2023年6月17日土曜日、長野県下伊那郡泰阜村の古道「和田新道」を探索してきました。(1)では「和田新道」開削までの簡単な交通史などを記しましたが、今回からは探索した内容について記していきます。
さて前回、「和田新道」の想定ルート図を載せましたが、距離自体もそれなりにあり、「泰阜村誌」によると4里(約15.7km)だそうです。全線を探索できればいいのでしょうが、さすがにそこまでの気力・体力はありません(笑)。
そこで、想定したルートの中で、地形図に破線道(徒歩道)がそれなりの長さで記載されている部分を選びました。実際に道があり、少しでも無難に探索できそうな部分を選んだわけです(まあ、破線道はあてにならない部分もありますが…。)。
それが泰阜村栃城から御棚の区間。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
御棚側からは万古川を渡って「和田新道」へアプローチする必要がありましたが、地形図にある橋が現存するのか不明でした。一方、栃城側はストリートビューで入口付近の確認ができ、駐車スペースと入口への目標物があったので、栃城側からアプローチすることにしました。
泰阜村温田から栃城へと向かう林道に入っていきます。こちらは栃城への道程のまだまだ序盤にある万古隧道。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
1車線幅の狭い舗装林道を走行し、栃城側の入口へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
栃城側からの「和田新道」は、途中まで「小城頭」(こじろがしら)という標高1040mの山への登山道になっています。これならば、登山道の区間は道が維持されている可能性大です。
「小城頭」への簡単なルート図も掲出されています。
さっそく登山道である「和田新道」へと踏み込んでいきます。
歩き始めて20mも進まない場所で土石流の跡に遭遇。
幸い、乗り越えて進んでいくと「和田新道」はちゃんと続いていました。
折り返して登っていきます。
涸れ沢を越えていきます。黄色のタンクは入口付近にあった住宅のものでしょうか。
つづら折りを登ります。
「和田新道」は道幅6尺(約1.8m)だそうですが、土砂で埋まったり、路肩が崩れたりしていて、半分くらいの幅になっています。まあ古道なので、よくあることですが。
倒木があるザレ場が現れましたが、特に気にすることもなく進んでいきます。
岩場へ出てきました。眺めてみると「和田新道」は左斜め上へと続いているようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
実はここまで地形図の破線道とは違う場所を歩いてきました。最初に入口で破線道があるはずの地点を少し探ってみましたが、どう見てもただの急斜面でしかありませんでした。なので、地形図の破線道は無視して登山道を歩いたわけです。旧版地形図でも登山道のルートが旧来からの道のようです。
ちょっとした岩場を登っていきます。
山側からの土砂で細くなった「和田新道」を歩いていきます。
「ヒヤダルの滝」に来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
山の斜面のこの部分だけ岩盤が縦に露出しており、そこを流れる細い水流が滝となっています。
滝の下流は真っ逆さまに落ち込んでいっています。
ふたたび細い道が続いていきます。
折り返していきます。
道幅がかなり細くなっている場所に出てきました。踏み場はしっかりしているので、気にすることなく進んでいきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
「ヒヤダルの滝」の前後にはトラロープが掛かっていましたが、この崩落箇所にはより頑丈な鎖が掛けられています。
路肩に石垣のようなものが残っています(自然石が割れただけかもしれませんが。)
地形図には無い分岐路が現れました。ここは右側へと進んでいきます。
折り返しです。ここにもカーブの内側から分岐していく小径があります。
そのまま道なりに進んでいきます。
岩の段差を登ります。
檜の植林地に入りました。
石がゴロゴロして荒れています。檜も全然枝打ちされておらず、今は人の手が入っていないのかもしれません。
落葉樹林へと戻ってきました。落葉樹林の方が地面が柔らかく感じます。
炭焼き窯の跡です。
「和田新道」と「小城頭」への登山道の分岐点となる大城峠に着きました。標高は地形図読みで925mです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
大城峠の看板。
道案内の看板。私は小黒山方面へと進んでいきます。
大城峠から先の「和田新道」は廃道となります。ここからが本格的な探索になるわけです。
(3)へ続きます。