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小林あにのブログ一覧

2019年08月27日 イイね!

田原市までドライブしてきました

今日もお休みで(最近、週3日出勤です(笑)。)、ひとり豊橋鉄道渥美線でも乗ってこようかと出かける支度をしていたところ、母に「どこか出かけるなら連れてって。」と言われ、急きょ予定変更。渥美半島にある田原市までドライブすることにしました。

やって来たのは、サンテパルクたはら。



「農業公園」というテーマで造られた施設ですが、わざわざここへとやって来た理由はこれ。



この施設に展示されている豊橋鉄道の電気機関車と電動貨車が目的。

私は展示車両を見て、母には産直コーナーで野菜でも買ってもらえば良かろうという算段です(笑)。

さっそく、展示車両を見物します。

電気機関車「デキ211」。1925年(大正14年)製で、1997年(平成9年)に廃車となったそうです。貨物輸送や車庫での入れ替え作業に従事しました。



いわゆる凸型電気機関車ですね。



「211」の書体が何となく名鉄の車両っぽいです(断言できる知識はないので。)。



車内も見物できるので乗り込んでみます。

運転台は線路に対して横向きに設置されています。これならば、運転士が首を向ける方向を変えるだけで前後どちらにもすぐに走行可能です(笑)。



ボンネット?下の部分には色々な機器やタンクが設置されています。



しかし、片方のボンネット?下はがらんどう…。機器類を撤去した感じは無く、思わず「えっ、なんで?凸型はこういうもんなの?」と口に出てしまいました(笑)。



地方私鉄で扱うような小さな電気機関車なので、運転室の見物はあっけなく終了。最後にとりあえずパンタグラフを撮っておきます。



次は、電動貨車「デワ11」。元々は、1923年(大正12年)製の電車でしたが、貨物輸送増強のために1943年(昭和18年)に電動貨車に改造されたそうです。1997年(平成9年)に廃車となりました。



貨物輸送用には能力不足だったようで、早々に駅や車庫での貨車や電車の入れ替え作業がメインになったそうです。結果的には、それが長生きにつながりました。

側面は、窓があることを除けば貨車ですね。



「豊橋」とあるのは、豊橋鉄道所属という意味でしょうか。



貨車なので、室内はすっきりとしています。



天井も外板が剥き出し。作業灯なのか白熱灯が付いています。



運転台の装備もいたって簡素で主幹制御器とハンドルを回して制動する手ブレーキのみ。座席すらありません。



主幹制御器には「東洋電機製造株式会社」の刻印があります。



運転室の天井部は、板材を曲げ加工してあります。



電動貨車。今となっては珍しい存在です。



最後に、公園に隣接する芦ヶ池を。



私は展示車両を満喫できたし、母もひとまず満足したようで、帰路につきます。

途中、1か所だけ寄り道。豊橋鉄道渥美線の老津駅にやって来ました。



この駅の東の外れに車両基地の予定地として引かれたレールが残っていると、ある方の記事を読みやって来ました。

確かに渥美線の脇に何本か雑草に埋もれたレールが見えています。



しかし、これは草が枯れる冬にでも出直した方がよさそうですね。



老津駅周辺を歩き回っている時にまたも雨が…。傘を持ってきていなかったのでずぶ濡れになりましたが、もはやそんなことは慣れっこなので、気にも留めませんでしたけどね。

結局、その後はずっと雨。最後に母の買い物に付き合ってから帰りました。

Posted at 2019/08/27 22:10:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

山陽本線三石駅周辺の煉瓦アーチ群

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブに行ってきました。

津山市内で、「津山まなびの鉄道館」と「津山城址」を見物。最後に向かったのは、備前市三石地区。山陽本線三石駅周辺の煉瓦アーチ群を見るためです。この周辺は、明治23年(1890年)から明治24年(1891年)にかけて開通しています。

津山市から吉井川沿いに60km。備前市三石地区にやって来ました。

初めに山陽本線三石駅に行きましたが、契約者用以外の駐車場がよくわからず、しばし三石の街の中をグルグルと周回。結局、街からやや外れた旧国道の路肩に駐車。街中へと徒歩で向かいます。

雨がパラパラと降り始めてきましたが、気にせず歩いていきます。

最初にやって来たのは、小屋谷川橋梁。上り線側です。




この橋梁(人道兼水路用トンネル)の内部は坂道になっているため、内部で煉瓦アーチに段差を付けてあるのが特徴です。








ここからが開通当時の煉瓦アーチ。手前は側壁が石積みですが、この先は側壁まで煉瓦積みです。


アーチの一部に焼過煉瓦を用いて、線条模様を付けてあります。


ここから先はまた建設された時代が違うと思われます。


振り返って真上を見たもの。かつての坑門と増設した側の坑門の間の隙間を石板で塞いでいます。


下り線側に出てきました。


薮で周りをすっぽりと覆われています。


土木学会選奨土木遺産のプレートです。


また坂を下り、三石駅の前を通り抜けます。


駅前から舟坂川に沿って歩いていきます。

鯉が2匹泳いでいるのを見つけました。鯉、でかいですね…。


川から離れて山陽本線に向かい住宅地を歩いていきます。

住宅の前に居た野良猫。帰りに通ったら3匹に増えてました。


2か所目の煉瓦アーチ、三石金剛川橋梁に着きました。


4連アーチ橋ですが、こちら側からはうまく収まりませんね。


上り線側は焼過煉瓦を使用。


下り線側が赤煉瓦に焼過煉瓦で線条模様を付けています。


下り線側へ回りました。頭上の橋桁は国道2号です。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


手前の橋の上から撮影。


橋脚部分を守るための隅石。


吉永駅側のアーチ。ここは歩行者や軽車両が通行できる幅の通路となっています。


翼壁は石積み。「布積み」で積まれています。


アーチとアーチの間にも焼過煉瓦を挿入して、縞模様を付けてあります。


全景を収めるには手前の橋が邪魔になりますね。


通路部分の隅石。アーチ部分は焼過煉瓦、線条模様はさらに色の濃い焼過煉瓦を使用しています。


アーチの継ぎ目部分。


隅石があることで、右手側のアーチが増設されたものだとわかります。


上り線側の隅石。


上り線側の壁面も、バラツキはありますが色の違う煉瓦を使用して縞模様を付けてあります。


上り線側の全景です。




3か所目は、野道架道橋。住宅地の奥にひっそりとあります。


ここも上り線側が焼過煉瓦で積まれています。


角の部分は、隅石の代わりに丸形の異形煉瓦が使われています。


内部は白華現象で真っ白。


やはり下り線側は赤煉瓦と焼過煉瓦の線条模様という構成です。


反対側はグラウンドでした。


三石金剛川橋梁と同じく、アーチ部が焼過煉瓦。壁面部分も焼過煉瓦で縞模様があります。




土木学会選奨土木遺産のプレート。


4か所目は、三石避溢橋。傾斜した頂部が特徴です。


上り線側は全面焼過煉瓦。


比較的大きなアーチ空間を確保しています。


上部の煉瓦は、本坂隧道で見るような黒い煉瓦を使っています。


坑口の下部は異形煉瓦。


上り線側は赤煉瓦に焼過煉瓦の線条模様。


規模が大きいだけあってか、側壁部分の線条模様の本数が多いです。


アーチ部分も鮮明に線条模様が見て取れます。


下り線側です。薄暗くなってきて、外でもフラッシュを使いました。


装飾の仕方は野道架道橋と同様のパターンです。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


5か所目、三石架道橋です。ちょうどこの場所で道路が屈曲していて見通しが悪いです。


通り抜ける道路は旧国道。このようなケースだと「第1▲▲街道架道橋」とかになるものですが、普通に地名が付けられています。


隅石の上にアーチを受け止めるための石が挟まれています。


ここも上り線側が焼過煉瓦、下り線側が赤煉瓦の構成。


不思議だったのは、下り線側の途中に石材が挟まれていること。


途中の石積みは互い違いに積まれているので、将来の増設をあらかじめ予定して造られていた噛み合わせだったのか?反対側に2本目の線路を線増したので、体裁を整えただけなのか?真相はわかりません。

下り線側です。今までと違い、焼過煉瓦による模様はありません。


土木学会選奨土木遺産のプレート。


三石架道橋の上り線側の真横には、光明寺というお寺があります(レンズに雨粒がついてしまった。)。


門前には天保4年(1833年)の銘がある灯篭。




「明治天皇三石行在所」の碑も立っており、古くからの由緒あるお寺と思われます。


このお寺の門前を流れる小川に、最後に訪れた寺前川橋梁があります。


ここも異形煉瓦が使われています。


天井部は焼過煉瓦がくっきりと見えます。


下り線側の線条模様。


この先は水が溜まって水深が深く、中もすっかり暗くなってしまったので、反対側へ抜けるのは止めました。

ここで日没終了。ライトを持ってきていませんでしたし、ここから300kmの道のりを帰らなければいけないので、よしとしました。土木学会の選奨土木遺産「三石の煉瓦拱橋群」としては、まだ数か所この先にあるんですが、またの機会とします。

今回は岡山県東部を4か所巡りました。出かけようと決めたのは数日前のことでしたし、津山市内を訪れることは予定していませんでしたが、満足いくドライブになりました。
Posted at 2019/08/26 00:44:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

津山まなびの鉄道館と津山城址

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブに出かけてきました。

最初に立ち寄ったのは、久米郡美咲町の「柵原ふれあい鉱山公園」。続いて向かったのは、そこから約25km離れた津山市内です。

やって来たのは、JR津山駅の西隣にある「津山まなびの鉄道館」。1936年(昭和11年)に建設された扇形機関車庫を再利用した鉄道館です。


敷地内へ入る前に扇形機関車庫の外周を見てみます。機関車庫内に外光を採り入れるため、大型のガラス窓が連続的に設置されています。


こちらが機関車庫です。


機関車庫の天井は、かつて配備されていたSLの煤煙で真っ黒です。


機関車庫の前に設置されている転車台。


展示車両です。

キハ33。


キハ181。特急やくものネームプレートが掲げられています。


キハ58。この車両だけ車内展示もしていました。




キハ28。


キハ52。勾配線区で活躍したディーゼルカーですね。


D51。2号機です。煙突からドームが伸びていて、「なめくじ」と呼ばれたタイプですね。


開いているスペースを覗くと、レールとレールの間にピットが掘られています。


DF50。電気式ディーゼル機関車です。電気式は、車内にディーゼル発電機を装備して、発電した電気によりモーターを駆動して走行するタイプの機関車です。


DD13。


DD15。除雪用のディーゼル機関車です。見えているのは除雪装置で、機関車本体はその後ろにあります。


DD51。かつてはSLを駆逐したディーゼル機関車として鉄道ファンに疎まれたこともありましが、現役機が減少してきた昨今では再注目されているようです。


10t貨物移動車。「重要機械 米子機械区」というプレートが貼られているところから、鳥取県の米子駅に在籍していたのでしょうか。


DE50。この機関車は、DD51の後継車両開発を目的として製作された量産先行試作車ですが、地方路線の電化推進や大型ディーゼル機関車の需要減により、量産されることはなかったそうです。


DD16。塗装の退色が激しいです。


展示車両は以上でした。

出入口とは反対側になる壁面。丸窓があって、おしゃれなところもありますね。


こちら側も大きなガラス窓が目立ちます。


隣の敷地には車両の留置線があって、多くのディーゼルカーが停まっています。


津山駅を遠望。この付近の拠点となる駅です。


ホームに岡山行きの列車が停車中。岡山行きなので、津山線の列車ですね。


あらためて転車台を撮影。




最後に場内の全景です。


規模は小さいものでしたが、1時間ほど滞在していました。

さて、次の目的地へ移動しようかと思いましたが、「津山なら津山城も見ておくか。」ということで、津山城址へ来ました。


思っていたよりもお城のある山が高いのがちょっと…。でもまあ、お城も好きですからね。こういう機会は大事にしないと。

城内への入口へ来ました。


入園料300円を払って入場します。


予想以上に高くて立派な石垣群です。使われている石も巨大な物ばかり。山陽と山陰を中継する津山へ城を置くことが重要視されていたことが伺えます。




備中櫓。復元再建した櫓だそうです。


息を切らさないよう、のんびりと登っていきます。


市街地の真ん中にある山なので、やはり眺めは抜群です。お城から東側の街並みです。


ちょっとコースから外れて、本丸の東側の小道を進みます。


最上部である本丸へと来ました。


天守台です。かつては4重5階の層塔型天守が立っていましたが、1873年(明治6年)の廃城令により、破却されたそうです。天守が写っている古写真が残っています。


天守台から西側の街並みの眺め。


天守台から城の北東部の眺め。


本当に眺めは抜群でした。明治時代に壊されていなければ、もっと良かったのでしょうけど、お城は旧時代の象徴でしたからね。

帰りものんびりと歩いて下ります。階段に使われている石も大きなもので段差が高く、いちいち「よいしょっ、よいしょっ。」と行かないといけないのが辛い…。安土城の大手口の階段の次にきつかったです。

駐車場まで戻ったらお土産を買って、ついでにソフトクリームも買いました(笑)。とにかく暑かったです…。

ここからは最後の目的地である備前市三石地区へと移動します。
Posted at 2019/08/25 22:31:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月25日 イイね!

柵原ふれあい鉱山公園へ行ってきました

2019年8月24日土曜日、岡山県内へとドライブしてきました。

最初に訪れたのは、久米郡美咲町にある「柵原ふれあい鉱山公園」。「柵原」は「やなはら」と読みます。1991年(平成3年)7月に廃止された同和鉱業片上鉄道の吉ヶ原駅を活用した同鉄道関係の展示と町内にあった柵原鉱山に関する資料館がある公園です。

自宅を4時30分頃出発。国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、新名神、名神、新名神、中国道、岡山美作道路、国道374号、県道26号と経由し、現地に9時20分頃到着しました。


高速道路を走っている間は、曇天で何ともあやしい天気でしたが、現地に着くころには晴れ上がり安心しました。本音で言うと曇り空が良かったですけどね(笑)。

最初に訪れたのは、旧吉ヶ原駅の駅舎。昭和6年開業時の建物で、鉄道営業時の頃の状態をほぼ保っているそうです。国の登録有形文化財に指定されています。






ホームへと出てみました。入場料は不要です。


最初に目に飛び込んできたのは、キハ702。1936年(昭和11年)製造だそうで、現在は「片上鉄道保存会」により月1回走行しているそうです。


先頭部の半円形状が特徴です。


こちらは駅の南端の線路上に留置されていたキハ303。こちらは1934年(昭和9年)製造で、こちらも動態保存されているそうです。


キハ303の後ろに留置されているキハ312。こちらは前述の2両より若くて1953年(昭和28年)製。塗装が傷んできています。


近くの建物脇に置かれていた台車。交換・修理用に保管されているものだそうです。銘板があり、「昭和10年 川崎車輌」とありました。


駅の南端部から駅構内を眺めたもの。


キハ702のところまで戻ってきました。


キハ702の下回りを覗いてみます。剥き出しのエンジン。いかにも時代物だと感じさせます。




排気管。最近のディーゼルカーだと屋根上まで排気管を伸ばして排気するパターンですが、トラックと同じ横出しです。


ラジエターでしょうか。小型のコアがたくさん並んでいます。


台車は骨組みが格子に組まれていてゴツイ印象。


この景色を見ているだけだと現役の田舎の駅といった趣きです。


駅名板。右下に記載されているやなはら(柵原)が終点でした。


同じく駅構内に留置されているDD13型ディーゼル機関車。現在は故障中のようです。この車両もだいぶ塗装が傷んできています。


公園に展示されていた柵原鉱山で使用されていたトロッコ用機関車やトロッコ。




色灯式信号機。実際に使用されていたものかは不明。


駅の北側に立っている「藤原人材竪坑櫓」のレプリカ。実物の高さは24mあったものを12mにして展示してあるそうです。


駅の北側にある踏切。


その踏切から駅構内を眺めたもの。




踏切から先も展示・体験走行用に線路が残されているので、線路沿いに歩いていきます。


終点駅が見えてきました。




走行用の終点・折り返しの駅は「黄福柵原駅」と言います。




ホーム上には本来の終点であった柵原駅の駅名板が設置されています。


黄福柵原駅手前の踏切。展示・体験走行時以外は「使用中止」の看板を掲げているようです。


ここから吉ヶ原駅まで、また線路沿いに歩いて戻ります。


最後は柵原鉱山資料館を見学。こちらは有料でしたが、出かけた先の地元の資料館を見るのは好きなので全然OK。


ここは毎月1回は保存車両を走行させているだけあって、車両も線路設備も整備されていて、単なる展示だけされている場所よりも、より現役時に近い状態が保たれているのがなかなか好印象でした。維持が大変だとは思いますが、続いてくれるといいですよね。

この後は、岡山県備前市方面へと行く予定をしていましたが、岡山県まで来ることはめったにないので、逆方向ですが25kmほど離れた津山市まで足を伸ばすことにしました。
Posted at 2019/08/25 20:19:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年08月22日 イイね!

名鉄三河線 三河知立駅で遊んできました

今日は夏休み2日目。といっても、平日の休みは何があるのかわからないので(職場からね。)、遠出する気もなく、近場で暇をつぶすパターンが多くなってしまいます。

昨日は、知多郡武豊町の廃線跡へと行ってきましたが、本日は名鉄三河線の三河知立駅へ行ってきました。車でですけどね(笑)。

今日も車の車外温度計が37℃とかいう暑さでしたが、知立駅前の市営駐車場に車を停めて(三河知立駅にはコインパーキングがないので。)、タオルで汗を拭きながら徒歩で向かいます。

最初にやって来たのは、三河八橋駅方にある三河線と名古屋本線の連絡線跡。貨物列車などが行き来した短い路線でしたが、1984年(昭和59年)に廃止されました。



駅構内に少しだけ線路が残っています。



かつての線路跡は駐車場になっています。



踏切跡にだけ複線でレールが取り残されています。



踏切跡の先の線路跡には住宅が建っているので迂回。迂回した先は、整地されて痕跡は何もありません。



名古屋本線との合流地点に来ました。電車を真正面から撮影するには良い場所です。



ふたたび三河知立駅へと戻ってきました。三河八橋駅方の踏切です。踏切の注意標識が機関車マークのままです。



適度に草生しているところがいい感じ。





側線が多いので保線用車両の滞泊に使われているようです。



知立駅方のポイント。ランプ部分がやや首を傾げていますね。



知立駅方の踏切から駅に進入する電車を撮りました。



ここでやっと駅舎に来ました。昔の駅舎は木造平屋の立派のものでしたが、今は名鉄の無人駅で標準的な雰囲気の駅舎です。





駅構内のポイント。



一周して三河八橋駅方の踏切まで来ました。



ここにあるポイントは電気転轍機と呼ばれるタイプのものですね。



知立行きの電車がやって来ました。



この駅で知立行きと猿投行きが列車交換します。三河線はワンマン対応の6000系に統一されてしまったので、見る側としては面白みに欠けますね。



駅の外周を一周したので、今度はホームへ入ろうと思い、自動券売機を操作してみたところ、入場券のボタンは無反応。販売していないようです。

このまま帰るのもありでしたが、せっかくなので名古屋本線知立駅まで歩いていき、電車に乗って三河知立駅のホームへと降り立ちました。



駅間0.7kmなので、苦になるような距離ではありませんですしね。

ホーム屋根は木造の古めかしいもの。現在使用中のホームには2番ホーム、3番ホームの番号が付されています。



1番ホームは写真右側のホームですが、永らく使用されていないようです。



現在の名古屋本線知立駅が1959年(昭和34年)に開業するまでは、付近の名古屋本線上に設置されていた(旧)知立駅まで、このホームから連絡通路が設けられていました。

ホーム上からポイントを眺めます。日常的には使用されていないためか、特に手入れもされていないようで、矢羽根の部分の塗料が剥げてきています。



三河八橋駅方の出発信号機。この駅は上下線と待避線の3線に両方向とも出発信号機が設置されていて、どの線路からでも両方向に出発可能のようです。



三河八橋駅方を遠望。



右方向へとカーブしていく線路が、かつての連絡線です。



旧1番ホームは2両編成の長さしかない昔ながらのホームですね(使っていないので当然ですが。)。



知立駅方の遠望です。信号機がある右カーブを曲がれば、すぐに知立駅です。



ということで、三河知立駅でした。



駅舎は改築されてしまっていますが、貨物も取り扱っていた昔の三河線の駅構内・配線の雰囲気をよく残している駅です。私が小さい頃は、三河線にはこんな感じの駅がけっこうありましたが、駅構内がどんどん整理・縮小されて、小ぎれいでこじんまりとした駅ばかりになりました。

三河知立駅も早晩、知立駅周辺の連続立体高架事業により移転することが予定されていて、また一つ昔ながらの駅が消えることになります。
Posted at 2019/08/22 20:58:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 名鉄三河線 | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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