2022年5月28日土曜日、三重県津市美杉町奥津と上多気の間にある峠、旧伊勢本街道「飼坂峠」の南方を山越えする廃道を探索してきました。
今回は題名からするとおまけの内容となりますが、廃道探索を終えて車へと戻るために越えた旧伊勢本街道「飼坂峠」の峠道を簡単に紹介していきます。
前回(3)で無事に上多気側の林道へと合流。
林道を歩いて上多気の集落を目指します。
歩くこと約15分。上多気集落の西の端へと出てきました。ここで旧伊勢本街道に合流し、左折します。
規模は小さいながらも旧伊勢本街道の宿場町であった上多気集落。集落の端ですが、古めかしい建物が沿道に残っています。
集落を通り抜けた場所に飼坂峠についての案内板が立っています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この後の峠の道中、案内板に記載されている小唄「お伊勢参りして怖いとこどこか、『飼坂』、櫃坂、鞍取坂、津留の渡しか宮川か」とあるのが伊達でないことを、疲れ切った体に思い知らされることになります(笑)。
それでは飼坂峠の峠道へと進んでいきます。
序盤は林道を登っていきますが、すでにこの時点で急坂で、全然ペースが上がりません…。
林道が終わり、つづいて「これ本当に街道?」というような細い道を少し歩きます。
伐採地へと出てきました。峠道が伐採用の作業道でかく乱されてしまい、ここで少し道を探す羽目に。上多気方面には誤進入防止のロープがあったり、案内板が立っていたりしましたが、峠方面にはそのようなものが一切なくて参りました。
峠道の続きを見つけて、再び飼坂峠へと登っていきます。
一つの谷全体を伐採していますね。
峠まで繰り返しつづら折りが現れ、場所によっては伐採されたために裸地となった急斜面の上を通過していきます。
峠へ向かう最後のつづら折り。このヘアピンカーブ一つとっても、けっこうな急坂であるのが見てわかると思います。とにかく短距離で一気に峠まで登り詰めるスタイルの峠道です。
飼坂峠に到着です。峠の入口にあった案内板には峠まで1.3kmとありましたが、登り切るのに37分もかかりました(笑)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
峠から上多気側の眺め。あまり眺望は利かないですね。反対の奥津側は高い木々に覆われてしまい、まったく見えません。
峠の茶屋跡に建つ東屋。
峠にある案内板。
それでは奥津側へと峠道を下っていきます。
岩の崖地を通過するため、路肩は石垣を積んで補強してあります。
奥津側もなかなかの急坂で、これでもかというくらい何か所もつづら折りが現れます。まあ、飼坂峠はどちら側から登ってもキツい峠なわけです。
ここは道に石段が設置されていました。石畳がある峠道はたまに見かけますが、石段が設置されている峠道は初めてですね。
そしてまたつづら折り。
長い階段の急な下り坂です。おそらく雨水で地面が削れたために土のうで階段が築かれているのでしょうが、ここも元々は石段が設けられていたようです。
沢沿いへと出てきました。
立派な橋台が残っています。かつては木橋でも架かっていたのでしょう。
こちらは石材を並べた石橋。
奥津側の峠の入口に立つ案内板。現在は近畿自然歩道としてハイキングなどに利用されているようで、道中も危険に感じるような箇所はありませんでしたね。
国道368・369号飼坂トンネルの前を横断していきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この先は川沿いの道路を奥津へと歩いていきます。この辺りではけっこうフラフラになって歩いていました…。
車へと戻ってきました。今回歩いた距離は9.4km、6時間35分の行程でした。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
今回の探索の行程図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
歩いてみて、飼坂峠は車道改修された様子が全く見受けられない徒歩道でした。というか、仮に道幅が確保できても、あの急坂では荷馬車や荷車はとても通行できないでしょう。
さて、今回探索した「建設された目的や利用状況が全くわからない」峠越えの廃道。規模から見て、相当の費用と人員を投入して建設したはず。なのに、記録に残らず地元からも完全に忘れ去られて、ただただ崩落して消失していくのみなんて、何とも残念な話です。
せめて現地に開通記念碑的なものでもあれば良かったのに…。
Posted at 2022/07/24 14:12:45 | |
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