2022年1月9日日曜日、愛知県新城市作手菅沼から豊田市羽布町の山中に残る古道「根道・信玄道」を歩いてきました。
ちなみに、表題の「根道」・「信玄道」は歩いてきた古道に付いていた固有の名称ではなく、「根道」は尾根を通る道を表す一般的な言葉、「信玄道」は戦国時代に甲斐国の武田軍が三河国を侵攻した際に、現在の豊田市下山地区の城砦攻略時に軍を進攻させるルートとして利用されたという伝承によるものです。
歩いてきた古道が掲載されている戦前の地形図です。古道と思われる道に赤線でしるしを付けました。

※5万分の1地形図「足助」:明治24年(1891年)測図・昭和3年(1928年)要部修正測図・昭和6年(1931年)発行。
この古道、林道へと改修・転用された区間以外は廃道になっていると考えられます。そのため、当然というか現在の地形図には記載されてない部分がほとんどです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
あいまいな精度の戦前の地形図を参考にして、古道の分岐点をいかにして見つけ出すかが探索成功の鍵となります。
それでは探索を始めます。ここは、新城市作手菅沼の愛知県道337号。道幅のある路肩に車を寄せて駐車しておきます。
12時50分、出発です。最近は午後にスタートするケースが多くなっています。ずぼらになってきているのかもしれません(笑)。
県道337号と古道ルートを通る林道との分岐点に来ました。
ここの分岐点には石造の道標が立っています。立てられたのは江戸時代後期のようです。
道標には、「左 おかざきみち」・「右 あすけみち」と彫られています。
参考に、分岐点と足助(現在の豊田市足助。)との位置図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは分岐点と岡崎(現在の岡崎市。)との位置関係図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
分岐点から足助へは現在も県道337号、国道473号・420号を経由して自動車で行くことができますが、岡崎へは道標どおりに林道へ入っていっても、まず一般車両では通行することが困難です。
それもあってか、この場所から城下町・岡崎へと向かう道があったことにいまいちイメージが湧きません。それでもここに道標が立っているということは、少なくとも江戸時代には三河の山間地と平野部の主要な街を結ぶ大切な街道として、地元の人馬だけではない広域の往来があったということでしょう。
それでは林道へと進入していきます。積雪が残っていますが、歩くのに支障をきたすほどの量ではありません。
道中、地形図にあるとおり、いくつもの道が分岐していきます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ちょっとした峠へと向かって坂を登っていきます。林道としてあまり使われることがないのか、路面がひどく荒れています。
無名の峠にある分岐点です。右方向へと進んでいきます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
雪を薄っすらと被った車の轍と動物の足跡が続いています。
戦前の地形図と現在の地形図を比較して、林道から古道が分岐していると予想した地点へと到着しました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
林道沿いの斜面の一段上に平場があります。平場の上によじ登ることにします。
これは道跡である可能性が高そうです。奥へと進んでみることにします。
小さな谷地形の奥へと向かって道跡が続いていっています。
深い切り通しが現れました。この道跡が「根道・信玄道」で間違いなさそうです。
現在地はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
なかなか深くて長い切り通しです。
切り通しの上に石柱が立っていました。「大禮記念林」、「大正五年三月建立」、「愛知縣南設楽郡作手村菅守學區」と彫られています。
どうやら大正天皇の即位を記念して植樹された林であることを記すための記念碑のようです。実は同様のものを、旧伊那街道知生坂を歩いた際に県道10号境橋のたもとでも見ました。
この古道に向けて記念碑を立ててあるということは、大正5年(1916年)頃はまだまだ普通に往来があったと推測できます。
林道からの分岐点は削られて分断されていましたが、山中に入ってからの道跡は今のところ良好に残っているように感じます。
幹が奇妙に二股になった杉(でいいのかな?)。なぜこの状態になったのか?
古道らしいU字の窪みが続いています。
細くなった尾根を通過していきます。
浅い切り通しを通過。
盛土道が現れました。この古道は各所に盛土道が残っていると「忘れられた街道」という本には記されています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
道跡が斜面を横切るように通っています。崩れてしまったのか道幅が狭くなっており、笹にも覆われているので注意して進みます。
なだらかな尾根の上を進んでいきます。
背の低い盛土道です。わずかな高低差も打ち消すように盛り土がされています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
下り坂のU字道を降りていきます。
細くなった尾根の上を盛土道で通り抜けていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
小さなピークを避けるように道跡は進んでいきます。
小さな頂と頂の間をつなぐ尾根にさらに盛り土をして、橋のように道をつなげていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
小さなピークを左側へと迂回して進んでいきます。
ここも前方のこんもりとした小さな頂を避けて、左側へと下っていきます。
幅の広いなだらかな尾根の上へと降りてきました。
古道の脇に何かの像を思わせるような枯れ木が立っています。
※その2へ続きます。