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小林あにのブログ一覧

2023年07月20日 イイね!

【長野県泰阜村】古道「和田新道」を探索する(2)

2023年6月17日土曜日、長野県下伊那郡泰阜村の古道「和田新道」を探索してきました。(1)では「和田新道」開削までの簡単な交通史などを記しましたが、今回からは探索した内容について記していきます。

さて前回、「和田新道」の想定ルート図を載せましたが、距離自体もそれなりにあり、「泰阜村誌」によると4里(約15.7km)だそうです。全線を探索できればいいのでしょうが、さすがにそこまでの気力・体力はありません(笑)。

そこで、想定したルートの中で、地形図に破線道(徒歩道)がそれなりの長さで記載されている部分を選びました。実際に道があり、少しでも無難に探索できそうな部分を選んだわけです(まあ、破線道はあてにならない部分もありますが…。)。

それが泰阜村栃城から御棚の区間。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

御棚側からは万古川を渡って「和田新道」へアプローチする必要がありましたが、地形図にある橋が現存するのか不明でした。一方、栃城側はストリートビューで入口付近の確認ができ、駐車スペースと入口への目標物があったので、栃城側からアプローチすることにしました。

泰阜村温田から栃城へと向かう林道に入っていきます。こちらは栃城への道程のまだまだ序盤にある万古隧道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

1車線幅の狭い舗装林道を走行し、栃城側の入口へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

栃城側からの「和田新道」は、途中まで「小城頭」(こじろがしら)という標高1040mの山への登山道になっています。これならば、登山道の区間は道が維持されている可能性大です。


「小城頭」への簡単なルート図も掲出されています。


さっそく登山道である「和田新道」へと踏み込んでいきます。


歩き始めて20mも進まない場所で土石流の跡に遭遇。


幸い、乗り越えて進んでいくと「和田新道」はちゃんと続いていました。




折り返して登っていきます。


涸れ沢を越えていきます。黄色のタンクは入口付近にあった住宅のものでしょうか。


つづら折りを登ります。




「和田新道」は道幅6尺(約1.8m)だそうですが、土砂で埋まったり、路肩が崩れたりしていて、半分くらいの幅になっています。まあ古道なので、よくあることですが。




倒木があるザレ場が現れましたが、特に気にすることもなく進んでいきます。


岩場へ出てきました。眺めてみると「和田新道」は左斜め上へと続いているようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

実はここまで地形図の破線道とは違う場所を歩いてきました。最初に入口で破線道があるはずの地点を少し探ってみましたが、どう見てもただの急斜面でしかありませんでした。なので、地形図の破線道は無視して登山道を歩いたわけです。旧版地形図でも登山道のルートが旧来からの道のようです。

ちょっとした岩場を登っていきます。






山側からの土砂で細くなった「和田新道」を歩いていきます。


「ヒヤダルの滝」に来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山の斜面のこの部分だけ岩盤が縦に露出しており、そこを流れる細い水流が滝となっています。




滝の下流は真っ逆さまに落ち込んでいっています。


ふたたび細い道が続いていきます。


折り返していきます。


道幅がかなり細くなっている場所に出てきました。踏み場はしっかりしているので、気にすることなく進んでいきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「ヒヤダルの滝」の前後にはトラロープが掛かっていましたが、この崩落箇所にはより頑丈な鎖が掛けられています。


路肩に石垣のようなものが残っています(自然石が割れただけかもしれませんが。)


地形図には無い分岐路が現れました。ここは右側へと進んでいきます。


折り返しです。ここにもカーブの内側から分岐していく小径があります。




そのまま道なりに進んでいきます。


岩の段差を登ります。


檜の植林地に入りました。


石がゴロゴロして荒れています。檜も全然枝打ちされておらず、今は人の手が入っていないのかもしれません。


落葉樹林へと戻ってきました。落葉樹林の方が地面が柔らかく感じます。


炭焼き窯の跡です。


「和田新道」と「小城頭」への登山道の分岐点となる大城峠に着きました。標高は地形図読みで925mです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大城峠の看板。


道案内の看板。私は小黒山方面へと進んでいきます。




大城峠から先の「和田新道」は廃道となります。ここからが本格的な探索になるわけです。


(3)へ続きます。
2023年07月20日 イイね!

【長野県泰阜村】古道「和田新道」を探索する(1)

2023年6月17日土曜日、長野県下伊那郡泰阜村の古道「和田新道」を探索してきました。

さて、「和田新道」を探索するきっかけとなったのは、泰阜村が発行した「泰阜村誌」道路交通編の一番目の項目にこの道の事が説明されていたことに興味をひかれたからです。

そこで、探索の話は次回からにさせていただきまして(笑)、今回は「泰阜村誌」からの引用で「和田新道」開削に至るまでの泰阜村〜遠山谷(現在の飯田市南信濃周辺。)間の地域交通史を簡単に記します。

古来より、泰阜村では産出する米穀を遠山谷へと輸送してきました(狭隘な谷あいで田畑に乏しい遠山谷一体で米を販売するためでしょう。当然、米以外の物資も取り扱ったと考えられます。)。その輸送方法は坦送(人が担いで運ぶ方法。)であり、輸送ルートは、泰阜村内から南へと下り、万古(まんご。飯田市南信濃南和田。)を経由し谷京峠を越えて、飯島(飯田市南信濃南和田)で遠山谷へと出て、和田村へと至るものでした。

万古~谷京峠~飯島の推定ルート図です。谷京峠は、2020年11月にJR飯田線為栗駅から出発して峠までの古道を探索したことがあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

泰阜村周辺の全体図です。地図中、「金野」は「和田新道」の出発点、「和田」は遠山谷の中心集落で「和田新道」の終点となります。金野~和田を直線で結ぶと、万古・谷京峠越えルートは直線から南側へ大きく外れていることがわかります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、時代が進み、天竜川の通船が発達してくると、泰阜村の明島港から満島(現在の天龍村平岡。)まで舟運で輸送し、満島から和田へと坦送するルートが利用されるようになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

しかし、地図で見るとおり、この通船ルートも直線上からは大きく南側へと外れたルートであり、舟運に坦送にと費用が嵩むことが泰阜村側の大きな悩みでした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

そこで、泰阜村と遠山谷の間に新たな馬道を開削して、駄馬(荷物を積んだ馬)により直送することが計画されます。

明治15年(1882年)、泰阜村高町の吉沢某、泰阜村打沢の吉沢某、土岐某、萩本某等は、和田村の山崎某、遠山某、小松某等と図って、泰阜村山手集落から和田村へと通ずる道路を企画し、資金を募ります。

調査・測量の結果に基づき、明治18年(1885年)秋に着工。昔からある里道を改修する部分もあったものの新規開削した部分も多く、万古川以東の山岳地に入ると急峻な地形のために工事は困難を極めました。

また、工事には道路が通過する集落の有志が中心となって参加していたようで(昔のことなので、実は住民挙げて労働奉仕しているかもしれない。)、農作業などに影響しないよう農閑期である秋口から冬期に作業は行われていました。そのため、土地の凍結や厳しい寒気も工事の進捗に大きな影響を与えることとなりました。

さらには工事の資金不足にも悩まされましたが(これもお約束。)、この計画の主唱者である泰阜村高町の吉沢某の多額の資金融通もあり、明治21年(1888年)に無事に竣工となりました。

ところで、明治20年(1887年)に工事費用の寄付金を募った際の趣意書である「道路修繕及新設御允可願」には、この新道を「栃城新道」と記していますが、「泰阜村誌」は「和田新道」と紹介しています。泰阜村から遠山谷の和田村までの新道なので「和田新道」としたのだと思います。

「和田新道」の推定ルート図です。「泰阜村誌」に記載されている経由地と戦前の地形図に記載されている道を参考に作成してみました。金野〜和田間をほぼ直線的に結ぶルートになりました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

推定ルートの拡大図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

現在、このルートを踏襲するような道路は存在していません。現存する集落間をつなぐ道路や山中にある徒歩道にその名残を見い出せますが、地形図からその存在をまったく消してしまった区間もあります。

「和田新道」が最も大きな打撃を受けた出来事は、昭和11年(1936年)の三信鉄道(現在のJR飯田線。)満島駅(現在の平岡駅。)開業と満島~和田間の車道改修でしょう。

「和田新道」がいつ頃まで利用されていたのか「泰阜村誌」に記載はありません。また、満島~和田間の道がいつ頃自動車通行可能な道路へと改修されたのかも資料がわからず不明ですが、大きな峠を4つも越えて歩く駄馬の輸送量とスピードが、たとえ大回りルートてあっても鉄道輸送とトラック輸送にかなうはずもなく、これらの出来事が「和田新道」の息の根を止めてしまったことは間違いないはずです。

それでは、次回から探索の内容を記していきます。

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