、膝にけがは無し。何が当たったのか確認したところ、笹薮の中に枝が硬く鋭利になった枯れ木が隠れていました。過去にはゴム長靴が同じように裂けたことがあり、枯れ木・枯れ枝侮りがたしということを再認識しました。
気分を落ち着けて歩行再開です。まだまだ低い笹薮が続いていきます。
久しぶりに道跡が屈曲している場所が現れました。
この場所に石積みがありました。雰囲気からして石仏を安置していた場所だと思われますが、何も祀られていません。
場所はこちら。
また一直線にひたすら下っていきます。
ここでまた尾根から外れていきます。
行く先には倒木が折り重なっています。面倒くさいですね…。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
斜面にはっきりと残るU字型の道跡。さらに急坂になってきました。
そして唐突に終わりました…。道路に削られてしまったようです。
さすがにこの高さ・傾斜では道路へと下りることができないので、下りやすい場所を探します。
右側へと進んだところ道跡が復活。無事に道路へと下りることができました。
場所はこちら。
少しだけ道路を歩き、今度は左側へと逸れていきます。
笹薮に覆われた道跡を下っていきます。
鳥居が現れました。
今回の目的地、根池に到着です。
水面は凍っているようです。
湖畔に立てられている根池にまつわる伝説の説明板。
池の堤防の上を進んでいきます。
再び道路に合流しました。この先、豊田市羽布町の集落に向かい道跡は続いているはずですが、今回はここで引き返すことにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
新城市作手菅沼の分岐点から豊田市羽布町の根池までのルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さらに、林道との分岐点から根池までのルート図。街道の高低差をできる限り抑えるため、巧みに尾根を縦走していることがわかります。「根道」と呼ばれる所以です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さて、帰りはどうやって車まで帰ろうかと考えましたが、やはり徒歩ならば元来た道を帰っていくのが距離・時間とも有利のなので、また「根道・信玄道」を歩いて戻りました。
逆方向は根池から尾根に出るまで延々と上り坂になるので、気温が低い中、汗をぬぐいつつの歩行となりました(笑)。
根池の引き返し地点から約1時間10分。道標のある分岐点へと戻ってきました。
そこから約5分、ようやく車に到着です。時刻は15時42分。こんな時間なのに県外ナンバーの車が数台連なって横を通り抜けていきました。わざわざ通るような道でもないんですけどね。

Posted at 2022/03/13 16:40:20 | |
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