三重県津市美杉町奥津と上多気の間にある峠、旧伊勢本街道「飼坂峠」。その南方の山中にある廃道を2022年5月28日土曜日に探索してきました。
初めに前書きを少々。
そもそもこの廃道を知ったきっかけは、2022年5月22日にJR名松線「伊勢奥津駅」と旧伊勢本街道奥津宿、上多気の北畠氏館跡庭園を訪れたことです。奥津と上多気の間には、前述のとおり旧伊勢本街道の飼坂峠があり、現在、この地を通過する国道368・369号は「飼坂トンネル」で峠を越えています。
トンネルの銘板によると竣工は1989年(平成元年)8月。ただし、トンネルを含む峠越え区間のバイパスが開通したのは1994年(平成6年)のことだそうです。それまでは、飼坂峠を越える自動車道は存在しておらず通行不能区間となっていました。
要するに飼坂トンネルには自動車が通行できる「旧道」は存在しないわけです。だとしても、「伊勢本街道というこの地域のメインルートの峠越えで、明治時代から現代に至るまで何の手立てもしていないものかな?明治時代に「馬車道」を峠へ通そうと試みたりしていないのかな?」と少々気になり、帰宅してからネットで検索してみたわけです。
飼坂峠の「車道改修」に関する直接的な記事はヒットしませんでしたが、本廃道を探索したという記事が2件ヒットしました。
記述が詳細なのは「日本の廃道」。有料でダウンロードできる廃道系の電子書籍といったところでしょうか。たまにお世話になっています(笑)。「日本の廃道 第66号」内に今回探索した廃道を踏査した記事が掲載されています。
筆者は、「地元の『一志郡郷土教育資料』に明治35~36年頃に伊勢本街道の飼坂峠から櫃坂峠までが改修されたとあるが、旧美杉村誌には飼坂峠の車道改修の記録が載っていないし、本廃道についての記載もない。よって本廃道が『資料』記載の改修道に当たるのか断定はできないが、峠越えをする『車道らしい』道という点で可能性はあるかもしれない。」という結論のようです(私の要約ですが。)。
もう一件も本廃道を踏査した内容ですが、こちらは写真を交えた簡単な訪問記録といった感じ。おそらく「日本の廃道」内の記事を基に歩いたと思われ、訪問時期は「日本の廃道」よりも新しいです。
まあ本廃道の建設背景などがはっきりしないのは残念ですが、歩きがいがあるのは間違いなさそうなので、さっそく探索してみることにしたわけです。
さて、5月28日当日。津市美杉村奥津の林道へとやって来ました。ここから林道を歩き、廃道へと取り付くことにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
私の車でも問題なく走行できるような整備された林道ですが、この先路面状況が酷くなるとも限らず、早めに下の方から徒歩で進むことにしました。
林道沿いにあるダム。名称は不明。
廃道にまつわる最初のポイント、不動滝に到着です。
場所はこちら。
不動滝へと向かうように廃道が残っています。
路肩を支える立派な石積み擁壁。
あらためて不動滝です。「日本の廃道」の記事では、この不動滝についてある見解を示しています。
滝の直前に一部だけ残る廃道。
その廃道の先端から滝口を眺めます。同記事の見解では、廃道はもともと不動滝がある場所を通っていたというものです。
うまく描けませんが、イメージはこんな感じです。
現在の不動滝の部分には元々段差は無くて廃道が通っていた。不動滝の左側にはV字にえぐれた溝があるが、これが本来の不動滝であった。というものです。
滝の上にも行ってみましたが(写真撮り忘れ…。)、岩を削ってできる限り平らに整形されており、なるほどと納得できる説でした。
こちらは不動滝の真横を通過する現在の林道です。山側の岩盤を高い所まで削り込んであり、昔の技術では道を通すのは困難そうです。説をより補強する状況証拠と言えます。
しばらく歩いていくと、対岸に道のような平場が現れました。廃道は川の左側の山へと登っていくルートなので、この道のようなものが関連あるかはわかりませんが、早めに対岸へと移動することにします。
程なく道のような平場は消えてしまいましたが、そのまま川岸や川の中を歩いて進みます。
そんなに急流には感じませんが、次々と床固工が現れます。
4つ目の床固工を通過したところで山の斜面に折り返していく道跡が現れました。これが今回の目的である廃道でしょう。
廃道が川沿いに降りてくる場所を確かめるため、そのまま川岸を進みます。
廃道が山へと取り付く折り返し地点を見つけました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
先ほど下から見上げた折り返しを通り過ぎ、さらに奥へと進んでいきます。
斜面が荒れてきて、廃道が判然としなくなってきました。ひとまず木々をかき分けて直進していきます。
廃道が復活しました。
次は倒木群です。廃道は直線に進んでいるようなので、倒木を跨ぎながら奥へと進んでいきます。
やや深い沢です。大雨などで抉れてしまったのでしょう。鋭く抉れているわけではないので、問題なく対岸へと進めます。
左側の岸壁は人為的に削られたものですね。
浅い枯れ沢です。沢の先に続く廃道の路肩には石積みの擁壁があります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
何気に沢を見上げると石組みの構造物が見えます。
石造暗渠です。廃道での石造物は気分を盛り上げてくれますが、石造暗渠は石仏と同じくらい盛り上がりますね(笑)。
穴があれば中を覗くもの。真っ暗なので、奥は土砂が詰まっているのかもしれません。
浅い沢の対岸にある石積み擁壁。
直線を進んでいくと突き当りになってしまいました。左側の炭焼き窯跡へ登ると折り返していく廃道がありますが、カーブ一つで高低差があり過ぎます。本来は真っ直ぐ道筋が続いていたのでは?
炭焼き窯跡から上流側を眺めると、こちらに向かってくる道跡が残っています。下段の道は川に削られてしまったのかもしれません。
杉林の中を廃道が縫っていきます。
また道跡が斜面に飲み込まれてしまいました。今まで歩いてきた高さと変わらないように気を付けて進んでいきます。
深い沢が現れました。ここも大雨で抉れたような形をしていますが、まだこの程度の深みなら渡れます。ここにもかつては築堤と石造暗渠があったのでしょう。石積み擁壁の一部が残っています。
長い年月を管理されることもなく風雨にさらされているので、斜面では廃道が残っていても狭い幅しかありません。
まだ越えていけます。
ついに躊躇するような崩落地に遭遇してしまいました…。
正直、1か月半前のことなので、ここをどのルートで渡ったのか思い出せません。でも思い出せないということは、案外すんなりと進めたのでしょう(笑)。
それでもこの幅の崩落地を渡るのに3分はかかっているようです。
この後、廃道の峠にたどり着くまでに、私レベルでは進退窮まるような崩落地が何か所も現れてきます…。
さらに上部を通過していく廃道を見上げています。
道幅が広くなってきました。
路肩は石垣で固められています。
ヘアピンカーブが現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
木々に遮られ、あまり眺めはよくありません。
ヘアピンカーブの部分も石積み擁壁が施されています。
崩落地を渡った時に見上げた場所へと進んでいきます。
その(2)へ続きます。