2022年1月23日日曜日、愛知県北設楽郡東栄町月と設楽町神田を結んでいた里道跡を歩いてきました。この道跡、2020年5月24日に初めて探索し、2020年11月17日にも訪れています(あともう1回訪れているような気がしますが(笑)。)。
実のところ、この日の本題は、この里道跡を通って旧海老街道の花丸峠へと赴き、そこから設楽町神田側へと続く旧海老街道の峠道を探索すること。
なので、今回の内容は言ってみればおまけの話です。この道跡自体はすでに2020年5月24日探索時にブログを書いていますので、今回は添付写真への書き込み版といった感じです。
さて、時刻は12時50分。里道跡へと進入する最寄りの場所へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車の向きとは真反対の方向を眺めています。国道473号沿いの崖の上を里道跡が通っています。そこまで行くために、今から沢を登っていきます。
最初に遭遇するのは沢の左岸側の斜面にある巨大な石積みの擁壁。上部には通水のための暗渠が設けられています。この擁壁の上を里道跡が通っています。
そのまま沢を登り詰めていくと、里道跡が渡っていた橋の跡に突き当たります。
右岸側の石積み橋台。沢の中へと突出して築かれていますが、土石流などに遭遇することがなかったのか、ほぼ完全な形できれいに台形を保っています。
花丸峠とは逆方向になりますが、せっかくなので沢の左岸側に残る里道跡へと踏み込んでいきます。
国道から沢を登ってくる途中で見上げた巨大な石積み擁壁の上です。設置場所はちょうど枝沢を塞ぐ形となっており、まるで砂防ダムのようになっています。そのために沢の流れを通す暗渠が設けられたのでしょう。
先ほど国道から見上げていた、崖上の里道跡の地点まで来ました。ここで里道跡は下を通る国道のために大きく削り取られているので、この先へと進むのは困難です(腐った手すりロープが岩壁に残っていますが…。)。
それでは橋跡へと戻ります。
橋跡を通過し、花丸峠を目指して沢の右岸側へと踏み込んでいきます。
最初の難所。と言っても70~80cmくらいは道幅が残っているので、落ち着いて歩いていけば何の問題もありません。
ここは、おそらく谷側に石積みの擁壁が築かれていたものが崩落してしまって路盤が流出し、岩盤部分だけが残ったのでしょう。
道跡が狭くなってしまった場所も、かつてはこのような石積みの擁壁があったのだと思われます。
この里道跡ではあまりない土の斜面の部分を通過していきます。
ふたたび岩盤が露出する険しい場所を進んでいきます。
きれいな弧を描く石積みの擁壁。
岩が剥き出しになった急斜面を通過していくことがよくわかります。
道跡を横断するようにワイヤーが掛かっています。これは、真下を通る国道の落石防護網を吊り下げるためのワイヤーです。
現道に並行するように残る廃道となった旧道は、このような道路用構築物の足場にはもってこいなので、このような光景はよく目にします。
山の上部から岩石群が流れ込んでいる沢を渡っていきます。
2か所目の難所に来ました。ここも路盤が無くなっていますが、先ほどの場所よりもさらに歩ける場所が狭まっています。
岩壁にあるわずかな平場へと登り、そこを伝って反対側へと歩いていきます。段差を登るのが厄介ですが、幅は50cmくらいあるので慎重に行けばOKです。
岩場を横断する途中で足元を見下ろします。
写真に写っている細い木を越えれば一安心です。
難所を振り返っての眺め。矢印のように越えてきました。
ここの里道跡の路盤が残っていない箇所の中で、この場所については、かつてどのように道を通していたのかいまいち想像できません。写真中央部に石垣がありますが、路肩を保持するための擁壁であれば道と並行に築かれているはずです。なので桟橋を架けていたのではないかと考えています。
現場をくまなく確認できればヒントが見つかるかもしれませんが、とてもそのようなことができる場所ではないですからねぇ…。
薮と瓦礫に覆われた場所を通過。真夏に来たことはありませんが(そもそも暑い時期に来るとこの道跡はたくさんのヤマビルに喰いつかれるので(笑)。)、これだけ枝が絡まった薮だと通過するのが難儀そうです。
道跡の上の斜面に石積みがあります。
丸形の形状からして炭焼き窯の土台の跡でしょう。
岩盤を切り開いて造られた場所を歩いていきます。この辺りも路肩の擁壁が崩れてしまったら通過できなくなってしまうでしょう。
岩盤を開削した切り通しを通り抜けます。
私がこの里道跡で最も気に入っている場所に到着です。絶壁を通る道跡にも、路肩の石積み擁壁にも乱れはありません。
2020年5月24日探索時の写真。この里道跡は、私が歩いた愛知県内の廃道・古道の中では一番ですよ。
この場所でしばらく留まって、気が済むまで写真を撮影(ほんの2~3分ほどですが(笑))。
里道跡を先へと進んでいきます。
と言いつつ、振り返っての眺め。
岩盤の突端を回り込んでいきます。
ここで3か所目の難所。路盤が流出して、岩盤剥き出しの沢の上に落ち葉が被さっています。隠れていますが、実際には足場がけっこうしっかりしているので、それさえわかれば難なく通過できます。
難所の途中から沢の下方を眺めています。足場がわかれば、写真を撮るくらいの余裕は持てるわけです。
難所を振り返っての眺め。初めてこの場所に来た時はこの写真と同じように眺めていました。写真だとわかりにくいですが、「引き返すしかないなぁ。」とあきらめかけていました。
まだまだ絶壁沿いの険しい道が続きます。
石渠。沢でもない場所に設けられていて、理由がわかりません。山側からの湧水があったのでしょうか。
中を覗いてみると、山側は埋もれてしまっています。
ここまでは国道473号が通る御殿川沿いの渓谷の中腹を進んできましたが、渓谷から離れて枝沢の谷へと進んでいきます。
沢沿いの道は湿気が高いためか、岩も木々も苔で覆われてしまっています。
無名の峠が見えてきました。
この切り通しの先からは県道424号になります。徒歩道のままですが(笑)。
切り通しを抜けると道は右へと曲がっていきます。
県道にはとても見えない県道を歩いていきます。
切り通しから歩くこと3分ほど。自動車道としての県道の終点に着きました。ここの路肩に標石が立てられています。
標石には、「34年施行 道路改良工事 起点」と彫られています。昭和34年(1959年)にここを起点にして道路改良工事(自動車道への改良工事)が行われたわけです。
その後60年余、県道424号の花丸峠を越える道路改良工事は中断したままです。
さて、無名の峠の切り通しまで戻ってきました。ここからは、切り通しの左側の斜面を一気に登り、本題のスタート地点となる花丸峠を目指します(県道ルートでもある。)。
こちらは今回歩いた里道跡のルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。