2024年4月20日土曜日、北設楽郡豊根村大字古真立の間袋と小田を結ぶ峠道を探索しました。
こちらは戦前の地形図。赤線が今回探索を試みた峠道です。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
さて、この峠道を探索してみようとしたきっかけです。以前に豊根村と旧富山村の村境にある「辞職峠」こと霧石峠の探索をしたわけですが、次は豊根村の中心地である下黒川と霧石峠を結ぶ道をどこか探索してみようかと思い立ち、手始めに間袋と小田を結ぶ峠道を選んだわけです。
あとは地形図を見て、この峠道の間袋側に「社坂」という名前が付されていたことも興味を引きました。
今回は間袋側から探索を始めることとしました。ここは愛知県道429号から間袋の集落へと出入りする道路の終点です。
場所はこちら。ちなみに、かつての峠道は現在の地形図には記されていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
道路の終点から間袋の集落を眺めています。
間袋の集落について少々記します。豊根村誌によると江戸時代である延宝6年(1678年)の検地の記録では、すでに間袋村として存在していたそうです。峠を挟んだ小田とは、間袋が「本郷」、小田が「枝郷」の関係だったみたいです。
明治9年(1876年)に間袋村は近隣の大立村、小谷下村と合併し、その際に各村から1文字づつを取って「古真立村」となりました(旧村名と違う字を当てている部分もありますが。)。これが現在の豊根村大字古真立につながります。
それでは探索を開始します。戦前の地形図があるとはいえ、5万分の1では詳細な位置取りがわかるわけでもないので、まずは駐車場所から沢沿いに進んでいってみます。
斜面の上に小さな社が見えます。おそらくこれが「社坂」の由来となった社だと思われます。
しばらく沢沿いを進んでみましたが、やがて道筋らしきものが消えてしまったので、ひとまず斜面を登って峠道を探してみることにします。
社の背後まで斜面を登ったところで道筋を発見。辿ってみることにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
稜線を登っていくルートになりましたが、その稜線には蛇行した堀割道が付けられています。蛇行させることで距離を引き延ばし、その分、直登するよりも勾配を緩くする手法だと思われ、各地の峠の古道でよく見かけます。
この辺りから稜線を外れ、等高線に沿うようにして緩やかに斜面を登っていきます。崩れてしまってちょっと危ない個所もあります。
斜面の下方から作業用モノレールが合流してきました。モノレールはこの先でほどなく終点となりました。
厄介な崩落箇所に遭遇。写真だとあまり感じませんが、崩落部分が谷底まで到達しています。高い場所が嫌いな私は、横断を決意するまでにしばらく時間が掛かってしまいました…。
横断後に振り返っての眺め。ほんの数mの距離を横断できずに引き返す羽目になったことは何度もありますからね。
峠道が消えてしまいました。沢の対岸へ向かった様子も見られないので、もうしばらく頑張って斜面を進むことにします。
杉に巻き付いた太い蔦(蔦でいいのかな?)。
奥へと進むほど斜面が荒れていて、少し進むだけでも安全なルートを考えたり、足場を作ったりと、なかなか時間を要してしまいます。
ようやく沢へと出てきました。対岸に峠道の続きがあり、この場所で沢を渡って折り返していたようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
対岸へと渡って登り始めると、またすぐに折り返しがあります。
ここからは急坂で一気に登っていくようですね。
道らしく見えますが、地面のあまりの荒れ方と急坂に段々と「このルートでいいのかな?」と疑念が湧いてきます。
見上げるような地形になったところで、つづら折りの道が見えてきました。その場へ行くまでは道である確証はないのですが(道のように見えて実は自然地形だったというのもまたよくある事なので。)、期待させる要素は十分です。
これは間違いなく峠道ですね。一安心です。
つづら折りの坂を登り詰めていきます。
「ここが峠なのかな?」という場所へと出てきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
上へと上がるとまだ先へと登り坂が続いていました…。
どうやら幅のある尾根地形を進んでいるようです。
ふと、視界の右側に石碑が立っていることに気が付きました。
「名号碑か何かか!」と喜び勇んで接近したところ、「講和記念林」と彫られていました。昭和27年(1952年)の日付も彫られているので、おそらくサンフランシスコ平和条約締結を記念して植樹された植林地を示す石碑でしょう。
ちなみに私が住む安城市内には「講和記念」と親柱に刻まれた橋が存在します。
石碑の裏面は記念林の所在地と面積が記されていました。
「名号碑じゃなかったか…。」と少々ガッカリしつつ、先へと進んでいきます。
折り返しが現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
頭上には高圧線の鉄塔が立っていました。
※その2へ続く。
Posted at 2024/08/29 18:13:28 | |
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豊根村 廃道 | 日記