2023年10月28日土曜日、奈良県吉野郡十津川村上葛川を通る「旧逓信道」を途中まで歩いてきました。
この「旧逓信道」は、「立合川木馬道」の情報をネット検索していた時にヒットした、近隣の笠捨山(標高:1,352.7m)への山行記録などに記載されていたものです。道中の風景写真を見て、「なかなか面白そうな道だな。」と思い、今回訪れたわけです。
ネット検索で得た伝聞での情報によると、この「旧逓信道」は明治時代に十津川村の郵便局と東隣の下北山村の郵便局の間の郵便物や小包の輸送(「逓送」なんて言いますね。)に利用されていた道だそうです。当時は「郵便逓送人」と呼ばれる人がいましたから、その人達が郵便物や小包を担いで運んだのでしょう。
ただ、「旧逓信道」が通る山の奥深さや険しさによるものか、利用された期間は短かったようで、早々に新宮(和歌山県新宮市)の郵便局から十津川村の郵便局と下北山村の郵便局へとそれぞれ逓送便が往来するように変更されたそうです。
現在は山行記録にあるように、上葛川から笠捨山などへの登山道として利用されているようです(ただし、サブルート的な利用度のようですが。)。
当日の朝8時過ぎ、「旧逓信道」の入口となる十津川村上葛川の集落の近くへとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
駐車場所から坂を上り、上葛川集落へと向かう道の交差点まで来ました。ここは集落の西側になります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この交差点に巡回バスのバス停とポストがありました。
上葛川の集落の中を歩いていきます。家はけっこうありますが、居住しているような気配はあまり感じられません。
集落内にもポストがありました。私は団地住まいなのですが、その団地内には一つもポストがありません。なのに、この小さな集落には二つもポストがあるとは…。
集落の東はずれまで来ました。入口の交差点にバス停があったので、集落内にはバスは入ってこないものだと思っていたら、こんな場所にバス停がありました。
集落を振り返ります。斜面に立つ門型の遺構は索道の跡でしょうか。
ここからは林道を歩いていきます。
林道の折り返し地点まで来ました。「旧逓信道」はこの場所から始まるようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
入口には、近隣の山である笠捨山や地蔵岳への案内板や石碑が立っています。
それでは「旧逓信道」へと踏み込んでいきます。序盤から最近歩いた「立合川木馬道」を彷彿とさせる岩の切り取り工や石垣が目を惹きます。
さっそく岩を開削した切通しが現れました。単なる登山道なら、わざわざ岩を削り取って道を通すような労力は掛けないでしょうから、やはりそれなりには重要な道だったことが窺えます。
岩壁を切り取った狭い道が続きます。谷側に木が生えているので、あまり気にはなりませんが、眺めの良い絶壁だったら通行するのに躊躇しそうです(笑)。
そして、どこからともなくこの道にゴムホースが合流してきました。多分、上葛川集落へ水を引くためのものでしょう。施設管理用として「旧逓信道」を利用しているためか、道が崩れた場所には橋が架けられたりもしています。
頭上の岩がせり出していて、「片洞門」のようになっています。
「旧逓信道」と表示された案内板。設置者の「新宮山彦ぐるーぷ」さんは、周辺の山々の登山道整備や山小屋管理を担ってみえるようです。
「上葛川飲料用水道」の立て看板。どうやら、ゴムホースは集落の簡易水道の送水管だったようです。
路面が崩れた場所に渡し板が架けてありますが、外れてしまっています。ここは左側へと迂回していきます。
沢に鉄板の橋が架かっています。そして、さらに左方向へも橋が分岐しています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
橋の上流側に滝がありました。そして、滝の上へとゴムパイプが渡してあります。どうやら、ここが簡易水道の水源地のようです。滝の水量から見て、他にも水源地はありそうですけどね。
荒々しく削られた岩壁の前を通っていきます。
ここも道幅が狭くなっています。木々のおかげで、不安感はあまり感じませんが。
深く削り込んだ岩の切り通しです。岩を伝うように巨木も生えていて、なかなか見応えがある場所です。
ここははっきりと石垣が見えています。今のところ、ここまではけっこう苔むした石垣の方が多いように感じます。
木製桟道が取り付けてありますが、木材が腐食気味…。踏み抜かないようになるべく山側に身を寄せて通過します。
岩を道幅分だけくり抜いて、逆コの字型に造られた「片洞門」。これだけしっかりと形が残っているのは心躍りますね(笑)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
「片洞門」を抜けると渡し板が架けてありましたが、ここも腐って傷んでいます。左側へと岩伝いに迂回していきます。
そして、ガッチリと組み上げられた石垣。全面が苔で覆われてしまっているのは私的には残念ですが、それでも立派な遺構の一つです。
先ほどの「片洞門」を振り返って。
苔むした石垣の上へと上がり、岩壁の横の細道を進んでいきます。
ここは石垣が崩れてしまって、岩盤が剥き出しになっています。取り付けられているロープをバランス取りに使い、渡っていきます。
この道は、木材を運搬する「立合川木馬道」に比べると、道幅が狭い場面が多いです。「人が荷を担いで歩ける程度の道幅があれば十分。」という判断なのでしょう。
凸凹な岩の地盤を平らに埋めるように石垣が積み上げられています。
切通しを通過していきます。
少し傾斜が緩やかな地形ですが、路肩にはしっかりと石組みがされています。
岩を切り取った区間も繰り返し何度も現れます。
ガレ場となった沢を横断していきます。道が完全に埋まってしまうと、不安定な石の斜面を歩くことになるので厄介です。
岩を豪快に削り出して道が造られています。
ここも手前側は石垣が崩れて路面が無くなっているので、岩壁に掛けられたロープを頼りに路面へとよじ登ります。
谷側を見下ろすと垂直の崖になっています。そんなに怖くはないですが、気を抜くことはできません。
路面が欠落したところに材木が並べられていますが、これは上に乗りたくないですね…。左側の足元に少しせり出した岩を足場にして渡っていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
※その(2)へ続く。