2023年9月2日土曜日、北設楽郡設楽町松戸のキビウと椹尾(さわらお)の間の峠道を探索してきました。
まずは、今回探索してみようと思った理由について記します。
椹尾にはかつて段戸山の御料林からの木材を搬出するための「森林鉄道段戸山線」の田口椹尾線(こちらは「さわらご」と読むようです。)が通っていました。1934年(昭和9年)に開通し、1961年度(昭和36年度)中に撤去されたようです。
私が普段見ている戦前発行の旧版地形図は、まだ椹尾に森林鉄道が開通する以前のものなので、当然、図中に森林鉄道の記載はありません。ただ、その森林鉄道が通っていた椹尾川沿いには、道の記載も全くありませんでした(地形図に記載されるような道が無かっただけで、椹尾川沿いにも古くから道はあったようです。)。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行。
椹尾からの道は、集落の南側にある峠へ行く道のみ。峠からは、東側に向かい松戸集落を経て田口の街へと行く道と、峠の南側へキビウ集落を経由して田内で伊那街道へつながる道がありました。これらが地形図上では椹尾が外界とつながりを持つための道でした。
森林鉄道開通後、キビウと椹尾の間にある峠道は徐々に使われなくなってしまい、現在の地形図には峠道の記載は全くありません。そこで、今も峠道の痕跡が残っているのか確かめてみたくなり、探索することにしたわけです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
やって来たのは、設楽町の呼間川大滝の近く。本当はキビウ集落辺りまで車で入り込みたかったのですが、細道のようで心配だったため、ここに駐車していきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さっそく出発しますが、せっかくなので呼間川大滝へちょっと立ち寄ります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
呼間川大滝から先は、町道大滝菅平線を進んでいきます。
ちょっとした平場に石垣が続いています。耕作地の跡ですかね。
山の中らしい電線への注意看板ですね。
町道の前身道と思われる道跡へと入っていきます。
呼間川に出てきました。橋の跡のようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
川を渡り、呼間川の左岸に沿って古道を進んでいきます。
ふたたび橋の跡に出てきました。ここから呼間川の右岸へと戻ります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
対岸に耕作地の跡が見えています。もうすぐキビウ集落があるはずです。
橋の跡がありました。石積みの橋台・橋脚が残っています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
キビウ集落の家屋が見えてきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
キビウ橋を渡り、右折します。
キビウ集落のバス停。
空き家のようですが、手入れはされているみたいです。
ここでキビウ集落についての余談を。内容は「設楽町誌 村落誌編」に拠ります。
キビウ集落についての古い記録は、『寛文5年(1665年)に「きびう、なしくぞ山、山ノ神」が検地され、天正18年(1590年)の検地(いわゆる太閤検地ですね。)で43石だった松戸村の石高へ6石4斗4升2合が加増された。』というもの。それまで「きびう」には人が住まず、田畑が無かったのかは不明です。
戸数の変遷は、正徳3年(1713年)は2戸、明和8年(1771年)は4戸になりますが、弘化4年(1847年)には1戸になってしまい、明治4年(1871年)に2戸となります。明治以降の記述はありません。
一時、戸数が1戸となってしまった原因は、天保8年(1837年)8月14日の大風雨(台風のことか。)。これが原因となり、「さわらおう」(椹尾)では諸穀類は収穫皆無となり、また馬による賃稼ぎもできなくなり、当時あった2戸が「潰れ」、「きびう」と「さわらおう」合わせて4戸が病死または他所へ退転してしまったそうです。
「キビウ」は、地名表記がカタカナ表記ですが、明治15年(1882年)の愛知県による地名調査(明治政府からの指示による。)に対して、当時の北設楽郡役所は松戸村『「紀尾宇」(キヒウ)』と漢字表記・読み仮名を報告しています。実際にキビウ集落の住民が漢字表記を使用していたのかは不明ですが、戦前の旧版地形図ではふたたび「キビウ」と表記されています。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行。
それでは、キビウ集落から先へと進んでいきます。ここからは、庄ノ津川の左岸へと進んでいきます。
キビウ集落への橋の横に、旧橋の名残りと思われるものがありました。どこからか持ってきたレールを橋桁に再利用していたようです。
増水時に川の水で洗われてしまうのか、道跡はあいまいです。
落差5mくらいの滝にぶつかりました。これでは進めないので、川を渡って対岸の林道へと移動します。
椹尾への峠道の分岐点と思われる場所へ来ました。ここでふたたび川を渡り、いよいよ峠道へと進入していきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
細い沢筋を跨いでいきます。
そして、すぐに折り返し。
この後も折り返しを繰り返しながら、斜面を登っていきます。
堀割り道を進みます。
薮に遭遇。薮が濃くて、そのまま峠道を進むのは厳しかったので、左側の路外へと出て道跡を追っていきます。
この辺りは、輪切りにされた間伐材があちらこちらに転がっていて足場が悪く、進んでいくのになかなか難儀しました。
また薮が現れました。ここはそのまま突入です。
峠のある尾根の下を通る林道へと出てきました。しばらく峠道の続きを探して歩くことになります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
林道の路肩には峠道の続きが見当たらず、仕方ないので、峠と思われる鞍部が見えている場所から薮の中へと突っ込んでいきます。
峠道の続きを発見しました。やはり、林道により削り取られていました。
峠に来ました。周囲を確認してみましたが、この峠には石仏・石碑の類は無いようです。椹尾への道は左へと曲がっていきますが、松戸へ向かう道を少し歩いてみることにします。
緩やかな地形の山の頂上を進んでいくとすぐに下り坂になったので、それ以上進むのは止めて引き返しました。
峠へと戻り、椹尾への道へと進んでいきます。
椹尾側も道は残っているようです。
と思ったら、峠道が背の高い大木に塞がれてしまっています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
斜面の傾斜がきついので迂回するのは止めて、そのまま慎重に倒木の上を歩いて進んでいきます。
ふたたび堀割り道が現れました。
※その2へ続く。