2022年7月16日土曜日、福島県福島市飯坂町中野の旧国道13号「萬世大路」に残る「二ツ小屋隧道」と「烏川橋」を訪れ、その足で「二ツ小屋隧道」から「新沢橋」へと至る廃道区間を歩いてきました。
廃道を歩き終えて、東栗子トンネル前の駐車帯へと戻って来たのが16時15分。
当初の予定としては、このまま国道13号で米沢市へと出て、南陽市から国道113号に入って新潟県方面へと進みつつ、小国町の「綱取橋」にも立ち寄ろうかと考えていました。
しかし、この時間からでは小国町に着く頃には夕闇が迫り、廃道に入り込むのにはよろしくない状況になりそうです。
ということで、「綱取橋」を訪れることはあきらめて、国道121号で会津若松へと出て、磐越道で新潟県へと向かうことにしました(新潟県へ向かうことはあきらめていない(笑)。)。
国道13号で東栗子トンネル・西栗子トンネルを通過し、米沢市街からは国道121号へと進み、山形・福島県境にある大峠トンネル前の駐車帯までやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらが大峠トンネルです。
トンネルの銘板によると、竣工は1985年(昭和60年)9月。トンネル延長は3940mです。
少し余談です。現在の国道121号である大峠道路は、平成4年(1992年)8月に一部区間の供用が開始され、山形・福島県境を往来できるようになりました(大峠トンネルの竣工から大峠道路の一部供用が開始されるまで、さらに7年が経過していることに、トンネル前後の道路建設に相当苦労したことが想像されます。)。
それまでの国道121号は、大峠トンネルからさらに南東側にある「大峠」を越えるルートを取っていました。この峠道は狭隘の屈曲路であり、冬季通行止めが5か月間も続く難所でもありました。現在は事実上の廃道となっています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
大峠から福島県側に入った、特に屈曲している区間の戦前の地形図。

5万分の1地形図「熱塩」:大正2年(1913年)測図・昭和6年(1931年)要部修正測図及び同修正縮図。
この峠道は、福島県側からは米沢街道と呼ばれていました。旧来は大塩峠・蘭峠・檜原峠という3つの峠越えをして会津若松と米沢を結んでいましたが、「会津三方道路」事業により、米沢街道を大峠経由ルートへと付け替えるべく明治15年(1882年)に着工。明治17年(1884年)に完成しました。工事には住民が延べ73万4千人動員され、文字通り住民の血と汗と涙の苦労の末に出来上がった道路だそうです。
ちなみに大峠から山形県側の峠道は明治17年に着工し、明治19年(1886年)に完成。これにより牛馬車での峠越えが可能となったそうです。
その後、不景気対策の一環として行われた「農村振興土木事業」により、昭和7年(1932年)〜9年(1934年)にかけて自動車道へと改修されました。
同じく大峠から福島県側の屈曲路区間。こちらは現在の地形図に旧国道を青線で表示したものです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さて、国道121号大峠トンネルを通過し、ふたたび福島県へ。時刻はもう18時30分を回っていますが、まだ空は明るく、最後にもう1か所立ち寄ることにしました。
やって来たのは、福島県喜多方市熱塩加納町にある日中線記念館。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
日中線記念館は、旧国鉄日中線の終端駅であった旧熱塩駅を保存した施設です。もうすぐ19時になろうかという時刻なので、施設にはすでに誰もいませんでした。
この後は会津若松まで国道121号を走行し、会津若松ICから磐越道に乗って新潟県方面へ。新潟中央JCTから北陸道に入りましたが、ここでどうにも眠気が酷くなり黒埼PAにて仮眠。目が覚めたら3時間経っていて、日付けが変わってしまいました。
Posted at 2022/08/17 22:48:25 | |
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