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小林あにのブログ一覧

2024年09月17日 イイね!

【豊根村】粟世~山内~霧石峠~大立の峠道を探索する(2)

2024年4月28日日曜日、北設楽郡豊根村三沢粟世から山内~霧石峠~大立とつながる峠道を探索してきました。

前回「その1」では山内の集落を通り抜けて、愛知県道426号まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は10時30分過ぎ。まだ時間に余裕があるので、今回の予定の第二段階である山内から霧石峠への探索に向かうことにします。

戦前の地形図にある山内から霧石峠への峠道を赤線で示してみました。

※ひなたGISより引用。

山内~霧石峠間の峠道の見た目での直線的な距離は、粟世~山内間とあまり変わりないように感じます。標高差も粟世~山内間の約180mに対して、山内~霧石峠間が約230mと若干高い程度。

しかし、霧石峠への峠道は、粟世~山内間と比較して地形の険しい場所を細かく屈曲しながら登っていくことが気になります。

さて、霧石峠への昔の峠道が始まるだろうと予想した地点へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

バス停の横から斜面へと取り付いてみると徒歩道が上方へと続いていました。


やがて掘割道となりました。どうやらこの道で正解のようです。




ただ、程なくしてこの上部にある字茶尾の家々に向かう車道の斜面に埋もれてしまいました。


この時点で霧石峠への峠道がわからなくなってしまいました。ひとまず字茶尾から分岐していく林道を歩いて、途絶してしまった峠道を探してみることにします。




結局、この林道では峠道の続きを見つけることはできませんでした。というか、どこまで行っても林道の霧石峠側の法面が高い場所までコンクリートで固められていて、どうしようもなくなり引き返してきたというのが本当のところです。

字茶尾の小さな集落の下まで戻ってきました。


ここで一旦小休止して戦前の地形図を眺めていて、「昔の峠道なら家々の間を通っているかも。」と思い直し、林道から家々へと向かう踏み跡へと分け入り、小さな集落まで登ることにします。

とある家の下にある畑跡へと出たところ、地元の人と遭遇しました。見た目60歳代から70歳代くらいの男性です。よもやこんな場所に人がいるとは思わず、ちょっとびっくりしましたが、「こんにちは。」とあいさつします。

ここからしばらく男性との会話を記します。

男性:俺は身内が休みで帰ってくるから、ここで山菜を取ってたんだけど、アンタはこんな所で何してるの?
私:霧石峠まで行きたくて歩いていました。
男性:それなら、そこの林道(私が先ほど歩いていた林道。)を歩いていけばいい。峠まで続いている。
私:いえ、昔の峠道で行けないものかと道を探していました。林道は斜面が高い所まで固められていて取り付けなかったので、ここまで戻ってきました。
男性:ああ、土砂崩れが酷くて工事したからな。あんなことしてもどうしようもないのになぁ。
私:それで、昔の道なら家の前を通っていないかと思って、ここまで登ってきたんです。
男性:確かにこの上に見えている家の前の道が昔の霧石峠へ行く「赤線」(いわゆる里道のこと。)だった。峠から漆島まで下りていくんだよ。
私:漆島から霧石峠へは以前に登ったので、今度は山内から登れないかと思いまして。
男性:漆島からは登ったのか。あの道はきつくて「十三曲がり」と呼んでいたわ。

こんな会話をした後で、男性から次のように言われます。

男性:俺は猟をするからここら辺の山はよく知ってるし、峠道がどこを通っていたのかも知っているから霧石峠まで行けるけど…。上の家の先にある廃屋の所から道があったんだけど、どうかなぁ…。道跡が薄く残っている場所もあるけど…。

どうにも歯切れが悪い…。同じような内容の話を繰り返し言われます。どうやら昔の峠道で霧石峠へと向かうのは困難なようです…。

それ以外にも雑談をして、以下のような話を聞かせてもらえました。
・昔はこんな所に誰も来なかったけど、今はいろんな奴が入ってくる。アンタのような山登りする奴はいいけど、空き家を狙ってくる奴もいるから困ったもんだよ。
・子どもの頃は毎日40分くらいかけて峠道を歩いて、粟世の小学校(旧三沢小学校)まで通っていたよ。
・この辺りの山は、昔は蒲郡の竹本油脂が持っていたんだよ。今は違う会社の所有になってしまったがね。
・電車に乗る時は日が出る前から出かけて、霧石峠まで登ってから漆島へ下りて、カワカミヤ(川上屋?)の所に出て、大嵐(大嵐駅)から豊橋へ行ったりしたもんだよ。この辺りから電車に乗るなら大嵐が近いからね。

今回歩いてきた粟世から山内の峠道を通学路として毎日歩いていたとか、電車に乗るために標高900mの霧石峠を上り下りして、さらに飯田線大嵐駅まで歩いて電車に乗っていたとか、昔の人のタフネス振りには本当に驚かされます。しかもこの方、今も猟で山の中を歩き回っているわけですし(笑)。

霧石峠を徒歩で越えて大嵐駅まで行っていたのは、おそらくマイカー時代が到来する昭和40年代以前の話でしょうけどね(ちなみに峠の北方4〜5kmに霧石トンネルが開通したのは、ようやく昭和49年(1974年)のこと。)。

残念な事に、徒歩での峠越えが昭和何年頃までの話なのか、尋ね忘れたんですよね…。戦前の地形図に当てはめると、山内から大嵐駅までこんなルートで歩いていたはずです。

※ひなたGISより引用。

あとは、飯田線大嵐駅は旧富山村の玄関駅というイメージが強かったですが、霧石峠を越えて豊根村域からの利用もあったというのは目からウロコでした。

生まれてこの方、車社会が当たり前の私では、長距離の移動手段として「徒歩」もあるということが、頭の中に存在していないんだなと実感しました。

それから、漆島から霧石峠までの峠道が「十三曲がり」と呼ばれていたことは、地誌類で読んだことがなく、やはり地元の人に話を聞くといろんな情報が手に入りますね。

さて、「取りあえず霧石峠へ向かってみます。」と男性とお別れして、言われたとおりに家の前を進んでいってみます。


男性が言っていたとおり、家を通り過ぎてからは道筋が全く見い出せません…。






岩肌剥き出しの沢へと出てきました。さすがにこれを渡ることは困難です。峠道と交差することを期待して、ここから直登していきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

どれだけ斜面を直登しても道と思しき平場と交差することはありませんでした。ここはもう割り切って、尾根を通る林道まで一気に登ることにします。


林道へと出てきました。ここからは林道の下側を眺めて峠道の痕跡を探しつつ進みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠道の痕跡を見つけることなく林道の分岐点へと出てきました。ここで霧石峠方面となる赤矢印の方向へと進みます。


この分岐点には無縁碑が立っていました。


この林道は山内~霧石峠間の峠道をなぞるルートのようですが、これといった遺構は見つけられませんでした。


林道豊富線へと出てきました。ここからは舗装林道を霧石峠まで歩いていきます。


場所はこちら。


林道豊富線を歩くこと8分ほど、霧石峠に到着です。結局、山内~霧石峠間の峠道については、ほとんどその痕跡を見い出すことができず、消化不良な感じに終わりました…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ともあれ、これにて今回予定していた探索は終了。ここからどうやって駐車場所へと戻るか、あらためて考えます(山内~霧石峠の峠道が明瞭に残っていれば、そのまま引き返すつもりだった。)。

結論としては、最短で古真立川沿いを通る県道429号へ出ることができる霧石峠~大立間の峠道を通ることにしました。県道まで出ることができれば、距離はあろうとも後は舗装路を歩くのみです。

戦前の地形図内、赤線で記した道となります。

※ひなたGISより引用。

ここから大立へと下っていきます。現在の地形図でもこの斜面を下っていく破線道(徒歩道)が記されていますが、実際には細い踏み跡がかろうじて付いているだけです。




まだそこそこの距離しか歩いていないのに、恐れていた事態が発生しました。道筋の消失です…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢沿いを進むのが困難なため、山側の斜面を登り、植林地内を迂回していきます。

ただ、迂回ルートにした植林地もどこを向いても急傾斜地ばかり…。いざ山を下る段になり、あっちの杉、こっちの杉へと幹にしがみ付きながら慎重に慎重に下りますが、足元の斜面の先がどうなっているのか見えない状況が続きます…。


「最悪、この斜面を引き返すのか…。」とも想像しましたが、何とか無事に沢へと降り立つことができました。ヤレヤレです…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢の中を歩いて進んでいくと、ようやく真っ当な道筋が現れました(それでも所々、ヤバ目な場所もありましたが…。)。






「これで県道に出るまで道筋を辿っていけるかな。」と淡い期待が出てきました。


残念ながら、まだまだ楽には進ませてはくれないようです…。


道筋が消失しているうえに、大量の倒木が折り重なっています。昨今の豪雨・大雨の影響でしょうか。


沢を挟んで、右岸・左岸を右往左往しつつ、倒木を避けたり跨いだりしながら少しづつ前進してきます。


倒木地帯を過ぎたら、次は放置された間伐材が待ち構えています…。


岩陰でちょっと一息。


まだまだ仕打ちが続きます(笑)。


ようやく、多少まともな道になってきました(細いですけどね。)。


そう思えたのも束の間、崩落箇所に遭遇…。「ここまで進ませておいて引き返させるの…?」と嘆きたくなりましたが、かろうじて両足幅の迂回路が付けられていたので(それも大概な場所にでしたが…。)突破できました。


引き続いてガレた枯れ沢を横断。これくらいなら全然マシです(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

もはや踏み跡も怪しい中、植林地を進んでいくと眼下に県道429号が見えてきました。これでようやく無事に帰れる算段が付きました。




おまけで、歩いてきた峠道の終端がどうなっているかを確認。よくあるパターンで、県道に削られて終わっていました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

県道を少し逆戻りして、大立不動滝を写真に撮ります。


この後も気になる場所へ寄り道しましたが、目立った成果は無かったので省略。

県道429号と426号の交差点まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで偶然、立ち話をした男性が軽四でやって来て鉢合わせ。

男性:峠道はわかったかい?
私:いやぁ、全然わからなかったので、上を通る林道まで直接登りました。
男性:霧石峠へは行けたのかい?
私:ええ。峠まで行って、そこから大立へと下りてきました。
男性:そうか。粟世まで気を付けていけよ。

「えっ、粟世まで送ってくれる展開じゃないの?(笑)」と思いつつ、もうひと踏ん張りと黙々歩いていきました。

17時25分、やっと駐車場所へと戻ってくることができました。


それでは、今回の探索ルート図と比較用の戦前の地形図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※ひなたGISより引用。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※ひなたGISより引用。

登山用アプリによると、移動距離は15.2km、所要時間は9時間12分と、今までの探索の中では最長の距離・時間となりました。もっとも、大立から粟世までの「帰り道」は県道を歩いただけなので、実質はもっと少ないわけですけどね。

これでひとまず、霧石峠とその周辺の峠道にかかる探索は一区切りといったところです。豊根村内で探索できそうな道はまだまだありそうですが、また違う場所へ目を移したい気分といったところですかね。
Posted at 2024/09/17 23:44:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 豊根村 廃道 | 日記

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