10日土曜日、再び福島市西部、松川の渓谷沿いに残る廃隧道群を訪れました。前回、9月の5連休の時、第5号隧道を前に引き返すことになりましたが、どうにも気が治まらず、この10月の3連休に再訪することをすぐに決めていました。
さて、福島市の天気を週間予報でチェックしてみると、どうも日曜日は雨天の様子。体力的に厳しいですが、土曜日を移動日に当てるのはやめて、到着後すぐにアタックすることにします。
自宅を午前2時に出発。東京までは快調でしたが、東北道川口ICから栃木ICまで断続渋滞が続いた影響で、現地への到着が昼の12時になってしまいました。また、予報では晴天だった天気が徐々に曇天になってきているのも気がかりです。
大平地区の林道に車を停めて、前回戻って来た場所から雑木林へと入り込み、廃線跡へと続く急な斜面を下っていきます。
本当は少しでも距離が短くなるよう、第6号隧道の前に出るつもりで尾根を下っていましたが、逆に第7号隧道の側壁の上に出てきてしまいました。やはり土地勘のない山は難しいです。
また登り直すのも面倒だったので、側壁にある横坑にリックサックを放り込んで、四つん這いになってトンネルの中に入り込みます。いきなりの訪問者にコウモリの大群はまたも大混乱です。
外に出てきました。
さらに第6号隧道を通過します。
初代松川橋梁跡へとやって来ました。
松川の河原へ降りるため、橋脚のたもとを縫いながら斜面を下っていきます。2回ほど、土に隠れた煉瓦の塊に足を滑らせ、尻餅を搗いてしまいました。
河原から遥か上にある初代松川橋梁跡の福島側橋台を見上げます。
松川の水量は前回来た時よりも減っています。今回は橋跡から下流側へと進んで第5号隧道へとアプローチできそうです。
河原を下流側へと歩き、比較的取り付きやすそうな斜面から登り始めます。河原からけっこうな高さを登ると、ようやく第5号隧道へ続くと思われる平場へと出ました。何となく道らしきものが奥へと続いているのが見て取れるかと思います。
ついに初代第5号隧道の米沢側坑口へとやって来ました。
トンネル前のスペースは初代松川橋梁跡の橋台があるだけで、全体像の撮影ができるだけの余裕はありません。
これは初代第5号隧道の前にある橋台を側面から撮ったものです。前は切り立つ断崖です。
第5号隧道を表す「5」のプレートがかろうじて壁面にくっついています。
前回辿ろうとした斜面を見下ろします。ここを登ってきた人たちもいるわけですが、私にはやはり無理ですね。
トンネル坑口付近の内壁は焼過煉瓦による線条模様が施されています。
初代第5号隧道米沢側の坑口を後にします。
初代第5号隧道福島側の坑口に戻ってきました。
初代第5号隧道福島側坑口
この写真の右手側斜面から登ってきました。「比較的」登りやすいルートとはいえ、滑落の危険がある箇所もあるので気は抜けません。
福島側へと線路跡を歩いていくと二代目第5号隧道の側壁が現れます。
二代目第5号隧道福島側坑口
二代目第5号隧道は、初代第5号隧道から第7号隧道を通るルートが明治44年に放棄されることに伴い、新たに建設されたルートのトンネルとなります。
二代目第5号隧道の側壁の奥に初代第5号隧道がチラリと見えます。
二代目第5号隧道福島側坑口の先には、蝮沢橋梁跡と第4号隧道が見えています。
手前の深く鋭い沢はとても容易に渡れるものではなく、この先に進むことは素直にやめました。
蝮沢橋梁跡の米沢側橋台
さて、今度は二代目第5号隧道をくぐって米沢側坑口へと向かいます。
ゆるく長い左カーブの先に坑口がありました。
二代目第5号隧道米沢側坑口
上部の煉瓦が剥落しかかっています。
第5号隧道を表す「5」のペイントが施されています。
この先に続く長谷橋梁跡の橋台です。
橋台の脇を慎重に下り、長谷橋梁跡の次の橋脚へと向かいます。
長谷橋梁跡橋台・橋脚
長谷橋梁跡の橋脚を伝ってこの先に進んでいくと二代目第6号隧道がありますが、こちら側も深く鋭い沢が行く手を阻んでおり、この写真を撮影した地点で引き返すことにしました。
一旦、福島側の橋台のたもとまで戻り、時刻を確認。すでに14時を回っていたため、これで探索を終了することとしました。
二代目第5号隧道と長谷橋梁跡の橋脚を見上げながら、直接、松川の河原へと下ることにします。
万一、滑り落ちても木で止まるようなルートを取りながら、一歩一歩降りていきます。
無事に河原へとたどり着きました。ここでアンパンをほおばって一息つきます。
川を渡り、最後に初代第5号隧道のある橋台を見上げます。さっきまであの上に居たわけですね。
ここから後ははひたすら登るだけ。まずは初代松川橋梁跡の橋脚脇をよじ登ります。
第6号隧道を通り抜けて、再び第7号隧道の前にやって来ました。
帰るためには、ここから高低差100m強の急斜面を直登していくことになります。初めは第7号隧道の上にあった道跡と思しきものを辿って上の林道へと戻ろうとしましたが、間もなくわからなくなってしまい、「やはり直登するしかないのか・・・・。」と腹をくくり、急斜面の最後の辺りは足元がフラフラになりながらも気力だけで登っていきました。第7号隧道から約20分、車に着いた時にはまたしても吐き気をもよおす程に息が上がっておりました。
危険箇所が多いこともさることながら、最後の最後に体力勝負となるこの廃線跡はなかなかキビシイ場所でした・・・・。