2023年9月16日土曜日、飯田市南信濃南和田の万古集落跡と泰阜村我科の「我科村四辻」の間の秋葉道(中道)を探索してきました。
さて、今回もやって来たのは泰阜村我科の万古隧道前。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
今回は崩れて通りにくくなっている場所の整地をしようと、草取り用の柄の長い小さな鍬を持参。鍬で土砂を削って、長靴で地均し。多少は歩きやすくなりました(笑)。
万古集落跡の北側にある吊り橋。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
集落跡の中を通過し、集落跡内の峠「庚申ぼつ」に到着。前回、この地を訪れた時に、万古集落跡と名田熊集落をつなぐ峠道を少し探索しましたが、前回の引き返し地点よりも奥へと進めないかとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
山の中の一軒家を通り過ぎ、小さな切り通しの所まで来ました。この先から、峠道の状況は悪くなっていきます。
前回引き返した場所を通過。斜面に付いている踏み跡を通るのは不安だったので、上方へと高巻きしていきます。
踏み跡が二方向へと分岐している場所に来ました。取りあえず、同じ高さで続く踏み跡へと進みます。ただ、真っ直ぐ踏み跡へと踏み込むのは嫌な感じだったので、ちょっと上側へと回り道します。
そして、踏み跡の分岐点からすぐ先の地点で峠道がまた崩れていました。日がよく当たる場所のためか、地面が乾燥してカチカチになり長靴では足場を掘ることができません。
その硬い地面には砂が乗っている状態で滑る可能性も大。そして絡みあった倒木。ここは引き返します。
引き返してきて、今度は上へと向かう踏み跡へと進んでみます。
上側の踏み跡も同じような様子の斜面…。この先進んでいくと地形はどんどん険しくなるはずなので、ここで撤退することにしました…。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここは「庚申ぼつ」寄りの崩落斜面。引き返した地点へと向かっている時、帰りのために鍬と長靴で踏み跡程度の道を造っておきました。引き返し地点の斜面も、ここみたいに削ることができるくらいの柔らかさがあれば、まだ何とかなったんですけどね。
「庚申ぼつ」まで戻りました。ここから万古集落跡へと下っていきます。
集落跡内の平地と平地の間にある崖道を避けるため、万古川の河原を歩いていきます。
そのまま吊り橋まで歩いてきました。
ふと見ると、吊り橋の下側に丸いものがぶら下がっていることに気が付きました。望遠で眺めるとスズメバチの巣でした。橋を渡っている時に攻撃されなくてよかった…。
吊り橋から坂を登り、木橋が架かる場所へと来ました。地形図で見ると、沢沿いに進む方向へと破線道が記されています。以前から秋葉道(中道)かもしれないと思っていたので、行ってみることにします。
ところが、沢沿いに入り込んでみると、道の痕跡らしきものが全然見当たりません。「増水などで土砂に埋もれたのかも。」と思い、さらに踏み込んでみましたが、岩肌剥き出しの沢となり、「これはどう見ても道を通す場所じゃないなぁ。」ということで引き返しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
木橋まで戻り、さらに坂を登っていきます。
「我科村四辻」へとつながる稜線の一つに来ました。ここから稜線を辿って、「我科村四辻」方面へ向かう道筋がないか探ってみることにします。
道跡があるにはありましたが、頼りなげな雰囲気です。
違う道へと合流しました。
今歩いてきた細道と違って、それなりの幅広さがあるしっかりした道筋です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
そして、この先に石碑と石仏が立っていました。
馬頭観音碑と馬頭観音像です。どうやらこの道が秋葉道(中道)のようです。「我科村四辻」まで登ったら、後で下側の道跡を辿ってみましょう。
さっそく先へと進んでいくことにします。
盛土道がありました。元々の地形から道を盛り上げた様子がわかりますね。
ピークとは言えない程度の場所を堀割り道で進んでいます。
また盛土道が現れました。ここの盛土道は、路肩の角がしっかりと立っていますね。ここまで形がくっきりしている盛土道は初めて見ます。
路面が崩落しているので、ちょっと脇へと避けて進みます。
「我科村四辻」がある尾根に近づいてきました。
「我科村四辻」に到着です。正直、ここが「泰阜村誌」で言う「我科村四辻」なのかはわからないのですが、我科側へと下って行く道もありますし、勝手に「ここ」ということにさせていただきます(笑)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
尾根にあった林道を南側へと少し歩いてみましたが、大勢の人の声が聞こえてきたので引き返しました。
さて、馬頭観音がある場所まで戻ってきました。ここからさらに下側へと、秋葉道(中道)を下っていくことにします。
ちょっと怪しい雰囲気になってきましたね。大丈夫かな…。
ここにも盛土道がありました。ひとまずは心配無さそうです。
尾根から逸れて、さらに下っていきます。
地形図を見ると急斜面な感じだったのですが、やはりつづら折りが始まりました。
つづら折りが終わると、斜面をトラバースしていきます。
またつづら折りです。
急坂を一直線に下っていきます。
尾根道に出ました。昔の道は、地形をうまく使って造られていますよね。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
尾根伝いの直線路が続きます。
ここで左側へと大きくカーブしていきます。
ここからは途中に崩落箇所を挟みつつも、とことんつづら折りが繰り返されます。そんな状況でも、できる限り道幅は確保しつつ、勾配も抑えようとしていた意図を感じられます。
どうやら万古川まで下りてきたようです。
万古川の河原へと出てきました。対岸正面が万古集落跡になります。これでは、万古集落跡側から眺めても、この場所に秋葉道(中道)があったとはわかりませんね。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
万古川の河原に出てきてから35分後。ようやく車へと戻ってきました。
今回は、写真に撮っていない場面も含めると、4~5か所は埋まった道を掘り返していたので、いつもと違い上半身もだるいです…。万古集落跡へは何度も通うことになり、気になってしまってやりましたが、単発で訪れるような場所ではやりません(笑)。
今回歩いたルートの全体図です。
こちらは、今回歩いた秋葉道(中道)のルート図です。
谷京峠・万古集落跡を通る秋葉道(中道)の絡みで、繰り返しこの場所を訪問・探索してきましたが、これで万古集落跡と「我科村四辻」の間の秋葉道(中道)のルートも判明したので、今回で一旦終了とします。
まだ、谷京峠へつながる他の道や、泰阜村内の秋葉道(中道)、以前に歩いた泰阜村の和田新道の未踏査区間など、この周辺でもネタとなる道はありますが、連続で何度も来てちょっと「飽きてきた」(笑)ので、一旦ここから離れることにします。