2022年3月5日土曜日、長野県塩尻市奈良井に残る旧国道19号「鳥居隧道」の廃道を歩いてきました。
旧中央本線鳥居隧道・旧国道19号鳥居隧道の最寄りとなる駐車帯へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
最初に旧中央本線の鳥居隧道へと寄り道します。2月12日土曜日にこの付近へ来た際、氷筍を見るためにここ鳥居隧道へも寄り道しましたが、先客がいたために早々に退散。今回は落ち着いて氷筍が見られると思ったからです。
何か氷筍の数が減っていますね…。残っているものも瘦せてしまった感じ…。
確かに気温は暖かくなってきてはいましたが、ほんのわずかな気温差でここまで細く小さくなるとは思いませんでした。
まあ、仕方ないですね。久しぶりにトンネルの奥へと進んでいくことにします。
最初の大型退避壕まで来ました。坑口からここまで、おそらく500mくらいは入り込んでいると思います。
居ました居ました。たくさんの小型のコウモリが待避壕の天井にぶら下がって冬眠しています。煉瓦の升目に沿って足を掛けているので、きれいに並んで見えます。
まだまだ外は冷え込みますが、ここまで入ってくるとあまり冷気は感じません。野生の動物はよくわかっています。
さて、このトンネル自体はこの先の崩落地点まですでに踏査済み。今回は氷筍と冬眠するコウモリが見られれば良かったのでこれで引き返します。
旧国道へと戻ってきました。ここは旧国道と長野県道258号の分岐点。これから残雪が残る旧国道19号を歩いていきます。
雪の上に轍と思われる窪みと足跡が続いています。これを頼りに進んでいくことにします。
「警笛鳴らせ」と「最高速度40km/h」の標識。この先にも道路標識が点在しています。
足跡が道路左側に立つ建物へと寄っていき、そこで途絶えてしまいました。建物は「奈良井ダム栃窪放流警報局」と表示されています。冬の間もここまでは人の出入りがあったわけです。
ここからは足跡の無い雪面を歩いていくしかありません(動物の足跡はありますが…。)。
「最高速度40km/h」と「追越しのための右側部分はみ出し通行禁止」の標識。
路上の雪が減ってきました。この辺りの地形と雪の降り方の関係で、積もりにくい場所なのでしょう。
「つづら折りあり」の標識。
この廃道区間で鳥居隧道以外に唯一のトンネルである栃窪隧道が見えてきました。
あらためて栃窪隧道です。延長は69m。銘板によると昭和30年(1955年)6月の竣工です。
トンネル内も特に目立った特徴のないコンクリート造りのトンネルです。
トンネル後半、路面の全面が凍結しています。何気に足を乗せてみたら全くグリップしません…。わずかに凍っていない場所や砂利の上を通って何とか通過しました。
栃窪隧道の反対側坑門と銘板です。
「幅員減少」の標識と「終わり」の補助標識+「警笛鳴らせ」の標識。
「警笛鳴らせ」の標識が転がっています。
栃窪隧道を挟む直線区間の山側は、土留めのために背の高い石積みの擁壁が延々と設けられています。
「最高速度40km/h」の標識+「高・中速車」の補助標識と「追越しのための右側部分はみ出し通行禁止」の標識。
昔は路面に「40高中」とペイントされているのをよく見かけましたが、現在は高速車・中速車・低速車の区分が無くなったため、このような補助標識やペイントは見かけることはほとんどなくなりました。
栃窪橋です。先ほど「幅員減少」の標識があったのはこの橋のためです。
ここに沢があるわけではなく、崩落地となっている凹地を渡るための橋のようです。
橋の銘板によると昭和30年(1955年)10月竣工とあります。栃窪隧道よりもあとに竣工したわけですね。
栃窪隧道側を振り返っての眺め。
栃窪橋を渡り、切り通しを通り抜けていきます。廃道後に生えた路肩の木々が並木のようです。
電柱が現れました。電線は谷側から来ているようです。
この辺りは路肩が崩落しています。
そっぽを向いている「駐車禁止」の標識。
崩落した路肩の真上にガードロープの支柱と基礎部分が宙づりになっています。
ようやく鳥居隧道の坑口が見えてきましたが、路上の残雪がまた増えてきました。
「その他の危険」を表す標識と「トンネル内路肩段差あり」の補助標識。
塩尻市に合併する以前の旧「楢川村」の市町村標識。
「この付近は落石の恐れがありますので降雨の際は駐車しないでください」と書かれた注意喚起の標識。そんなに崩落しやすい場所なんですね…。
トンネルへの接近に手間取るかと思ったら、トンネルからの湧水が路上の雪を溶かしてくれているようです。
「左方屈折あり」の標識。ポールだけ残っているものにも何か注意喚起の標識が付いていたのでしょう。何せトンネルを出るとすぐに左直角カーブですからね。
ようやく旧国道19号の鳥居隧道に到着です。開通は昭和30年(1955年)。延長は1111m。この時代の道路用トンネルとしてはトップクラスの延長だったようです。
現在地はこちら。
トンネルの銘板。金属板だった栃窪隧道と違いおそらく石板。竣工年月や揮毫者も彫られているのかもしれませんが、そこまでは読み取れませんでした。
坑門はおそらくコンクリートブロック積みでしょう。石積みのように見せるためかもしれません。
ブロックの継ぎ目から流れ出した湧水がすだれのように凍り付いています。
トンネル内の湧水はこの小さな穴から流れ出しているようです。わざと開けておいたものかはわかりませんが。
それでは車に戻ることにします。
旧鳥居隧道も見納めです。新たに記録したいような出来事がない限り、多分もう来ることはないでしょう。
県道と旧国道が分岐する地点のゲートです。立ち止まらずにトンネル前から歩いてこれば、この雪道でもほんの15分です。
車へと戻ってきました。改めて周囲を眺めると鳥居峠周辺の木曽谷はまだまだ冬景色。国道19号は除雪と融雪剤の散布が徹底しているので、私のような冬道に不慣れな者でも来ることができます。
今冬はこれで2回木曽谷へと来ましたが、雪は違う景色を見せてくれるので、これからもいろんな場所へ行ってみたいですね(危なくない範囲で。)。