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小林あにのブログ一覧

2019年07月07日 イイね!

山梨県清里の「ROCK」へ出かけてきました

2019年7月6日土曜日、弟の誘いで山梨県清里にあるレストラン「ROCK」へ出かけてきました。年1回くらい訪れていますね。

自宅から中央道飯田山本ICまでは国道153号を走行。中央道に乗り諏訪ICへ。諏訪ICからは国道20号で小淵沢へ行こうと思いましたが、TGRラリー八ヶ岳茅野戦の会場だった茅野市運動公園前や市内のリエゾンルートを寄り道しているうちに予定ルートを外れてしまいました。

ルート変更して国道20号よりも八ヶ岳寄りを通る県道17号茅野北杜韮崎線で小淵沢方面へと向かいます。この道は甲州街道「原路」と呼ばれて、現在の国道20号のルートに当たる「河路」が通行不能の際の迂回路だったそうです。確かに古い道らしく集落を縫ってクネクネと屈曲した道が続いていました。

中央道小淵沢IC付近からは県道11号北杜富士見線で一路清里へ。

「ROCK」へ到着です。曇天で気温が低く、なかなか過ごしやすい感じでした。



今回は定番のカレーで「ベーコン&ファイヤードッグカレー」をいただきました。



お土産は、八ヶ岳ビールタッチダウン。



たまたまレジには舩木さんがいて、顔を覚えてもらった弟が少々雑談。お土産代をちょっとオマケしてくれました(笑)。

店が混雑しているため(いつものことですが。)、食事をしてお土産を買ったら長居はせずに店外へ。「ROCK」での滞在時間は30~40分ほどでした。

さて、次はどこへ行こうかということになり、取りあえず野辺山高原の鉄道最高地点へ行ってみることにします。

わざわざ木々が覆いかぶさり通りにくい旧国道を通り(笑)、JR線の国内最高地点となる踏切へとやって来ました。踏切名は第3甲州街道踏切。この踏切も旧国道にあります。





清里駅側の勾配は22パーミル(1000m進んで22m高低差がつく勾配。)。鉄道ではなかなかの急勾配。



野辺山駅側は3パーミル。



ちょうど列車が登って来たので写真を撮りました。JR東日本のキハ110系ディーゼルカーですね。



続いては野辺山駅へ。こちらも駅としてJR線国内最高地点です。







このまま野辺山駅前でしばらく駅を眺めながら休憩。次は、佐久市内にある珍しい形状の城址へと向かいます。

龍岡城址。城の形状から龍岡城五稜郭とも呼ばれている西洋式城郭です。





現在、城址は小学校の敷地となっていますが、土曜日で休校日のためか出入りは自由だったので、校庭を通り抜けてから、城址の外周を巡ってみることにします。



五角形の形状に合わせて、堀も一直線ではなく角度が付けられています。



堀は城址の全周に設けられているわけではなく、途中で切れてしまっています。



背丈よりやや高い石垣が続いています。



☆形の左肩の角です。



角の先の辺に続く石垣。こちらの辺は畑に面しているので、一番近付ける道から眺めます。





石造りの排水口が見えますね。畦道を歩いて近づいて見たかったですが止めました(笑)。



☆形の左下の角です。ここは「カド」ではなく丸く造形されています。



川沿いの辺になります。木々や薮で鬱蒼としています。



ふたたび堀が現れました。造りからして、かつては水門が設けられていたかもしれません。





堀沿いの土塁の上を歩いていきます。



☆形の右下の角です。



この辺の堀は凹型に造られています。





☆型の右肩の角です。写真ではあまり見えませんが、水の中には鯉がうじゃうじゃ泳いでいます。



ここは角の石が見えてたので乗っかってみました(笑)。



正門に戻り、これで城址を一周してきました。



正門脇の堀には蓮が密生していましたが見頃はこれからなのかな?



最後に☆型のてっぺんの角です。



ここは城の形が見どころなので、本当は平面で見るよりは高台や展望台などがあれば良いのですが、適当な場所がないのが残念です。

このような西洋式城郭がなぜこの場所に築城されたのかというと、当時の藩主の学問的興味によるものという説がありますが、同意できますね。

素人目に見ても、城の周りは高い山に囲まれていて敵方に山を占拠されることがあれば攻撃されほうだい。城そのものも平坦地にあって、地形を利用した防御が困難な立地なのに、堀の幅が狭いうえに城の全周を囲っていないのですから。

そうだとしても、日本の普通の城にはない形状はなかなか興味深いものでした。国道141号からけっこう入り込んだ場所にあるのですが、入れ替わり立ち替わり見物客が訪れるのには少々驚きました。

さて、ここで時間も15時になったので、帰ることにします。帰り道は、国道141号から国道142号へ入り、中央道岡谷ICへのルートを取ります。

道中、佐久市望月からは国道を離れて旧中山道を進みました。望月宿から茂田井宿を通り、芦田宿までです。途中の茂田井宿は車がすれ違えないほどの狭い道でしたが、そのおかげか昔ながらの旧家が道沿いにずっと続いており、妻籠や奈良井のような整備された宿場町とは違った、本来の宿場町の面影が色濃く残っていました。

芦田宿を出たところで車で通り抜けられる旧道が終わるので、いったん国道142号に出て、トイレ休憩のために少し先にある旧中山道笠取峠の松並木に立ち寄ります。





引き続いて笠取峠の旧国道を辿り、小県郡長和町の長久保宿を通り抜けて、ふたたび国道142号へ復帰。気温15℃の新和田トンネルを越えて帰っていきました。
Posted at 2019/07/07 09:38:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2019年07月01日 イイね!

宇連ダムとダム湖北端の廃道・川合の集落

2019年6月30日日曜日、早朝からひとりでドライブしてきました。土曜日に車検から車が戻って来て、佐久間ダム辺りまで慣らしでドライブしようかと思い立ったからです。

新東名岡崎東ICから高速に乗って、浜松いなさJCTから三遠南信道へ入り、鳳来峡ICまで来ました。

朝御飯がまだだったので、鳳来峡IC近くのコンビニでおにぎりとパンを購入。どこで食べようかなと考えて、「宇連ダムが近いから行ってみるか。」と最初の予定を変更して、愛知県道424号へ入り込みます。

狭い山道を進んでいくと間もなく宇連ダムに到着です。少し前に貯水率0%で話題になりました。




ダムの写真を少々撮り、さらに奥へと進んでみます。

八石橋。なかなか年季を感じさせる風情です。


どんどん奥へと進んでいき、ダム湖が終わる辺りで橋台と思われるようなものが目に留まったので、車を停めて確認しに行ってみることにしました。


ちょうど、斜面に踏み跡が付いていたので降りていってみます。

「おおっ、橋台じゃなくて、でかい堰堤の跡だな。きっと、宇連ダムをつくる時に壊しきれなかったんだな。」と初めはそう思いました。


しかし、よくよく表面を見てみると石積みでもないし、コンクリートでもない。天然の岩のような雰囲気。


より近づいて見ても、自然の造形というには不自然すぎる光景なのですが、断面をみると間違いなく岩でしかない。


「こんな岩もあるんだ!」と自分としては珍しく、本当に驚いてしまいました。


興味がわいたので帰宅後に調べてみたところ、この屏風状の巨岩は、この辺り一帯に広がる凝灰岩を突き破って噴き出してきた溶岩が冷え固まってできた安山岩だそうです。この宇連ダムのダム湖内には、このような安山岩の岩脈が12本あるそうで、その内の1本とのことでした。

ちょっと興奮を残しつつ、次はその先に見えていた石積みの擁壁に目をやります。


これは県道424号の旧道でしょう(この道がダム湖に沈んだ当時は、まだ県道ではありませんが。)。立派な擁壁です。


道跡が下流へと向かって続いています。誘惑に駆られて跡を辿ってみることにします。


この岩、道を通すために削られたようです。


目の前に広がった平地に、道跡が真っ直ぐに続いています。


脇にコンクリートの基礎が残っていました。そんなに大きくはなく、ちょっとした塔などの基礎ではないかと思います。


平地を通り抜けると小さな橋の跡が現れました。


横から見ると、橋というよりは小さな暗渠みたいです。側面は石積みで補強されています。




もう少し先にも、少し小振りですが同じ造りの暗渠が残ってました。




この先で道跡は無くなってしまいます。


本来は、目の前にある大きな一枚岩を迂回するように築堤で道が築かれていたようですが、恐らく、湖水で洗い流されてしまったのだと思います。
岩の上部(高さ20mくらい。)を高巻きして迂回すれば、先に進めなくもないようでしたが、雨で濡れていましたし、岩の上にはたくさんの瓦礫が転がっていて、うっかり滑ったら瓦礫ごとダム湖へ沈むことになりそうだったので、これ以上進むのは止めました。

目の前に岩を削って造った切通しが見えていて、本当は行ってみたかったですけどね。まあ安全第一ということで。


降りてきた付近まで戻ってきました。明瞭な道跡が見て取れますね。


上流側も辿ってみることにします。


しかし、ほどなく道跡は無くなってしまいました。現道の下敷きになってしまったようです。


本当はドライブだけで、汗をかくつもりはなかったんですけどね(笑)。この後に、ようやくコンビニで買った朝食を食べました。

次は、最寄りの駅であるJR飯田線の三河川合駅へとやって来ました。


この駅は、1923年(大正12年)2月1日開業。1933年(昭和8年)12月20日まで終着駅でした。




一時期は終着駅であったことと、宇連ダム建設時には資材搬入の拠点となっていたことで、それらの名残りなのか広い駅構内となっています。




真新しい手動転轍機ですね。


無人駅なのをこれ幸いにいろいろ見物いたしました。

さて、駅前通りから旧国道へ出ようと一時停止したところ、真正面にある物に釘付けになりました。一旦、車をバックさせてから路肩に寄せて駐車。カメラを持ってある物に向かいます。

「徐行」の旧標識。私自身は愛知県内では北設楽郡設楽町内の県道10号で1つ見たことがあるだけです。


ここの旧国道は2、3回くらい通ったことがありますが、今まで全然気が付きませんでした。

この向きで立っていては、ちょっとわかりづらい気もしますが(笑)。


他にも何かないかなと川合の集落をウロウロしてみます。

こちらは、消防団の屯所跡。新城市指定文化財で大正10年代の建築と見られ、「コロニアルスタイル」と呼ばれる洋風建築物だそうです。ちょうど駅ができた頃に当たりますね。


こちらは「大橋」。親柱のデザインから見て、愛知県建設の戦前以前の橋です。




愛知県の街道を調べている方によると、石積みの橋脚は明治時代に架橋されたものをそのまま流用しているようです。




川合の集落での収穫は以上というところでした。

まだお昼まで間があったので、土砂降りの中、国道151号をさらに北上。長野県境との新野峠を越えて、道の駅「信州新野千石平」まで来ました。


お昼ご飯は唐揚げ定食。ここへ来るといつもこの定食ばかり食べてます(笑)。


食べ終えたところで弟に電話をして、「焼き山栗買っていくか?」と確認。欲しいとのことだったので2袋購入。降り続く土砂降りの中、ようやく家路へとつきました。
Posted at 2019/07/01 22:46:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「【新城市】槇原川沿いの伐木作業軌道跡を探索する(2) http://cvw.jp/b/1796277/48659559/
何シテル?   09/17 00:08
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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