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小林あにのブログ一覧

2022年04月15日 イイね!

旧伊那街道「アンザの坂」を歩く

2022年2月20日日曜日、愛知県北設楽郡設楽町清崎地区に残る旧伊那街道「アンザの坂」を歩いてきました。「アンザ」は漢字では「安沢」の字を当てるようで、現在も「アンザの坂」が通る場所の地名(設楽町清崎字安沢)になっています。

さて、やって来たのは設楽町の中心地である田口の街の南の外れ(住所上は設楽町田口ではなく設楽町清崎。)。ここから「アンザの坂」へと向かっていきます。


街の外れをクネクネと歩き、安沢峠まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

低い峠をやや下った場所に石仏が一体立っています。


石仏の背後には祠。祠の周りは窪地になっており、元は池であったようです。


安沢峠から100mほど進むと「アンザの坂」の入口があります。ここまでは車が通れる舗装路となっていましたが、この先は昔ながらの街道跡となります。


場所はこちら。


入口の案内板(経年劣化でほとんど判読不能。)によると、入口付近の石畳は平成14年(2002年)に補修したとあります。


さらに100mほど下っていくと、路肩に設楽町が設置した史跡指定の案内標識が立っています。この辺りは補修されていない往時のままの石畳だそうです。




案内標識をやや下った場所に石橋があります。まあ、石板を並べただけのものですが。


さらに石橋の下側にも石畳が残っています。


路肩には土留めの石垣も残っています。


この先も街道跡は良好に残っており、辿っていくことに支障はありません。


つづら折りの区間を歩いていきます。








現在の場所はこちら。


つづら折りを過ぎても街道跡はどんどん下っていきます。


路肩に転がっていた碍子。表面に「1936」とあるので1936年(昭和11年)製のものでしょう。マークから日本碍子製とわかります。


電柱か電信柱の痕跡。


路盤が崩れた場所に細い丸太が並べられていますが、あまりに苔むしているので、念のために山側へと迂回して通過します。


ふたたび石橋が現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

石橋の先には石畳が残っていますが、石橋の真下や上流側に枝が絡まって詰まっているために沢の流れが街道跡へと流れ込んでしまい、一部損壊してしまっています。






石畳の区間が終わり、また土の上を歩いていきます。


この付近は短い距離ですが街道跡が消失していたり、荒れ気味になっています。




路肩に立つ石。自然石にしか見えませんが、横に設置されている案内板(すでに全く読めない。)によると馬頭観音だそうです。


坂を下ると、国道257号が並走してきます。




この辺りからは川沿いを進んでいきます。




何本もの倒木が路上に重なり合っています。初めに目に入った時は「川へ降りないと通過できないかも…。」と思いましたが、通り抜けられるだけのスペースが開いていたので、倒木をくぐるようにして通過できました。




路肩を削られた街道跡をどんどん進んでいきます。


川との境があいまいになってきました。


案の定、砂防ダムの登場です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

下流側に街道跡が残っているのか堰堤の上から覗いてみると、しっかりと残っていました。


右岸側から砂防ダムの堰堤を乗り越えて下流側へと降ります。


砂防ダムから程ない場所に立つ馬頭観音碑。側面に刻まれていた日付けは「明治十六年二月十三日」。西暦では1883年になります。


国道257号が見えてからは川沿いを進んできましたが、一旦川を離れて進んでいきます。


その川と交差。渡渉して左岸側へと進みます。


正面に豊川が見えてきました。


つい真っ直ぐ進みそうになりますが、街道跡は左斜め上へと進みます。


路盤に切り欠きがあります。枯れ沢を渡る場所なので、元は橋が架かっていたところ、橋が不要になり半分だけ埋め立てたのかもしれません。


同じ場所を水路はU字溝の橋で越えます。


小さな切り通しを通り抜けていきます。


植林地を抜けて草むらへと突っ込んでいきます。




草むらが終わった所で一旦左へと曲がり、さらに矢印のように進んでいきます。


実はこの時点で旧伊那街道の道跡を見失っていました。正面に見えていた国道257号の高い擁壁に潰されたのか、横を流れる豊川の河原を通っていたのか…。もう少しだけ先へと進んでいきます。

水路を支える石垣。水路自体は完全に埋もれてしまっています。


豊川のほとりへと出てきました。河原に街道が通っていたような痕跡は見い出せません…。川沿いの斜面も崖のような急斜面でこちらも街道が通っていたようには見えません…。


引き返して、小さな切り通しまで戻ってきました。ここから山側へと登ってみます。


堀割り道がありました。旧伊那街道はこの辺りから豊川沿いを離れて、国道257号が通る高所まで登っていたようです。


しかし、すぐに前方を大量の倒木が埋め尽くし、進むことができなくなってしまいました。仕方ありませんが街道跡のルート探索はこれで打ち止めです。


引き返した地点の周辺の地形図です。青線のようにぐるぐると周辺を歩き回り、最後は赤線の末端まで進んで引き返すことになりました。


帰りの道すがら、落としたことに全然気づいていなかった傘を見つけ回収。ナップザックに引っ掛けて歩いていたので、見つけるまで傘の存在をすっかり忘れていました(笑)。


帰り道は降られる雪にまみれながらでしたが、幸い積もるほどにはひどく降らず、無事に車へと戻ってきました。


旧伊那街道「アンザの坂」のルート図です。現在の国道よりはショートカットとなるルートで田口の街へと登っています。


ここ「アンザの坂」の存在は以前から知っていましたが、「まあ気が向いたらそのうち。」という程度で特に意識していませんでした。ここ最近、旧伊那街道の峠道である与良木峠や知生坂を歩く機会があったので、「いい加減歩いておくか。」という気分になり歩いてみた次第です。

ここ2年くらい廃道探索の方向性が旧街道探索(特に峠道探索。)に偏ってきている中、各地に街道跡が残っている旧伊那街道は自宅からの距離も比較的近くて良い探索ルートでした。

ただ、今回「アンザの坂」を歩いたことで、旧伊那街道で街道跡が残る峠道はひとまず終わりとなりそうです。また県内で探索し甲斐のある峠道を探さないといけませんね。
Posted at 2022/04/15 22:55:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧伊那街道 | 日記
2022年04月03日 イイね!

旧片平橋・旧大岨隧道・桜沢橋梁を巡りました

2022年2月12日土曜日、長野県塩尻市の旧国道19号の旧片平橋、旧中央本線の旧大岨隧道、旧中央本線の桜沢橋梁を巡ってきました。

付近の地形図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道19号桜沢トンネルの旧国道区間にある旧片平橋の最寄りとなる駐車帯へやって来ました。駐車帯は旧国道となったためか除雪されておらず、雪に乗り上げて駐車します。


旧国道から旧片平橋へと続く道を歩いていきます。




旧片平橋です。鉄筋コンクリート造りのアーチ橋で竣工は昭和10年(1935年)。土木学会の選奨土木遺産に選定されています。




奈良井川の河原から見上げるときれいなアーチを眺めることができるのですが、橋の付近の斜面も積雪していて足場がわからないので止めておきました。


こちらは旧国道の片平橋の下部。最近建設された橋と違い橋脚が華奢で、素人目にはこれでよく「木曽高速」と言われた国道19号の交通量を支えたものだと感心します。


片平橋へ来ました。車線の真ん中に立って写真を撮るなんて、現役国道時代だったら絶対にできなかったことです。


親柱にある銘板です。


「昭和39年(1964年)12月竣工」とあるので、それまでは旧片平橋が国道19号の橋梁として利用されていたということですね。


国道沿いの仮歩道を歩いていきます。本来、車道左側に路外へ張り出すように歩道が設置されていましたが、国道指定から外れることに伴い、撤去工事をしています。


旧中央本線の小岨橋梁跡です。国道が拡幅された際に線路敷きのスペースがなくなり橋梁化されたようです。




「明治天皇櫻澤御小休所」(めいじてんのうさくらざわこやすみどころ)の碑。明治13年(1880年)6月26日に明治天皇がここで休憩されたという記念碑です。


明治時代になったとは言え、かつて宿場町であった贄川が近くにあったわけで、大人数の対応(天皇の行幸が少人数なわけがないですから。)ならばそちらの方がいろいろと都合が良かったと思いますが、どうして桜沢集落で休憩することになったのでしょうかね。

碑が立っている家には立派な門がありますが、おそらく天皇陛下が休憩するからと準備したものの一つなのでしょう。

碑の前を通り過ぎ、次は右側へ上っていく路地へと入り込みます。


登ったところにあるのが石仏と旧中央本線の旧大岨隧道。


明王形で忿怒面の馬頭観音像。塩尻市のホームページでも紹介されています。


並んで置かれている石碑。一つは南無阿弥陀仏碑だそうです。


あらためて旧大岨隧道です。今までに何度も訪れているので、特に書くべきことはありません。今も崩壊が進んでいるので、いつまで現状を保っていられるでしょうかね。
















次は、馬頭観音像の左側から始まり、わずかな区間残っている旧中山道を歩いていきます。


人の足の踏み跡がまったく無い急坂を登っていくと、旧国道沿いの崖の上へと出ます。


落石防護柵と崖の間にある旧中山道を歩いていきます。地面が雪で覆われているので、気持ち柵寄りを進みます。




崖上を過ぎたところに石碑と石仏が立っています。こういうものが立っているとこの道は街道だったのだと実感できます。


石仏は表面の摩滅が進んでいて、頭の飾りや顔の面立ちがはっきりしませんが、これもおそらく馬頭観音でしょう。


石碑は最初の二文字が「厄除」とわかる以外は、達筆過ぎてさっぱりわかりません。


崖上から下っていきます。


踏み跡がまったく無いまっさらな雪の上を歩くのは、いくつになっても気持ちいいものです(笑)。


雪に覆われて周囲の様子があまりわかりませんが、旧中山道からの続きとなる道跡と思われる窪地を進んでいきます。


旧国道へと出てきました。かつて中山道が通っていた山の端を国道拡幅時(さらには明治時代の車道建設時。)に削り取ったため、こんな形で接続しているのでしょう。




降りてきた場所に立っている「是より南 木曽路」の碑。


さらに北隣にある「尾州領傍示杭跡」の案内板。江戸時代、尾張藩の北限がここ桜沢だったわけです。傍示杭が木杭ではなく石柱だったら今も残っていたかもしれません。


桜沢橋のたもとに立つ「標高812m」の標識。谷底にいるのであまり実感がありませんが、けっこう標高の高い場所にいるわけです。


国道19号桜沢トンネル。桜沢集落付近の険しい地形を回避するため、飯田国道事務所により「桜沢改良」と呼ばれる改良事業が進めら、2021年(令和3年)11月28日に開通したものです。






旧国道の桜沢橋の下にある石垣。おそらく、昔の桜沢橋の橋台跡ではないかと思われます。


ここから桜沢を上流に向かって歩いていきます。


旧国道の桜沢橋の眺め。


桜沢の行き止まり地点まで来ました。正面の谷は埋め立てられていて、その上を旧中央本線が通っていました。


そして、この地点の右側斜面の中腹に桜沢橋梁があります。


名称は橋梁ですが、実態は煉瓦造りの水路トンネルです。


以前に訪れた時は、さらに上流側から水路トンネル内に進入し、この坑口へと出てきました。出てはきましたが、この高低差のために降りることはできず、そのままトンネル内へと引き返しました。


標高の高い、常に日陰の谷底とあって、落差部分の流れは凍り付いています。


ここ桜沢橋梁は、本来の桜沢の谷を埋め立てて、その上に旧中央本線を通しました。そして桜沢の谷へ真横から流れ落ちるように桜沢橋梁(水路トンネル)が設置されています。


同じようなケースの場合、迂回のための水路トンネルを掘削するのでなく、ほとんどは川を覆うように煉瓦や石のアーチを建設し、その上に盛り土をして築堤を築いています。

しかし、周囲の山を見るに旧中央本線が通過する付近の桜沢はおそらく屈曲していたように思われます。屈曲した河川に蓋をすると土石流などが発生した場合に詰まりが発生して水の流れを阻害し、築堤の破壊につながる恐れがあります。そのために新たに沢の流れを迂回させるための水路トンネルを掘削したのだと考えられます。

そのような理由を何か確認できるかと、手持ちの「日本鉄道請負業史 明治編」を読んでみましたが、桜沢橋梁に関する記述はありませんでした…。

桜沢から旧国道を歩き、車へと戻ってきました。時刻は15時45分です。


このまま国道19号を岐阜県中津川市まで走っていくつもりだったので、もう2か所寄り道しました。

奈良井ダム。ダム湖は完全結氷。




旧中央本線 鳥居隧道。氷筍を見に立ち寄りましたが、先客がいて氷筍を撮影中。お邪魔にならないように少しだけ撮って退散しました。




プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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