2020年10月3日土曜日、浜松市天竜区水窪町山住にある静岡県道389号釜の口橋から同じく水窪町山住の臼ガ森集落までの古道を踏破しました。この付近を通過する県道389号の旧旧道に当たる道になります。
地形図はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
古道ながら、現在も徒歩道(破線)として地図に表示されていますが、実際のルートは延々と急坂が続いており、比較的等高線に沿うように示されている徒歩道(破線)よりも、更に標高の高い所を通っているように感じました(赤線で示したルート。感覚としてですが。)。
戦前の地形図がこちら。赤枠内に実線と点線の組み合わせで示されている道が今回踏破した古道になります。

※5万分の1地形図「水窪」。明治41年(1908年)測図。明治44年(1911年)発行。
現在、この地区を通過する県道389号は、水窪河内川沿いを通っていますが、戦前の地形図には川沿いを通る道は全く記されていません。
本来なら比較的緩やかな傾斜である水窪河内川沿いに道を通したかったはずですが、一番のネックとなっていたのが高い絶壁に挟まれた「切通し峡」。
ここにようやく自動車道が開通したのは戦後の1954年(昭和29年)のことであり、それまでは、水窪の町と臼ガ森集落やさらに奥にある河内浦集落を連絡する道は、今回の古道がメインだったはずです。
また、この古道は、水窪の町と山住峠にある山住神社(山犬信仰で知られる。)や、さらに遠方にある秋葉山(火除け信仰で知られる。)とを結ぶ信仰の道でもあったそうです。
この古道以外にも、県道389号から30~40mほど上部の山腹を通る、明治・大正期のものと言われる古道(前回歩いた古道。県道389号から見ると旧道に当たる。)が断続的に残っていますが、正確な建設時期は不明であり、また、いつまで利用されていたのかも不明です。ちなみに、明治41年測図の地形図には記載されておらず、単純に考えるなら明治41年以降に開通したのかもしれません。
さて、午前中に前述の明治・大正期のものと言われる古道を探索し、次に釜の口橋から臼ガ森集落までの古道を探索するため、県道389号の釜の口橋へと移動してきました。
実は、1本目の古道でヤマビルに喰いつかれていて、出発する前に何か所喰われたのか確かめてみたら、12か所から出血してました(笑)。ほとんどは逃げおおせたようで、2匹だけ靴下の中から真ん丸になって出てきました。多分、逃げ遅れて私の足で団子にされたのでしょう。
さて、ここを流れる釜の沢川の左岸側から古道へと進入していきます。
はっきりとした道跡があるのは、釜の沢川に沿って行く道ですが、そちらへは行かず、県道沿いに向かう細い道へと進みます。
道跡の状態はあまり良くありませんが、歩いていくのに支障はありません。
さっそく、地形図には載っていないヘアピンカーブが現れました。
急な上り坂でグイグイと登っていきます。
所々、荒れた斜面が現れたり、倒木が横たわっています。特にこの先、倒木には泣かされることになります…。
地形図で古道を確認した時は、ある程度まで高度を稼いだら、等高線に沿うような感じで進むように記載されていましたが、実際にはまだまだ急坂で登っていきます。
こういう枝が広がったままの倒木は厄介です。まだ細い枝だったので、手で押してそらしたり、へし折ったりしながら進みます。
明るくて地面が脆い場所は、シダが生えていることが多い気がします。
2か所目のヘアピンカーブ区間。このヘアピンカーブも地形図には載っていないんですけどね。
地籍調査のピンクテープ。廃道歩きをしているとよく見かけるものの一つです。
さらに折り返して登っていきます。
道跡と同じ方向に倒れている倒木…。これも細い木なので、路肩に避けて、手で枝をそらせながら進んでいきます。
やっと倒木を通過したと思ったら、また急坂です…。
道の脇に石組みがあります。
初めは小さなお堂の跡かと思いましたが、すぐ上に炭焼き窯の跡である円形の石組みが残っていたので、作業小屋でも建っていたのかもしれません。
ちょっとした絶壁の上を歩いていきます。道幅があるので、気にはなりませんが。
道跡が細くなっています。土質が硬く締まっていて、その上に小石や砂が浮いている状態なので、こういう場所を通過する時の方が気を遣います。
道跡を落石してきた巨石が塞いでいるので、一段下を迂回していきます。
また厄介な倒木が現れました。今までのものと違い、複数の木々が絡み合っています。
上の斜面にも下の斜面にも迂回できそうになかったので、倒木に登って跨いでいきます。足場にしている枝が折れやしないかとちょっと不安でした。
大きな尾根から張り出している小さな尾根を越えていきます。
また急坂です。なかなか緩くなってくれません…。
3か所目のつづら折りです。
どこまで登っていくのか…。これが山登りなら「山頂」という終点がありますが、長い尾根を登っている道なので、なかなか終わりが見えません。
また小さな切通しを越えていきます。
太い倒木ですが、枝の付け根を足場にして跨いでいきます。
谷側に横木を設置して土留めしてあります。
この辺りは人が入ってくることがあるようです。こういう横木のようなちょっとしたものがあるだけでも道が残るので、本当助かります。
岩の間を通り抜けます。
左側の岩の上に石碑が立っています。釜の口橋からここまでで初めてです。この古道は信仰の道でもあったとのことで、もっと石仏や石碑があるのかと思っていたのですが…。
表面を見ると「牛観世音」とあります。馬頭観音ではなく牛観音。牛観音というのは初めて見ます。この道を通る牛の安全を願ったのか、この辺りで事故に遭った牛がいたのか。
施主は「山下 藤作」さんで、建立は大正14年(1925年)10月。大正14年に建立されたというのが意外でした。現県道の30mほど上の川沿いに明治から大正にかけて新道(この古道に対して。)が開通していたはずですが、それにもかかわらず、急坂が続くこの道を少なくとも大正14年頃に牛を連れて通行している人がいたわけです。
可能性としては、大正14年頃には新道が何らかの理由で利用できなくなっていたのかもしれません。午前中に辿った時でも、絶壁やいくつもの深い沢に行く手を阻まれました。それを思うと建設もさることながら、開通後の道路の維持管理も相当に手間がかかっていたでしょう。
開通後、早い時期に保守が立ち行かなくなって、放棄されたことも想定できます(例:明治33年に煉瓦造トンネルが開通した尾鷲市の旧坂下隧道とその峠道は、トンネルから尾鷲側の絶壁を通過する区間の保守に悩まされ、早くも明治44年には新たにトンネル・新道を建設し直す羽目に陥った。)。
想像は膨らみますが、所詮、想像ですので、まあこれくらいにしておきます。
石碑の先の路肩にミツバチの巣箱が。やはり、この辺りまでは人が入ってくるようです。
先へ進んでいくと、道が二股に分かれました。
まずは左側へと進んでみましたが、写真を撮った先で道跡がわからなくなってしまいました。
この時点で14時を回っており、さすがにいたずらに時間をかける余裕も無くなってきたので(体力的にも疲れが…。)、道がはっきりしている右側へと進んでいくことにしました。
横木が続いていますが、この辺りは機能発揮できず、道跡が消えてしまっていますね。心配するような事はなく、難なく通過していきます。
ここも土が流れて岩が露出し、歩きにくい場所。写真は通過してから撮りましたが、山側に布を割いてくくり付けたと思われる補助ロープがありました。
手をちょこんと添えるだけでも体は安定するので、こういうものでも助かります。
薄暗くなってきた林の中を一本道が続きます。十分間に合うでしょうが、日が陰る前には臼ガ森集落へ着かないといけません。
路肩に石垣が現れました。
上を見上げると幾段もの石垣が見えます。田んぼか畑の跡でしょうか。
どうやら臼ガ森集落に着いたようです。
廃屋が見えています(廃トンネルは平気で撮るくせに、廃屋を撮るのは何と言うか怖いのです(笑)。)。
林を抜けると目の前がパッと開けました。臼ガ森集落で間違いないようです。人家を見るとやはり安心します。
何か所も張られているネット(獣害防止のためでしょう。)を跨ぎながら、細い路地を道なりに進みます。
左側の路地を降りてきて、ようやく車道へ出られました。
まだここから県道まで下っていかないといけません。
電話線の支柱。途中で回線が切られていて、束にされていました。臼ガ森集落には、日常的に住んでいる人はもういないのかもしれません。
15分ほど歩いて、県道との交差点へ。これで釜の口橋から臼ガ森集落を経由して河内浦集落に至る古道を踏破しました。時間は1時間55分でした。
交差点の脇に布滝トンネルの高さ制限の標識が立っていて、トンネルまで1.7kmとありました。トンネルから釜の口橋までは地図読みで約1km。車まで、まだ2.7kmも歩くのか…。
県道を歩き始めてしばらくしたところで、左足の太ももが軽くつりだしました。普通に歩いているだけで痛い…。後ろ向きに歩くと少しマシでしたが、延々と後ろ向きで歩くわけにもいかないので、力の入れ具合を加減しながらゆっくり歩いていきます。
県道に出て25分後、布滝トンネルを通過。
30分後、最初に車を停めた所にある高い切通しを通過。
この頃には、何とか足がつる症状も治まってきました。
なぜか両方とも同じ方向を向いている県道標識。
県道に出てから45分後、やっと車まで戻ってきました。
トータルでは2時間40分、往復の歩行距離は5.5kmくらいでした。1本目は3kmくらい歩いたので、1日で合計8~9kmは歩いたことになりますね。そのほとんどが不整地路面というね(笑)。
しかしながら、今回歩いた古道の歴史を知りたいものですね。やはり一番の資料は地元市町村の地誌ですが、お取り寄せとかできるのかな?また検討してみますかね。