三重県津市美杉町奥津と上多気の間にある峠、旧伊勢本街道「飼坂峠」。その南方の山中にある廃道を2022年5月28日土曜日に探索してきました。
今さらですが、廃道周辺の戦前の地形図を載せておきます。ご覧のとおり、飼坂峠の南方を越える本廃道は、戦前の地形図には記載されていません。また、飼坂峠を越える旧伊勢本街道は「道幅1m以上の町村道」として記載されており、馬車道改修されたようには思えません。

5万分の1地形図「二本木」:明治25年(1892年)測図の縮図・昭和12年(1937年)第二回修正測図及び修正測図の縮図
参考に現在の地形図ももう一度。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
それでは、その(2)からの続きとなります。
いくつもの崩落地を越えて、ようやく廃道の峠に到着しました。
峠の切り通しから登ってきた奥津側を眺めています。周囲は植林地に囲まれているので、眺めは悪いです。
切り通しの周囲を見渡してみましたが、「日本の廃道」にもあったとおり、石仏・石碑の類や開通記念碑のようなものも見当たりませんでした。
さっそく峠から上多気側へと廃道を下っていくことにします。廃道は峠から右へと曲がって下っていきます。
そしてすぐに折り返して、峠の直下を通過していきます。
上多気側は今のところ馬車道に相当する道幅がしっかり残っています。
路肩が崩れた場所に石積み擁壁が見えています。
まだまだしっかりと道幅が残る道跡が続いています。
少し怪しくなってきました。
また道幅が復活しました。戦前の地形図に載っていない本廃道ですが、今までに何か所も歩いたいわゆる「明治車道」の雰囲気を感じさせます。
倒木の先が明るくなっています。これは嫌な予感がします(笑)。
廃道の上に土砂が積もっています。まあ、これくらいなら大丈夫。踏み跡も付いているので、足を滑らせないように注意して乗り越えていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
引き続いて路盤が崩落している場所が現れました。幸い、岩壁に沿って歩いていけるだけの幅が残されていたので、岩壁に寄り添いながら進んでいきます。
ちなみに、一番幅が狭い場所はこんな感じです。
通り抜けてから振り返って撮影した写真。峠から奥津側の廃道の崩落地に比べれば、全然問題なく通過できます。
ふたたび平穏な景色となった廃道を進んでいきます。
沢を渡っていきます。
渡った先の路肩に残る石積み擁壁。
何度も書いてますが、幅はあっても全体が谷側へ傾斜している場所は何となく歩きづらいです…。感覚的なものなんでしょうけど。
2つの沢が合流する地点を通過する場所に来ました。事前情報のとおり廃道は崩落して荒れています。廃道は写真を撮った場所よりもさらに奥へと進みます。
沢まで出て、対岸に残る橋台を眺めています。
沢を渡り、今度は峠側の橋台を眺めています。峠側の橋台の方が崩壊度合いが大きいです。
少しだけ残っている廃道を進みます。
そうすると、この廃道に残る中で一番規模の大きな橋台が現れます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
沢へ下りて、橋台を見上げます。石の隙間をモルタルなどで埋めていない空積みです。積み方も何となく谷積み(石を斜めに組んで積み上げる積み方。)のように見える部分がありますが、規則性のない乱積みと言えるでしょうか。
峠側の橋台。沢の中に突き出すように設置されているためか、破壊が進んでいます。
橋台の脇を登って、廃道へと復帰します。
この後も荒れたりしている場所はありますが、廃道好きからすれば比較的平穏な路面状態となります。
枝打ちされた枝と間伐で切り倒された幹。連続した平場である廃道は、こういったものを溜めるのにちょうどいい場所なんでしょうね。通り抜ける身からすれば、これも一種の難所なんですよね…。
ようやく上多気側の林道が見えてきました。
最後に2つのヘアピンカーブを通り抜けます。
もう真下に林道が見えています。
やっと本廃道を踏破しました。車からここまで約4.6km、3時間30分かかりました。私が歩いた中では、一回の探索で一番多くの崩落地を突破した廃道かもしれません(笑)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この先は林道を歩いて上多気の集落へと出て、旧伊勢本街道飼坂峠を越えて車へと戻ります。おそらく飼坂峠を越えるほうが体力的にはきついですが、単純にもうこの廃道で引き返したくないだけです(笑)。
飼坂峠南方を越える廃道のルート全体図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
馬車道・荷車道である以上、勾配を抑える必要があるためにどうしても距離は長くなってしまいますが、全体図で見るには奥津と上多気を行き来するのに、飼坂峠を通っても廃道を通っても極端な違いはないように感じられます。
記録が残っていない以上、この廃道の素性はわかりませんが、急峻な飼坂峠を迂回するために造られた馬車道と言われても納得はできるかなと思いました。
その(4)へと続きます。
Posted at 2022/07/18 20:44:04 | |
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