2023年9月17日日曜日、母・姉・弟・私の家族4人で高山市街と安房峠へドライブしてきました。元々は弟が「安房峠へ行こう。」と誘ってきて、「せっかく行くなら、高山でちょっと観光でもしようか。」ということで、高山市街にも立ち寄ることにしました。
当日は朝5時に自宅を出発。東海北陸道 美濃加茂ICで高速道路を下りて、そこからは国道41号で高山市街を目指しました。
9時過ぎに高山陣屋へ到着。高山観光でどこへ行こうかと考えて、「取りあえずはここかな。」と思いついたのが高山陣屋だったわけです。
高山陣屋は、元禄5年(1692年)に飛騨高山藩主だった金森氏が国替えとなって、飛騨国が幕府直轄領となったことに伴い、江戸幕府が飛騨国支配のために設置した役所です。
金森氏は織田・豊臣政権の頃から飛騨国の領主でした。その金森氏を江戸幕府が国替えさせて直轄領とした明確な理由は不明ですが、飛騨国の豊富な山林資源や鉱山資源を手に入れるためだと言われています。
高山陣屋は全国で唯一、江戸時代の主要建物群が現存している陣屋施設だそうです。
こちらは「御蔵」。年貢米を収納する蔵として利用されたそうで、元禄8年(1695年)に高山城から移築されたそうです。高山城に建てられた時期は慶長年間(1600年前後)と考えられ、現存する江戸時代の米蔵として最古・最大級を誇ります。
この「御蔵」の中に展示されていた飛騨国の歴代の代官・郡代の説明文の中に、「大原騒動」というものがありました。今まで全然知りませんでしたが、なかなかに酷い内容で、少々書き出してみます。
この「騒動」のきっかけとなった大原氏は、親子二代で飛騨国の代官・郡代を補任していました。
代官として着任した大原(親)は、飛騨国内で苛烈な山林政策、検地・年貢政策を断行。地域の総代や名主、百姓中らが改善のためにたびたび江戸方へ直訴に及んだり、百姓一揆を勃発させる事態になったそうです。
それでも、大原(親)は直轄地内の石高加増の功績を評価され、代官から郡代へと昇進しています。
苛烈な政策を実行した親も大概ですが、その親の功績により郡代を世襲した大原(子)は、それはまあ時代劇に出てくるような悪役人で(笑)、年貢の過納金を返却せず私する、天明の大飢饉のために免除となった分の年貢を私する、飛騨国内の村々へ6,000両の借金を強要する、江戸幕府が天明の大飢饉に対する措置として飛騨国へ下付した1,600両の金銭を私する、などなど悪行三昧。
最後は八丈島へ流罪となり、親子二代、18年間に及ぶ飛騨国内の騒動はようやく落ち着いたそうです。
高山陣屋を見物した後は、古い街並みを散策しました。
その後は、本来の目的地である岐阜・長野県境の国道158号 安房峠へ。
平湯温泉郷から安房峠へと向かいましたが、温泉郷から「あかんだな」駐車場への分岐点まではガチガチの渋滞にはまってしまい難儀しました。駐車場が上高地観光へ向かうための乗り換え場所であるからでしょう。
こちらは峠に祀られているお地蔵様。光背に「昭和十三年 道路竣成」と彫られています。安房峠に自動車道が開通したのは昭和13年(1938年)のこと。これを記念して祀られたものなのでしょう。
安房峠から眺めた穂高連峰。雲が出てきていたので心配でしたが、何とか見ることができました。
この後は長野県側へと下り、奈川渡ダムから長野県道26号へと入り、木祖村から国道19号で帰路につきました。
Posted at 2023/11/04 15:08:58 | |
トラックバック(0) |
ドライブ | 日記