2024年8月24日(土)、豊田市梨野町内の古道を下見がてら少し歩いてきました。
さて、もともとこの日は特に予定はなく、「ぶらっと三河の山の中をドライブしてくるか。」と出かけてきました。自宅から額田郡幸田町・岡崎市本宿町と経由して、豊田市阿蔵町までやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここの国道沿いには、古そうな石碑が立っております。ずっと昔から存在は知っていましたが、いつも素通りしていたので、今回は立ち寄ってみました。
まず一つ目。「丹後国文殊芥」と彫られています。何を表すのかはわかりませんが、「丹後国・文殊」で検索すると「日本三文殊」の一つである「智恩寺」がヒットします。もしかしたらこのお寺へ参拝したことを記念した石碑なのかもしれません。
二つ目は「奉納 四国 西国 秩父 坂東 神社佛閣順拝供羪塔」。いわゆる百八十八番供養塔と呼ばれるものですね。四国88か所、西国33か所、秩父34か所、坂東33か所の合計188か所の霊場を巡礼した記念に立てられる供養塔です。
三つ目は「三峰神社」。これは埼玉県秩父市三峰にある「三峯神社」のことでしょう。石碑の下部には同社の信仰を象徴する「山犬」が彫られています。
石碑を見終えて、「ここまで来たなら、ついでに梨野からの古道を少し探ってみるか。」と思い立ち、豊田市梨野町へと移動。梨野の集落から少し外れた場所から、古道が通っていたと思われる林道へと入り込んでみます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ちなみにこちらは戦前の旧版地形図。現在の国道420号は、梨野から豊田市足助町へ向かって大見川に沿って進んでいますが、梨野から足助方面へはさらに並行するように尾根道が通っていて、これを少し探ってみようという訳です。

※ひなたGISより引用。
林道をしばらく歩いていくと、古道らしい道が分岐しているのを見つけ、そちらへと進んでいきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
思っていたよりもきれいに道筋が残っています。
ふたたび林道へと出てきました。おそらく古道はこの林道と交差する形で通っていたはずなので、右側へと分岐していく道筋を探します。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
林道に切り崩された斜面に道筋らしきものが残っていたので、入り込んでいきます。
しばらくすると、ふたたびはっきりした形で掘割道が現れました。周囲の地形に対して道筋が深く掘り込まれていて、かつてはこれだけの労力をかけるだけの利用があったことが想像されます。
ちょっとした峠に出てきました。ここから先は作業道へと改変されていました。
峠からしばらく歩くと、右側へ踏み跡と思しき窪みが分岐していたので、少し辿ってみます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
一応、道らしき浅い窪みが続いていましたが、やがて消えてしまったため、作業道へと戻りました。
そして、歩いてきた作業道も林道へと合流。
この先はしばらく林道が続くようで、前方では山仕事をしている作業音が聞こえていたこともあり、この交差点で引き返すことにしました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
林道入口の駐車場所まで戻ってきました。
今回はドライブのついでにちょっと立ち寄っただけなので、軽装で靴も普段履きのままでした。この古道を踏査しようとすると10km以上は歩くことになるので、次回はきちんとした格好で、必要なものも持参した上で来る必要があります。
ただ、林道への改変が進んでいるようなので、歩き通すより、地形図に載っていない箇所で古道をつまみ食いする方が面白味があるかもしれませんけどね。
Posted at 2025/04/13 17:13:59 | |
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