2022年8月11日木曜日、弟の誘いで母と三人で三重県伊賀市の伊賀上野城へ行ってきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
最寄りの駐車場に車を停めて、城内を歩いていきます。
伊賀上野城の天守です。
現在の伊賀上野城の基礎となったのは、1585年(天正13年)に同地に封ぜられた筒井定次により築城された城だそうです。その後、1608年(慶長13年)に筒井定次が改易となり、伊勢・伊賀22万石の大名として伊予国宇和島から藤堂高虎が移封。1611年(慶長16年)に対豊臣への備えとして伊賀上野城の改修工事を行い、現在の規模となったそうです。
改修工事の際には新たに五層の天守が築かれていましたが、完成間近の1612年(慶長17年)9月に大嵐により倒壊。その後、大坂の陣により豊臣氏が滅亡したため城郭の増強は必要なくなり、天守は再建されることはありませんでした。
現在立っている天守は1935年(昭和10年)に地元名士たちの出資により建てられたもので、史実に基づき再建されたものではありません。ちなみに当時は「伊賀文化産業城」と名付けられていたそうです。
それでは天守へと入っていきます。
津藩の藩祖「藤堂高虎」の坐像。
柱にしがみつく不審者(笑)。伊賀忍者のイメージのようです。
ご覧のとおり天守は木造建築となっています。建設案の中には鉄筋コンクリート造りの建築物とするものもあったようですが、建設の中心人物であった地元出身の衆議院議員「川崎克」の強い要望により天守を模した木造建築となったそうです。
最上階です。
上野市街地の眺め。
最上階の格天井。近衛文麿や横山大観など当時の著名人・文化人から寄贈された書画がはめ込まれています。
こちらは城内の西側に聳える高石垣。高さは約30mあるそうです。
西側から眺めた天守。
城内を一通り巡りましたので、車へと戻ることにします。
帰りは運転手交替で私がハンドルを握ります。このまま素直に名阪国道に乗って帰宅しても良かったのですが、ついでなので初代長野隧道へと立ち寄ることにしました。「ついでに立ち寄る」と言っても全然方向違いになりますが(笑)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
トンネル前にやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
まずは二代目の長野隧道を覗きに行きます。
二代目の長野隧道開通時に設置された「隧道改修記念碑」。昭和14年(1939年)3月竣工とあります。
二代目の長野隧道です。現在はご覧のとおり完全封鎖されていますが、内部は現役当時の状態のままに残っています。
それでは初代の長野隧道へと向かいます。場所は二代目の長野隧道の真上になりますが、そこへと向かう通路の出入口は、駐車場所の真向かいにあります。
通路を登っていくとわずかに残っている旧車道の石積みが見られます。
通路を奥へと進んでいきます。
初代の長野隧道です。訪れるのは2018年2月以来です。
このトンネルは明治18年(1885年)の竣工。二代目トンネルが開通する昭和14年(1939年)まで54年間、津と上野(伊賀上野)を結ぶ街道のトンネルとして利用されていたわけです。
大きな石材を積み上げて築かれた重厚感ある坑門。
トンネル内部も短冊状に整えられた石材により巻き立てられています。
今回は寄り道なので、見物はサクッと終了。
この後はそのまま国道163号で津市まで出て、伊勢道津ICから高速道路に乗り帰宅しました。
Posted at 2022/09/19 13:46:54 | |
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