2022年2月20日日曜日、愛知県北設楽郡設楽町清崎地区に残る旧伊那街道「アンザの坂」を歩いてきました。「アンザ」は漢字では「安沢」の字を当てるようで、現在も「アンザの坂」が通る場所の地名(設楽町清崎字安沢)になっています。
さて、やって来たのは設楽町の中心地である田口の街の南の外れ(住所上は設楽町田口ではなく設楽町清崎。)。ここから「アンザの坂」へと向かっていきます。
街の外れをクネクネと歩き、安沢峠まで来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
低い峠をやや下った場所に石仏が一体立っています。
石仏の背後には祠。祠の周りは窪地になっており、元は池であったようです。
安沢峠から100mほど進むと「アンザの坂」の入口があります。ここまでは車が通れる舗装路となっていましたが、この先は昔ながらの街道跡となります。
場所はこちら。
入口の案内板(経年劣化でほとんど判読不能。)によると、入口付近の石畳は平成14年(2002年)に補修したとあります。
さらに100mほど下っていくと、路肩に設楽町が設置した史跡指定の案内標識が立っています。この辺りは補修されていない往時のままの石畳だそうです。
案内標識をやや下った場所に石橋があります。まあ、石板を並べただけのものですが。
さらに石橋の下側にも石畳が残っています。
路肩には土留めの石垣も残っています。
この先も街道跡は良好に残っており、辿っていくことに支障はありません。
つづら折りの区間を歩いていきます。
現在の場所はこちら。
つづら折りを過ぎても街道跡はどんどん下っていきます。
路肩に転がっていた碍子。表面に「1936」とあるので1936年(昭和11年)製のものでしょう。マークから日本碍子製とわかります。
電柱か電信柱の痕跡。
路盤が崩れた場所に細い丸太が並べられていますが、あまりに苔むしているので、念のために山側へと迂回して通過します。
ふたたび石橋が現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
石橋の先には石畳が残っていますが、石橋の真下や上流側に枝が絡まって詰まっているために沢の流れが街道跡へと流れ込んでしまい、一部損壊してしまっています。
石畳の区間が終わり、また土の上を歩いていきます。
この付近は短い距離ですが街道跡が消失していたり、荒れ気味になっています。
路肩に立つ石。自然石にしか見えませんが、横に設置されている案内板(すでに全く読めない。)によると馬頭観音だそうです。
坂を下ると、国道257号が並走してきます。
この辺りからは川沿いを進んでいきます。
何本もの倒木が路上に重なり合っています。初めに目に入った時は「川へ降りないと通過できないかも…。」と思いましたが、通り抜けられるだけのスペースが開いていたので、倒木をくぐるようにして通過できました。
路肩を削られた街道跡をどんどん進んでいきます。
川との境があいまいになってきました。
案の定、砂防ダムの登場です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
下流側に街道跡が残っているのか堰堤の上から覗いてみると、しっかりと残っていました。
右岸側から砂防ダムの堰堤を乗り越えて下流側へと降ります。
砂防ダムから程ない場所に立つ馬頭観音碑。側面に刻まれていた日付けは「明治十六年二月十三日」。西暦では1883年になります。
国道257号が見えてからは川沿いを進んできましたが、一旦川を離れて進んでいきます。
その川と交差。渡渉して左岸側へと進みます。
正面に豊川が見えてきました。
つい真っ直ぐ進みそうになりますが、街道跡は左斜め上へと進みます。
路盤に切り欠きがあります。枯れ沢を渡る場所なので、元は橋が架かっていたところ、橋が不要になり半分だけ埋め立てたのかもしれません。
同じ場所を水路はU字溝の橋で越えます。
小さな切り通しを通り抜けていきます。
植林地を抜けて草むらへと突っ込んでいきます。
草むらが終わった所で一旦左へと曲がり、さらに矢印のように進んでいきます。
実はこの時点で旧伊那街道の道跡を見失っていました。正面に見えていた国道257号の高い擁壁に潰されたのか、横を流れる豊川の河原を通っていたのか…。もう少しだけ先へと進んでいきます。
水路を支える石垣。水路自体は完全に埋もれてしまっています。
豊川のほとりへと出てきました。河原に街道が通っていたような痕跡は見い出せません…。川沿いの斜面も崖のような急斜面でこちらも街道が通っていたようには見えません…。
引き返して、小さな切り通しまで戻ってきました。ここから山側へと登ってみます。
堀割り道がありました。旧伊那街道はこの辺りから豊川沿いを離れて、国道257号が通る高所まで登っていたようです。
しかし、すぐに前方を大量の倒木が埋め尽くし、進むことができなくなってしまいました。仕方ありませんが街道跡のルート探索はこれで打ち止めです。
引き返した地点の周辺の地形図です。青線のようにぐるぐると周辺を歩き回り、最後は赤線の末端まで進んで引き返すことになりました。
帰りの道すがら、落としたことに全然気づいていなかった傘を見つけ回収。ナップザックに引っ掛けて歩いていたので、見つけるまで傘の存在をすっかり忘れていました(笑)。
帰り道は降られる雪にまみれながらでしたが、幸い積もるほどにはひどく降らず、無事に車へと戻ってきました。
旧伊那街道「アンザの坂」のルート図です。現在の国道よりはショートカットとなるルートで田口の街へと登っています。
ここ「アンザの坂」の存在は以前から知っていましたが、「まあ気が向いたらそのうち。」という程度で特に意識していませんでした。ここ最近、旧伊那街道の峠道である与良木峠や知生坂を歩く機会があったので、「いい加減歩いておくか。」という気分になり歩いてみた次第です。
ここ2年くらい廃道探索の方向性が旧街道探索(特に峠道探索。)に偏ってきている中、各地に街道跡が残っている旧伊那街道は自宅からの距離も比較的近くて良い探索ルートでした。
ただ、今回「アンザの坂」を歩いたことで、旧伊那街道で街道跡が残る峠道はひとまず終わりとなりそうです。また県内で探索し甲斐のある峠道を探さないといけませんね。