2022年3月19日土曜日、長野県木曽郡大桑村野尻に残る野尻森林鉄道の木曽川橋梁を見に行ってきました。木曽川橋梁は大正10年(1921年)の架橋(大正12年(1923年)という記事もある。)。同森林鉄道が廃止された昭和40年(1965年)までの44年間供用されました。
場所はこちらになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
中央本線野尻駅の駅前広場へとやって来ました。ここに車を駐車して、徒歩で現地へと向かいます。
駅前に立つ長野県道261号「野尻停車場線」の標識。
野尻駅の北側にある石積みのガードをくぐっていきます。中央本線の木曽谷区間には、多くの石積みアーチが存在しています。
坂を下り、木曽川へと向かっていきます。
小さな鉄橋が見えてきました。野尻森林鉄道の廃線跡です。
橋の下をくぐり、さらに先へと進みます。
木曽川のほとりへと出てきました。対岸につり橋の主塔跡が残っています。
さらに上流へと向かい歩いていくと、また橋の跡がありました。
対岸には橋台跡も見えています。
現在供用中の道路橋をくぐって進むと目的地が見えてきました。
野尻森林鉄道 木曽川橋梁です。森林鉄道廃止後も撤去されることなく現存しています。
土木学会の「歴史的鋼橋調査台帳」によると、橋長は134.6m、橋梁の形式は「単線上路ワーレントラス」、「単線下路曲弦プラットトラス」、「単線上路プレートガーダー」の3種類が用いられています。
「単線上路ワーレントラス」部分の写真。
橋梁の支承部の写真。と言っても知識があるわけではありませんが、「平面支承」というタイプと思われます。
上流側からの眺め。
橋台の上へと登って橋を眺めます。レールは撤去されていますが、枕木が残置されたままになっています。長年風雨にさらされているため、すっかりやせ細っています。
それでは対岸側へと移動します。
木曽川橋梁の下流側に架かる道路橋を渡っていきます。橋の名前は「野尻向橋」とあります。
野尻向橋からの下流の眺め。手前が先代橋、奥が先々代橋の跡ということになりますね。
木曽川橋梁の対岸側へとやって来ました。こちら側は鬱蒼とした竹林で眺めがよくありません。
「単線上路プレートガーダー」の上に残っているボロボロの枕木。
右岸側からの眺めです。
「単線上路プレートガーダー」の側面に取り付けられている銘板。「大正十年四月 日本橋梁株式会社 製作 大阪」とあります。
ついでに野尻向橋の先代橋を見てみることにします。
間近で見ると変わった構造をしています。橋の下のホームのような構造物は何のためのものなのでしょうか。
川べりの構造物には階段が設けられています。元は堰堤か取水口で、橋も併設されていたというところでしょうか。
橋の上からの眺め。
最後に中央本線野尻駅に隣接する木曽森林管理署南木曽支署野尻土場の眺め。
かつては周辺の山々から大量に伐採された材木が森林鉄道でこの土場へと搬入され、野尻駅で中央本線の貨物列車へと積み替えられ発送されていたのでしょうね。
Posted at 2022/05/10 22:42:28 | |
トラックバック(0) |
ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記