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小林あにのブログ一覧

2022年03月27日 イイね!

旧海老街道 花丸峠道 設楽町神田側を探索する

2022年1月23日日曜日、愛知県北設楽郡東栄町振草と設楽町神田の間にある旧海老街道(振草道・ふりくさ道)の花丸峠の峠道のうち、設楽町神田側の峠道を探索してきました。

ここ花丸峠の峠道は、峠の北側である東栄町振草側については2020年5月30日に踏査済みなので、今回は南側である設楽町神田側を探索してみることにしたわけです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道473号の路肩に車を駐車し、東栄町月と設楽町神田の間に残る里道跡を歩いて、まずは無名の峠までやって来ました。


この場所から、愛知県道424号に指定されている徒歩道は、花丸峠へと向かって一直線に登っていくように地形図に描かれています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

いろんな方々がレポートしているので、答え自体は知っているのですが(笑)、やはり自分の目で見ないといけませんからね。

県道があるはずの斜面を見上げています。いくつものレポートのとおり、道らしきものは何も見当たりませんね…。


しかし、道は無くともこの斜面を登っていかないと花丸峠へはたどり着けません。正面に見えている斜面へと取り付いて尾根まで登り、そこから尾根筋をさらに登っていきます。




息を切らせつつ旧海老街道へと出てきました。


やはりと言うか、自分の目で確かめても地形図にあるような徒歩道は存在しませんでした。このようなケースはまま存在しますが、国の機関が発行している地図でも完璧に当てにできるわけではないということです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、ここから直接旧海老街道の峠道を下って探索を始めてもいいのですが、あくまでも今回の探索の起点は花丸峠なので、きちんと峠まで登ることにします。


ほんの2分ほど歩くと花丸峠に到着です。


場所はこちら。地形図が示す花丸峠と実際の花丸峠の位置も若干違いますね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

あろうことか、峠の石碑が台座から地面へと転がり落ちています。


この石碑は名号碑(みょうごうひ)と呼ばれるもので、「南無阿弥陀仏」と彫られています。石碑の側面には「元禄十三…」と年号があり、西暦で言うと1700年にこの峠に立てられたものとわかります。


寝転がっている石碑を軽く動かしてみたら、私でも持ち上げられそうだったので、「よいしょっと。」と腰を入れて持ち上げ、台座の上へと据え直しました。


この石碑は名号碑ですが、道標も兼ねています。「右ハ(は)月道」、「左ハ(は)粟代道」と刻まれています。行き先の下には、この石碑の施主名が彫られているようです。


刻まれている地名についてですが、「月」は東栄町大字月、「粟代」は東栄町大字振草の字ですが、現在は上粟代と下粟代があります。「月」は花丸峠から東方で田口(設楽町田口)と本郷(東栄町本郷)を結ぶ里道沿い、「粟代」は花丸峠から北方で旧海老街道沿いにあります。

峠の切り通しにもう一つ立っている石碑。「祖方良意禅男位」と刻まれています。


右側面には「明治三十年…」もしくは「三十一年…」、左側面には「富山縣富山市稲荷町」、「本名 玆原佐七事 ○○○○ 豊崎佐七 ○○四十一歳」とあります。以前にも書きましたが、どうしてこの奥三河の峠に立つ石碑にはるか遠い「富山市」の「佐七さん」の名が彫られているのか?佐七さんがこの峠道で亡くなり建てられたのか?佐七さんは旅行者だったのか?行商人だったのか?花丸峠を越えてどこへ向かおうとしていたのか?いろいろ謎は尽きないですねぇ。

花丸峠の全景です。左側の石垣に囲まれた区画には、かつて茶屋があったと言われています。


花丸峠では、旧海老街道と北設楽郡内の大きな街である本郷と田口を結ぶ里道(街道名が付されていたかは不明。)が交差していました。峠に茶屋があったとしても当然でしょう。


峠の観察はこれくらいにして、本題である設楽町神田側の峠道の探索へと向かいます。


無名の峠から県道424号の想定路沿いに登ってきた場所です。


岩場を越えていきます。


峠道が崩れてしまっています。多少歩きにくかったですが通過できました。


廃道には付きものの倒木。跨いで越えていきます。


岩場を削り込んだのか、道幅がしっかりと保たれています。


うっとうしい枯れ木(枯れ草)。押しのけて進めますが、邪魔なことには変わりありませんからね。


大岩の露頭の前を通過。


うっかりすると直進してしまいそうになりますが(倒木や薮が当たり前で、前方が塞がれていてもあまり気にしなくなってくるので(笑)。)、ここで左へとヘアピンカーブを下っていきます。


しばらく進むと今度は右へのヘアピンカーブがあります(実はこの写真を撮った時点では気付いていません。)。


ヘアピンカーブの周辺が枯れた薮に覆われていたので、その場に来るまで峠道の行き先がわかりませんでした。


また削り込まれた岩壁沿いを進んでいきます。


倒木と薮が絡んでいます。面倒くさいですが、薮を払いつつ倒木を一本一本跨いでいきます。


岩石が大量に転がる枯れ沢を横断していきます。


場所はこちら。峠からここまでの間でも、地形図の破線道(徒歩道)とGPSアプリで記録した歩行ルート(赤線)にずれがありますね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢を渡る部分の谷側の路肩には、土留めのための石垣が積まれています。


枯れ沢の上部を見上げています。この岩石が一気に崩落してきたらたまったもんじゃないですね。


真下には県道424号が見えています。この付近も一応車道改修された区間ですが、一般的な乗用車は入ってこないほうがいいでしょう。


杉木立の中の峠道を辿っていきます。




すぐ真下に県道が迫ってきました。


ついに峠道が県道に削り取られてしまいました。これ以上進むことができません。5~10mくらいの崖になっているので、県道へと下りることもできません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

仕方ないので、県道へと下りられる場所まで引き返すことにします。

結局、岩石がゴロゴロ転がる枯れ沢まで戻ってきました。ここから県道へと下ります。


峠道が削り取られた場所まで戻ってきました。


すぐ先で峠道が復活していたので、峠道まで登り直して、行き止まりの箇所まで戻ってみます。


あらためて峠道を辿っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この先は酷い倒木があったり、崩落箇所があったりと、今までよりもさらに荒れた状況となっています。




崩落箇所の上部にある土留め擁壁を伝って先へと進んでいきます。


もはや峠道を辿っているのかどうかもあいまいになっていますが、とにかく進める場所を選んで歩いていきます。


細いながらも峠道が復活してきました。


低い堀割りを越えて進んでいきます。




細尾根の土手道です。


土手道を渡った先にある山桜。


山桜の下、折り重なる岩の隙間に石仏がありました。歩いてきたルートは旧海老街道で間違いないようで一安心です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この石仏は頭に馬頭を乗せているので、馬頭観音で間違いないですね。光背には、「寛政十二申年」、「閏四月吉日」と刻まれています。寛政12年4月は西暦1800年5月に当たるようで、約222年前の石仏ということになります。


石仏を過ぎると尾根道は終わり、折り返して下り始めます。


ふたたび荒れ始めた峠道を下っていきます。






ようやく国道473号へと出てきました。戸口橋のたもとになります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠道を振り返っての風景です。


ついでに戸口橋の周りに街道跡や旧橋跡が無いか探してみましたが、それらしい痕跡は発見できませんでした。

これでおおよそ確定できた設楽町神田側の旧海老街道花丸峠道のルート図です。


さて、ここ旧海老街道の最盛期は明治・大正期で、多い時は一日に二百頭近くの荷馬が往来していたそうです。しかしながら、それだけの交通量がある物流上の重要な街道でありながら、実際に踏破した峠道の道幅は狭く、峠付近は地形も急峻です。

利用が盛んだった頃は、峠道の維持ももっとしっかりと成されていたのでしょうが、それでも「荷物を背負った馬同士が鉢合わせた時には、どうやってすれ違っていたのだろうか?」などと単純な疑問を抱いてしまいます。

道が狭い上に、花丸峠・仏坂峠と険しい峠が2つもある旧海老街道が利用されていたのは、信州・奥三河から新城・豊橋方面への短絡路であったことと、現在の国道151号である旧別所街道の与良木峠という隘路の存在がありました。

しかし、与良木峠の直下に大正10年(1921年)、本郷隧道(トンネル)が開通したことで峠の隘路が解消。これを契機に、旧海老街道を通行していた荷馬は、もともと県道として車道規格の整備が進んでいた別所街道経由へと一気に流れていき、旧海老街道は重要な街道としての地位を失いました。それも当然だったかと納得させられる峠道でした。

それから、地形図に記載されている旧海老街道と思われた破線道(徒歩道)のうち、設楽町神田寄りの後半区間はまったく関係ないものでした。

岩石がゴロゴロしている枯れ沢付近で地形図上の破線道(徒歩道)と離れていったわけですが、ほかの徒歩道があるのかと思い、枯れ沢を少し登っていって周囲を見渡してみましたが、とても徒歩道があるような地形ではありませんでした。

さて、国道へと出てきた時点で時刻は16時半過ぎ。夕闇が迫る中、小雨もパラついています。予定では県道424号で登り直してもう一度里道跡を経由し、車へと戻るつもりでしたが(その方が川沿いに迂回している国道473号を通るよりも距離が短くて済む。)、さすがに薄暗がりの中、照明も無く里道跡を歩いていくのは危険なので、大人しく国道を歩いて戻りました。


車に戻ったのは17時15分。ご覧のとおりすっかり暗くなってしまいました。


日曜日なので次の日はもちろん仕事。少しでも早く帰宅したいところでしたが、疲れてしまって途中で30分くらい寝てしまい、帰宅したのは20時過ぎでした。
Posted at 2022/03/27 22:05:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧海老街道 | 日記
2022年03月21日 イイね!

東栄町月~設楽町神田の里道跡を歩く

2022年1月23日日曜日、愛知県北設楽郡東栄町月と設楽町神田を結んでいた里道跡を歩いてきました。この道跡、2020年5月24日に初めて探索し、2020年11月17日にも訪れています(あともう1回訪れているような気がしますが(笑)。)。

実のところ、この日の本題は、この里道跡を通って旧海老街道の花丸峠へと赴き、そこから設楽町神田側へと続く旧海老街道の峠道を探索すること。

なので、今回の内容は言ってみればおまけの話です。この道跡自体はすでに2020年5月24日探索時にブログを書いていますので、今回は添付写真への書き込み版といった感じです。

さて、時刻は12時50分。里道跡へと進入する最寄りの場所へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車の向きとは真反対の方向を眺めています。国道473号沿いの崖の上を里道跡が通っています。そこまで行くために、今から沢を登っていきます。






最初に遭遇するのは沢の左岸側の斜面にある巨大な石積みの擁壁。上部には通水のための暗渠が設けられています。この擁壁の上を里道跡が通っています。




そのまま沢を登り詰めていくと、里道跡が渡っていた橋の跡に突き当たります。




右岸側の石積み橋台。沢の中へと突出して築かれていますが、土石流などに遭遇することがなかったのか、ほぼ完全な形できれいに台形を保っています。




花丸峠とは逆方向になりますが、せっかくなので沢の左岸側に残る里道跡へと踏み込んでいきます。




国道から沢を登ってくる途中で見上げた巨大な石積み擁壁の上です。設置場所はちょうど枝沢を塞ぐ形となっており、まるで砂防ダムのようになっています。そのために沢の流れを通す暗渠が設けられたのでしょう。




先ほど国道から見上げていた、崖上の里道跡の地点まで来ました。ここで里道跡は下を通る国道のために大きく削り取られているので、この先へと進むのは困難です(腐った手すりロープが岩壁に残っていますが…。)。


それでは橋跡へと戻ります。


橋跡を通過し、花丸峠を目指して沢の右岸側へと踏み込んでいきます。


最初の難所。と言っても70~80cmくらいは道幅が残っているので、落ち着いて歩いていけば何の問題もありません。




ここは、おそらく谷側に石積みの擁壁が築かれていたものが崩落してしまって路盤が流出し、岩盤部分だけが残ったのでしょう。




道跡が狭くなってしまった場所も、かつてはこのような石積みの擁壁があったのだと思われます。


この里道跡ではあまりない土の斜面の部分を通過していきます。


ふたたび岩盤が露出する険しい場所を進んでいきます。


きれいな弧を描く石積みの擁壁。




岩が剥き出しになった急斜面を通過していくことがよくわかります。


道跡を横断するようにワイヤーが掛かっています。これは、真下を通る国道の落石防護網を吊り下げるためのワイヤーです。


現道に並行するように残る廃道となった旧道は、このような道路用構築物の足場にはもってこいなので、このような光景はよく目にします。

山の上部から岩石群が流れ込んでいる沢を渡っていきます。


2か所目の難所に来ました。ここも路盤が無くなっていますが、先ほどの場所よりもさらに歩ける場所が狭まっています。




岩壁にあるわずかな平場へと登り、そこを伝って反対側へと歩いていきます。段差を登るのが厄介ですが、幅は50cmくらいあるので慎重に行けばOKです。


岩場を横断する途中で足元を見下ろします。




写真に写っている細い木を越えれば一安心です。


難所を振り返っての眺め。矢印のように越えてきました。


ここの里道跡の路盤が残っていない箇所の中で、この場所については、かつてどのように道を通していたのかいまいち想像できません。写真中央部に石垣がありますが、路肩を保持するための擁壁であれば道と並行に築かれているはずです。なので桟橋を架けていたのではないかと考えています。


現場をくまなく確認できればヒントが見つかるかもしれませんが、とてもそのようなことができる場所ではないですからねぇ…。

薮と瓦礫に覆われた場所を通過。真夏に来たことはありませんが(そもそも暑い時期に来るとこの道跡はたくさんのヤマビルに喰いつかれるので(笑)。)、これだけ枝が絡まった薮だと通過するのが難儀そうです。




道跡の上の斜面に石積みがあります。


丸形の形状からして炭焼き窯の土台の跡でしょう。


岩盤を切り開いて造られた場所を歩いていきます。この辺りも路肩の擁壁が崩れてしまったら通過できなくなってしまうでしょう。




岩盤を開削した切り通しを通り抜けます。




私がこの里道跡で最も気に入っている場所に到着です。絶壁を通る道跡にも、路肩の石積み擁壁にも乱れはありません。


2020年5月24日探索時の写真。この里道跡は、私が歩いた愛知県内の廃道・古道の中では一番ですよ。


この場所でしばらく留まって、気が済むまで写真を撮影(ほんの2~3分ほどですが(笑))。

里道跡を先へと進んでいきます。


と言いつつ、振り返っての眺め。


岩盤の突端を回り込んでいきます。




ここで3か所目の難所。路盤が流出して、岩盤剥き出しの沢の上に落ち葉が被さっています。隠れていますが、実際には足場がけっこうしっかりしているので、それさえわかれば難なく通過できます。


難所の途中から沢の下方を眺めています。足場がわかれば、写真を撮るくらいの余裕は持てるわけです。


難所を振り返っての眺め。初めてこの場所に来た時はこの写真と同じように眺めていました。写真だとわかりにくいですが、「引き返すしかないなぁ。」とあきらめかけていました。


まだまだ絶壁沿いの険しい道が続きます。




石渠。沢でもない場所に設けられていて、理由がわかりません。山側からの湧水があったのでしょうか。


中を覗いてみると、山側は埋もれてしまっています。


ここまでは国道473号が通る御殿川沿いの渓谷の中腹を進んできましたが、渓谷から離れて枝沢の谷へと進んでいきます。




沢沿いの道は湿気が高いためか、岩も木々も苔で覆われてしまっています。


無名の峠が見えてきました。


この切り通しの先からは県道424号になります。徒歩道のままですが(笑)。


切り通しを抜けると道は右へと曲がっていきます。


県道にはとても見えない県道を歩いていきます。


切り通しから歩くこと3分ほど。自動車道としての県道の終点に着きました。ここの路肩に標石が立てられています。


標石には、「34年施行 道路改良工事 起点」と彫られています。昭和34年(1959年)にここを起点にして道路改良工事(自動車道への改良工事)が行われたわけです。


その後60年余、県道424号の花丸峠を越える道路改良工事は中断したままです。

さて、無名の峠の切り通しまで戻ってきました。ここからは、切り通しの左側の斜面を一気に登り、本題のスタート地点となる花丸峠を目指します(県道ルートでもある。)。


こちらは今回歩いた里道跡のルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2022/03/21 13:26:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年03月15日 イイね!

道の駅「信州新野千石平」までドライブしてきました

2022年1月16日日曜日、弟の誘いで母と一緒に佐久間ダム経由で道の駅「信州新野千石平」までドライブしてきました。

最初に立ち寄ったのは静岡県浜松市天竜区にある天竜川のダム「佐久間ダム」。


特にコメントもないので、ダムの風景写真を貼っておきます(笑)。












ダムの対岸は愛知県北設楽郡豊根村になります。


ダム堰堤の直下に姿を現していた構造物。普段は水没しているので、至る所に泥が積もっていますね。




佐久間ダムから道の駅「信州新野千石平」までの移動ルートですが、普段だと県道1号から国道418号で向かうところですが、今回は豊根村富山から県道426号を走っていきます。




峠にある霧石トンネルでストップ。




あらためて霧石トンネルです。


交通量を見越してか、小さな規格のトンネルです。


トンネルの銘板。「桑原 幹根・愛知県知事・昭和四十九年十月」とあります。裏を返せば、昭和49年(1974年)まで自動車は通行できなかったわけです。


余談ですが、このトンネルの名称の由来となる「霧石峠」は、トンネルの南方約3.4kmの地点にあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが霧石峠付近の地形図。戦前の地形図を見ると、現在県道426号が通る漆島川の谷には道は無く、豊根村富山から豊根村の中心部へ向かう場合は、漆島集落付近から霧石峠を越えていき大立集落へ出るルートになっています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地形図で標高をチェックすると、漆島集落から霧石峠までは標高差500m、大立集落から霧石峠までの標高差は350mあります。

かつて旧富山村(現:豊根村富山)へ赴任するために険しい山道を歩いてきた役人や教師が、霧石峠の先にまだまだ続くあまりに山深い眺めに辞職を申し出たことから、「辞職峠」とも呼ばれていたと何かの本で読んだことがあります。

さて、霧石トンネルから峠の坂道を下り、あらためて道の駅「信州新野千石平」を目指します。




道の駅「信州新野千石平」に到着です。真冬ということもあって普段の賑わいとは裏腹の閑散とした風景です。




昼食は定番の唐揚げ定食。ここの唐揚げ定食はお気に入りで、訪れた際はだいたいこの定食を食べています(笑)。


この後は、国道418号で売木峠・平谷峠と越えて、平谷村からは国道153号へ。もう2か所寄り道をしてから帰宅しました。

豊田市大野瀬町にある旧飯田街道の橋「前橋」。




豊田市連谷町の「伊世賀美隧道」(旧伊勢神トンネル)。


2022年03月14日 イイね!

伊勢神峠と大多賀峠の間を周回してきました

2022年1月15日土曜日、愛知県豊田市連谷町の伊勢神峠と豊田市大多賀町の大多賀峠の間を徒歩で周回してきました。

今回このルートを辿ったのは、伊勢神峠から大多賀峠までの東海自然歩道が古道を利用したもののようなので、一度歩いてみたかったからです。大多賀峠から伊勢神峠へと戻ってくる時に通ったルートはその時の思い付きです(笑)。

歩いたルートはこちら。歩行距離は約8.4km、歩行時間は約4時間半でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

時刻は12時頃。伊世賀美隧道(旧伊勢神トンネル)前へとやって来ました。この場所の標高は約700m。路上は積雪で真っ白です。


駐車場所から旧中馬街道(旧飯田街道)の伊勢神峠まで登ってきました。この峠の標高は780mです。


峠の切り通しのすぐ上に建っている伊勢神宮の遥拝所。


峠からの眺めは良いですが、伊勢まで見えるんでしょうかね?霞んでいなければ三河湾や伊勢湾は見えそうですが…。


※地形図に伊勢神峠から伊勢神宮まで直線を引いて辿ってみたら、伊勢神峠の近くにいきなり同じくらいの高さの山があったので、伊勢市方面を直接目で見るのは難しいかもしれません。

それでは、大多賀峠に向かって東海自然歩道を歩いていきます。


歩き始めていきなり道端に地デジのアンテナが立っていました。伊世賀美隧道の稲武側坑口の近くに民家があるので、その家のためのものでしょうか。


古道の雰囲気を残した雪道を黙々と歩いていきます。






この道は、大多賀峠の南側にそびえる寧比曽(ねびそ)岳(1,120m)へ伊勢神峠から向かう登山ルートにもなっているので、天気の良かったこの日は何人かの登山者とすれ違いました。

途中にある休憩所。雪が積もっているので、ベンチには座れませんでしたが。


休憩所の先で地形的に道を迷わせる雰囲気の場所に出ましたが、雪道に踏み跡がたくさん付いているので、迷うことなく通過していきます。


さらに2~3分程進んだ所に、まるで公衆トイレのような建物が建っていました。その建物に向かって踏み跡も付いています。「トイレなら行っておこうかな。」と左方向へと歩いていきます。


ところが、建物をぐるりと見回しても入口が開いていない…。公衆トイレではなく、どうやらポンプ場か下水施設のようです。


この付近には2001年に閉鎖された「いこいの村愛知」という保養施設の建物群が現存しており、この建屋もおそらく同施設に付属するものだと思われます。

気を取り直して先へと進みます。

東海自然歩道の路上にテープが張られ、左の道へ迂回するように誘導されています。直進すると「いこいの村愛知」の敷地内へと入っていくからでしょう。


施設の外周を進んでいきます。


分岐点が現れました。右折が正解。直進は湿地帯への見学路になります。


廃墟となった公衆トイレの前を通り抜けて園内を進んでいくと、目の前に階段が現れました。急な階段を登るのが面倒だったので(笑)、右側に並走する道路へと一旦出ます。


東海自然歩道が道路と同じ場所へ出てきた所で再び戻ります。


大多賀峠まであと少しです。


また山道らしくなってきました。


ここは案内板どおりに左側を進んでいきます。


若干のアップダウンを繰り返して大多賀峠へと到着しました。標高は地形図読みで808m。伊勢神峠から1時間強かかりました(実は、ここに載せていない行き止まりの小径へ寄り道していたので。)。




これで今回の目的はクリアしたので、このまま来た道を引き返しても良かったのですが、今回は「このまま引き返してもつまらないし、帰りは県道484号を歩いていくか。」ということで、大多賀峠を下っていくことにします。

峠から分かれる古道へと入り込みます。


以前に歩いたことがある道なので、迷うことはありません。


途中、古道の旧道(徒歩道)でショートカットしながら麓へと下っていきます。






以前にもチェックした明治36年(1903年)建立の馬頭観音碑。


大多賀峠の古道の終点に出てきました。


そのまま道路を横切り、川沿いに下っていきます。




県道484号へと出てきました。




大多賀の集落を外れて、谷が狭まってきた辺り。頭上の斜面に徒歩道があるように見えます。


道と思われる所まで登ってきました。


小径が続いているので、辿っていくことにします。


道なのか斜面なのかわからない場所もありますが、動物の足跡がある場所を頼りに慎重に渡っていきます。


路上(と言うのも心もとないですが。)に杭が刺さっています。一応、道ではあるようです。


この辺りの道は踏み均されたように浅く窪んでいます。


この後、一軒家の前に出てきました。


一軒家の前から道は沢筋を登り始めます。




そして行き止まりになってしまいました…。周囲の斜面を見渡しても道らしきものは見当たりません。


さすがにこれ以上「あるような無いような小径」を辿っていくにはくたびれてしまったので、県道484号へと下りてきました。


この県道も何度か車で通っていますが、今まで気が付かなかったミニ廃道がありました。




国道153号との交差点まであと300~400mという所で、左側の斜面に道を思わせる平場を見つけてしまいました(笑)。疲れていたので次の機会にでもすればいいんですが、見つけてしまった以上、行って確認するしかないですよね(笑)。


取りあえず、道跡であることは間違いなさそうです。進んでみることにします。


ちょっと厄介な崩落場所でしたが、足場はあったので何とか通過。


歩き始めた時は廃作業道かと思っていましたが、雰囲気が古い時代の道らしくなってきました。




雪をかぶっているのではっきりしませんが、路肩に石垣があるように見えます。


沢に直交する場所、正面にボロボロの石積み橋台が現れました。




沢に下りて、自分が歩いてきた側の橋台を確認。石積み擁壁と石積み橋台がありました。




これは、県道484号の旧道ということもあり得そうな道跡です。

さらに進むと眼下に旧郡界橋が見えました。架橋は大正6年(1917年)。国道153号の前身である旧飯田街道の橋です。


戦前の地形図を確認すると、今いる場所から大多賀集落へ向かう道は、旧郡界橋のたもとから分岐していくように記されています。しかし、今いる道跡が旧郡界橋が架橋される以前の道ならば、旧郡界橋と違う高さを通っていても何の不思議もないわけなんですよね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まあ、こんなピンポイントでの昔々の道路改修の記録・記事なんて、調べても何も出てこないでしょう(旧郡界橋の工事記録でも残されていれば、大多賀集落への道の付替工事とかわかるかもしれないですけどね。そこまで調べる気力はありません…。)。

ようやく国道153号へと出てきました。時刻はもう16時です。


伊勢神トンネル東側の廃道。


国道153号 伊勢神トンネル。


ここから薄暗い旧道を伊世賀美隧道まで登っていきます。


建設中の国道153号新郡界橋。


伊勢神トンネルから歩くこと20分。伊世賀美隧道の稲武側坑門です。あと350mくらい歩けば車に到着です。


伊世賀美隧道の足助側坑門。


16時35分、車まで無事に戻ってまいりました。


スタートした時は4時間半も歩くつもりは全然ありませんでしたが(笑)、大多賀峠で峠を下っていった時点でダメでしたね。さらに言うならば、県道484号沿いの山の中腹にあった訳の分からない小径を辿ったのもいけませんでした。

でも、せっかく歩き回るのであれば、いろいろ気になった場所には突っ込んでいきたいですからねぇ。

それから、旧郡界橋の上の廃道を雪の無くなった時点でもう一度歩き直さないと。現地踏査ではこれ以上何もわかることはないでしょうが、撮れるものは撮ってきちんと記録だけはしておきませんとね。
Posted at 2022/03/14 21:13:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年03月13日 イイね!

古道「根道・信玄道」を歩く(2)

2022年1月9日日曜日、愛知県新城市作手菅沼から豊田市羽布町の山中に残る古道「根道・信玄道」を歩いてきました。

ちなみに、表題の「根道」・「信玄道」は歩いてきた古道に付いていた固有の名称ではなく、「根道」は尾根を通る道を表す一般的な言葉、「信玄道」は戦国時代に甲斐国の武田軍が三河国を侵攻した際に、現在の豊田市下山地区の城砦攻略時に軍を進攻させるルートとして利用されたという伝承によるものです。

前回は何かの像のような枯れ木の前まで来ました。


これを見た時は、「木彫りの仏像でも立ってるのか?」と思いましたが、近くまで来て眺めてみたらなんということもない枯れ木。アングルの妙というやつですかね。

「わざわざ土を盛らんでもいいのに。」というようななだらかな場所ですが、なぜか盛土道にしてあります。通行人が迷子にならないようにするためとか?どうですかね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

盛土道を通過するとちょっとした丘越えになります。道跡に枯れ木が被さり、積雪もあるので、積雪を踏み抜いたり枯れ木に足を引っ掛けて転倒しないよう、少し慎重に歩いていきます。




小さな丘を越えると道跡は下り基調になっていきます。


尾根の上から左斜面へと道跡が移っていきます。そのまま尾根を真っ直ぐ進んでいくと傾斜がきつくなるのでしょう。




足元が笹で覆われた斜面をどんどん下っていきます。


ここでアクシデント発生(というほどでもないですが。)。右膝あたりにガツンと何か引っ掛けた感触があり見てみたところ、なんとジーパンがザックリ切れて大穴が開いていました。


安物とは言え、買ってまだ1~2週間しか経っていないジーパンが…。幸い、膝にけがは無し。何が当たったのか確認したところ、笹薮の中に枝が硬く鋭利になった枯れ木が隠れていました。過去にはゴム長靴が同じように裂けたことがあり、枯れ木・枯れ枝侮りがたしということを再認識しました。

気分を落ち着けて歩行再開です。まだまだ低い笹薮が続いていきます。




久しぶりに道跡が屈曲している場所が現れました。


この場所に石積みがありました。雰囲気からして石仏を安置していた場所だと思われますが、何も祀られていません。


場所はこちら。


また一直線にひたすら下っていきます。


ここでまた尾根から外れていきます。


行く先には倒木が折り重なっています。面倒くさいですね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

斜面にはっきりと残るU字型の道跡。さらに急坂になってきました。






そして唐突に終わりました…。道路に削られてしまったようです。


さすがにこの高さ・傾斜では道路へと下りることができないので、下りやすい場所を探します。


右側へと進んだところ道跡が復活。無事に道路へと下りることができました。




場所はこちら。


少しだけ道路を歩き、今度は左側へと逸れていきます。


笹薮に覆われた道跡を下っていきます。


鳥居が現れました。


今回の目的地、根池に到着です。


水面は凍っているようです。


湖畔に立てられている根池にまつわる伝説の説明板。




池の堤防の上を進んでいきます。


再び道路に合流しました。この先、豊田市羽布町の集落に向かい道跡は続いているはずですが、今回はここで引き返すことにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

新城市作手菅沼の分岐点から豊田市羽布町の根池までのルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さらに、林道との分岐点から根池までのルート図。街道の高低差をできる限り抑えるため、巧みに尾根を縦走していることがわかります。「根道」と呼ばれる所以です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、帰りはどうやって車まで帰ろうかと考えましたが、やはり徒歩ならば元来た道を帰っていくのが距離・時間とも有利のなので、また「根道・信玄道」を歩いて戻りました。

逆方向は根池から尾根に出るまで延々と上り坂になるので、気温が低い中、汗をぬぐいつつの歩行となりました(笑)。

根池の引き返し地点から約1時間10分。道標のある分岐点へと戻ってきました。


そこから約5分、ようやく車に到着です。時刻は15時42分。こんな時間なのに県外ナンバーの車が数台連なって横を通り抜けていきました。わざわざ通るような道でもないんですけどね。
Posted at 2022/03/13 16:40:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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