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小林あにのブログ一覧

2022年05月21日 イイね!

旧海老街道(ふりくさ道)仏坂峠道を歩く(1)

2022年4月2日土曜日、愛知県新城市四谷にある旧海老街道(ふりくさ道)の峠「仏坂峠」の峠道を歩いてきました。今回の目的は旧街道のルートを地図上に確定させるためのGPSデータを取ることです。

ここ仏坂峠の峠道は、2011年5月21日、2019年3月9日と2回訪れていて、今回で3回目となります。なので、もはや「ルート探索」というよりは「散策」といった感じです。が、踏破するのは年々困難になっています…。

時刻は12時50分。新城市四谷側の峠道入口へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠道入口に立っている説明板にある峠道の概略図。


仏坂峠への峠道が道路から左へと分岐していきます。


路傍に祀られている石仏。新城市四谷側から峠までの間には三十三体の観音菩薩像が祀られており、「仏坂」の由来となっているそうです。ちなみに写真の石仏は八番観音になります。


こちらは「役行者」像。文化3年(1806年)のものだそうです。ちなみに、倒木が像に当たったようで、顔が剥がれ落ちていました…。


破損する前の「役行者」像の写真はこちら(2019年3月9日撮影。)。


今のところはまだきれいに保たれている峠道を、直線的な急坂で登っていきます。


ついに倒木が現れました・・・。2019年3月の時点で確認してますが、この先の道中を暗示させる不穏な光景です…。ここは人が通れるようにカットされていたので、まだ大丈夫でしたが。


ここで峠道は沢を渡って対岸へと渡ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢を渡るとつづら折りがあります。




路傍に石碑があります。


こちらは馬頭観音碑。「馬頭観世音菩薩」と彫られています。


「明治七年戌壱月…」とあり、1874年に立てられたものとわかります。そして明治7年は戌年なので「戌」の字も。


馬頭観音碑のすぐ先に木製の道標が立っています。


「左 仏坂峠ふりくさ道」、「右 カンバンタ山道」とあります。


「ふりくさ道」は旧海老街道の別称。現在の北設楽郡東栄町振草へと向かう街道なので、このようにも呼ばれています。「カンバンタ山道」は旧海老街道から分岐して、カンバンタ(地図に載っていないので場所は不明。)、川売を経由して、新城市海老へと向かう間道です。


分岐を通過するとすぐにまた倒木が現れます。ここもくぐり抜けられるように倒木がカットされているので、そのまま進んでいきます。


倒木をくぐり抜け、つづら折りを登っていきます。


難関に到着です。斜面崩落による大量の倒木が絡み合っています。2019年3月にここを訪れた際にはすでにこの状況で、「あれから3年経っているし、もしかしたら峠道の部分くらいはカットされてるかな。」と期待しましたが、どうやらそのまま放置されているようです…。




これだけ大量の倒木を跨いだりくぐったりして進むことは不可能なので、倒木群の上部まで高巻きして迂回していきます。


この辺りで対岸へと進まないといけないので、倒木の隙間を縫って沢まで下りて対岸へと渡ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

渡った先で今度は峠道まで急斜面をよじ登っていきます。


ようやく峠道へと復帰しました。


この先は通行を妨げられるほどの倒木や崩落は無いはずなので(2019年3月以降に何も起きていなければ。)、ようやく一安心です。


石仏群です。


頭上に馬頭をいただいているので馬頭観音ですね。光背には「寛政十二年」と彫られています。西暦1800年になります。


こちらは「十七番観音」。


石仏二体の上にある馬頭観音碑。


まだまだ急坂を登っていきます。


ふと右下の沢へと目をやると石積み橋台が見えました。あんな方向へと行く道は思い当たりませんが、帰りにでも寄ってみましょう。


杉の幹にマジックペンで道案内が書かれていました。木の所有者が書いたのならばいいのですが…。


一旦、沢のガレた河原へと出て、また左側の山の斜面へと入っていきます。




峠道にある名所「釜滝」です。ご覧のとおりの黒い岩肌と形状から「釜」の名前が付けられたのだと思います。


ここから峠道は、「釜滝」の滝口の上を目指してさらに上っていきます。




岩肌に石仏が寝転がっています。多分、上段を通る峠道から滑り落ちてきたのでしょう。


石仏を抱きかかえて、元の場所へと据え直しました。札を見ると「二十二番観音」のようです。台座が傾いていたので、またひっくり返らなように隙間へ石を詰めて平らにしておきます。


「二十二番観音」の手前にある「二十一番観音」。「二十一番観音」は二体ありますが、こちらは新しい方。光背には「大正十三年(1924年)七月」の年号、台座には「二十一番 海老町四谷 馬方連中 建之」とあります。


大正13年の頃には、ここ旧海老街道の隆盛も陰りが出始めていたはずです。大正10年(1921年)に旧別所街道(現国道151号)与良木峠に旧本郷隧道が開通したことにより、信州と三河を結ぶ主力の物流経路が旧別所街道へと移行したからです。

海老町四谷は仏坂峠の西側の地区であり、旧別所街道とはまったく縁がありません。当然、四谷の「馬方連中」が請け負う仕事は減ったことでしょう。石仏を建立したのは道中の安全祈願はあるでしょうが、旧海老街道の復興を祈願したものでもあるでしょう。

さて、「二十二番観音」の先へと進んでいきます。


峠道の右下に先ほど眺めていた「釜滝」がふたたび見えてきました。


ここに二基の石碑が立っています。


南無阿弥陀仏碑と馬頭観音碑です。


南無阿弥陀仏碑の右側面に彫られている年号は「享保三年三月吉日」。西暦で1718年。この仏坂峠の峠道にある石仏・石碑の中では一番古いものだそうです。


馬頭観音碑の下部。「古宿村 大林村 中」、「今泉半右衛門 〇〇〇右衛門」、「三界萬霊等」と彫られています。


古宿村・大林村は現在の新城市四谷にあった村。「村中」とあるので二つの村が「村一同」で建立したものでしょう。名前が記されている二人は各々の村の庄屋だったのでしょうか。「三界萬霊等」と彫られているのは、あらゆる世界(三界)の無縁の霊(萬霊等)を漏れなく供養するという意味のようです。

この二つの石碑の先が、この峠道の中で最大の難所といえる場所です。崖を横目に睨む道幅の狭い場所なので、牛馬が荷物を背負ったまま「釜滝」へと転落することもままあったようです。






「釜滝」の滝口の上に聳える二本の巨木。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

その2に続きます。
Posted at 2022/05/21 22:40:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧海老街道 | 日記
2022年05月15日 イイね!

高山本線猪谷駅までドライブしてきました

2022年3月26日土曜日、弟が土曜日休みということで一緒にドライブに出かけてきました。弟からは「ドライブに連れていってくれ。」というだけで行き先にリクエストは無し。「岐阜県を縦断して、県境を越えた猪谷駅でUターンするか。」と私が勝手に決めました。

自宅を7時50分頃に出発。新東名豊田東ICから高速に乗り、東海環状道を進んでいきます。

初めは、東海環状道から東海北陸道へと進み、飛騨清見ICから猪臥山トンネルを抜けて飛騨古川に出て、そこから国道41号で北上しようかと考えていましたが、急に気が変わり、東海環状道美濃加茂ICで高速を下りて、国道41号で北上することにしました。

最初に寄り道したのは、岐阜県下呂市門原にある門原トンネル(門原隧道)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

素堀りのトンネルで、設置されている説明板によると開通は大正6年(1917年)。岐阜県下で最初の道路トンネルとして建設されたそうです。


現在の国道は、トンネルがある岩壁を川側へ迂回して通っていますが、この道路が建設されるまでの45年間ほどトンネルは利用されたそうです。




さらにこの後も飛騨川に沿って、下呂、萩原、小坂などの街を通過しつつ、国道41号をひた走ります。

そして、段々と眠たくなってきたので(最近はすぐに眠たくなる(笑)。)、高山市久々野町の道の駅「飛騨街道なぎさ」で停まります。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで昼御飯を食べた後、車の中で仮眠。結局、1時間50分ほど休憩してしまいました(笑)。

ふたたびドライブ再開。令和2年(2020年)12月に開通した国道41号宮峠トンネル(延長1863m)を初めて通り抜けて高山盆地へ。高山市内は国道41号を離れて、市街地を通る旧国道を通行。そのまま飛騨市古川町まで旧国道を走り、古川町杉崎から岐阜県道75号へと入ります。

飛騨市古川と飛騨市神岡を結ぶ県道75号は、かつて高山と富山を結んでいた街道の一つである「越中東街道」の明治時代以降のルートであり、昭和41年(1966年)までは国道41号に指定されていました(現在は数河峠を越えるルートになっている。)。

神原峠にある神原トンネルを抜けて、峠の飛騨市神岡側にある駐車帯でトイレ休憩。3月下旬ですが周囲にはまだまだ残雪があります。


場所はこちら。地図内にも書き込んでありますが、神原峠の旧トンネルは岐阜県下では珍しい煉瓦坑門を持つトンネルでした。今回は立ち寄っていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この先で県道75号から国道41号へ合流。飛騨市神岡を通過して、高原川沿いとなった国道41号を走行していきます。

またも寄り道。高原川を堰き止めている新猪谷ダムです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム付近は強風が吹き荒れていて、傘がめくり上がりそうな程でした。


次に立ち寄ったのは旧国道41号の千貫橋。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今も道路地図などに明記されているので、もしかして通行できるのかなと立ち寄ってみましたが、ご覧のとおり頑丈そうな門扉で封鎖されていました…。


そして、千貫橋から走ること10分ほど。ようやくUターン地点である高山本線猪谷駅に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここ猪谷駅は、JR東海とJR西日本の境界駅となっております。


駅舎内。特急ひだの停車駅ですが、窓口は閉鎖され、無人駅となっています。


ホームに停めてあったホンダ製の除雪機。カタログを見ると中型の除雪機のようで、1台70万円から100万円はするようです。


猪谷駅の駅名板。


かつては飛騨市神岡へと向かう神岡鉄道(2006年12月廃止。)の分岐駅であり、高山本線の運転上の要衝駅でもあるため、広い構内を持っています。


猪谷駅で引き返し、飛騨市神岡に程近い国道41号吉ヶ原橋のたもとに来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで少し国道41号吉ヶ原橋の旧道を歩いてみます。旧道はご覧のとおりすでに廃道と化しています。


吉ヶ原橋を眺めます。上路トラス橋というタイプですかね。


廃道を進んでいくと短いコンクリート橋が残っていました。


「岩之谷橋」とあります。


竣工は昭和28年(1953年)10月。年代からして増加する自動車通行へ対応するためにコンクリート橋へ架け替えられたものでしょう。


橋の下には水の流れが無いガレた斜面があるだけです。


橋の上流側の斜面を見上げます。


凹地になっている斜面は石畳になっていて、上部には石積みの床固工?が設けられています。


落石や雪崩を避けるために橋を架けてあるのかもしれません。ただ、すでに橋下の空間に余裕がないので、将来大規模な崩落や雪崩があれば岩之谷橋は高原川へと押し流されてしまうでしょう。

斜面構造物と人の対比。岩之谷橋と同じ頃に施工されたものと思われますが、けっこうな規模の治山施設だとわかります。


この時点ですでに雨が降っており、時刻も16時近くと遅かったため、廃道歩きは岩之谷橋までにして車へと引き返しました。

車を停めた駐車帯近くにあった神岡軌道のトンネル跡。中は10mほどで埋没しています。


神岡軌道は、国鉄神岡線(のちの神岡鉄道。)が開通する以前に神岡と猪谷駅を結んでいた、ナローゲージの鉄道です。

寄り道はここまでにして、帰路につくことにします。

来た道で帰るか、飛騨古川から飛騨清見ICへ出て東海北陸道で帰るか、全く違うルートで帰るか。早くて楽なのは東海北陸道ルートですが、どうせ明日も日曜日で休みだしと、飛騨市神岡から国道471号へと入り、平湯温泉へと出て国道158号へ。安房トンネルを抜けて、梓川沿いの渓谷を奈川渡ダムまで走り、ダムからは長野県道26号へ。境峠を越えて、木祖村薮原で国道19号へ。あとは国道19号をひた走り、中津川市内で晩御飯。中津川ICから中央道に乗り、22時20分頃帰宅しました。
Posted at 2022/05/15 23:05:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年05月14日 イイね!

伏見稲荷大社へ行ってきました

2022年3月20日日曜日、姉に誘われて母と3人で京都市伏見区にある伏見稲荷大社へと行ってきました。




楼門。


外拝殿。


本殿。


本殿の左側を通って奥へと進んでいくと、よく知られている「千本鳥居」が始まります。


参拝客が多いとはいえ、境内を歩いているうちはあまり混みあっている感じはありませんでしたが、狭い通路となる千本鳥居はどうしても密集した行列になってしまいます。


千本鳥居はひとまず奥社の前で終わります。ここで引き返す人も多くいますが、私たちはさらに奥へと続く鳥居群をくぐり、先へと進んでいきます。


奥社から先はすっかり参拝客が減ってしまいました。


他の参拝路と合流して、山の上へと進んでいきます。








見晴らしの良い場所へと出てきました。ここまでずっと曇天でしたが、一時晴れ間が見えました。京都市街地を眺めています。


山上への参拝路はどんどん急坂になっていきます。


こんな急坂に連れてこられると思っていなかった母は、疲れが出てきてだんだんと歩みが遅くなっていきます。私も伏見稲荷大社の奥にこんな参拝路があるとは全然知りませんでした。


三ノ峰(下社神蹟)。


延々と続く急坂の参拝路を休み休み登っていきます。


二ノ峰(中社神蹟)。


一ノ峰(上社神蹟)。標高233mある稲荷山の頂上になります。


もと来た参拝路では戻らず、そのまま先へと進んでいきます。ここからは基本下り坂になります。






「四ツ辻」まで戻ってきました。登ってきた時に京都市街地の写真を撮った場所です。ここで少し休憩します。


伏見稲荷大社の外周を通る道を進んで下っていきます。道に沿って小さな区画がたくさん設けられており、それぞれの区画の中に大小さまざまな石碑が立てられています。長野県の御岳山でも同じような光景を見ます。


JR奈良線稲荷駅へと続く参道へと戻ってきました。足かけ3時間ほどかかり、有名な神社へ参拝しに来ただけのつもりが、ちょっとしたハイキングになってしまいました(笑)。


姉はこれで目的を達したので、「あと行ってみたい所があれば寄ってもいいよ。」と言われたので、私が行ったことのない三十三間堂へ行くことにしました。

京都市東山区へと移動してから、駐車場を探して三十三間堂周辺をウロウロと走り回り、ようやく空きのある駐車場を発見。徒歩で三十三間堂へと向かいます。

道中、大きな塚を発見。「これはあの耳塚じゃないか。」ということで外から眺めます。


「耳塚」とは説明板にもありますが、豊臣秀吉による文禄・慶長の役の際に戦功のしるしとして朝鮮半島から送られてきた敵将・敵兵の耳や鼻を埋めて供養した塚です。


戦功があったことを証明するために敵の首級を上げるということはよく知られているところですが、さすがに遠方の地である朝鮮半島から首級を日本へと送るのは大変なため、かさばらない耳や鼻を削ぎ落として、樽に塩漬けにして送ったそうです。数を水増しするために、一般庶民の耳や鼻を削いだ例もあるようです。

戦争における狂気の一端を感じさせる史跡です。

そして、耳塚から100m~200mほど歩くと、今度は豊国神社がありました。ここを訪れるのも初めてです。祭神は豊国大明神、豊臣秀吉ですね。


唐門。元々は伏見城にあった門だとの伝承があります。その後、二条城へ移築され、それを金地院崇伝が譲り受けて金地院の門となっていたそうです。江戸時代に廃絶となっていた豊国神社が、明治時代になって現在の地に再建された際に再度移築されてきました。




唐門から境内の眺め。


「豊国大明神」の扁額。


「国家安康」の梵鐘。「方広寺鐘銘事件」と呼ばれる日本史好きな方ならよく知る事件にかかわる梵鐘です。




「国家安康」と「君臣豊楽」の銘文。「徳川家康の「家」と「康」を分断して呪詛し、「君「臣豊」楽」と豊臣姓を銘文に入れた。」と徳川家康から豊臣家に対して執拗に行われた非難・追及が大坂の陣を引き起こし、豊臣家を滅亡に至らしめたとされています。


三十三間堂へとたどり着く前に一人盛り上がってしまいました(笑)。

さて、ようやく三十三間堂です。正式名称は蓮華王院。


先にお堂の中で千手観音坐像と千体千手観音立像を拝観してきました。お堂の中は撮影禁止のため、写真はありません。

この後は三十三間堂の外周を巡ります。








境内に居た地元の方が教えてくれた垂木に刺さる矢。




今回の京都は今までに行ったことが無い場所ばかりでした。京都市内は有名観光地ですら行ったことが無い場所が数多あるので、これからも折を見て訪れてみたいと思います。まあ、姉が行く時に便乗する形でしょうけど(笑)。
Posted at 2022/05/14 18:29:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年05月10日 イイね!

野尻森林鉄道「木曽川橋梁」を見に行ってきました

2022年3月19日土曜日、長野県木曽郡大桑村野尻に残る野尻森林鉄道の木曽川橋梁を見に行ってきました。木曽川橋梁は大正10年(1921年)の架橋(大正12年(1923年)という記事もある。)。同森林鉄道が廃止された昭和40年(1965年)までの44年間供用されました。

場所はこちらになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

中央本線野尻駅の駅前広場へとやって来ました。ここに車を駐車して、徒歩で現地へと向かいます。


駅前に立つ長野県道261号「野尻停車場線」の標識。


野尻駅の北側にある石積みのガードをくぐっていきます。中央本線の木曽谷区間には、多くの石積みアーチが存在しています。


坂を下り、木曽川へと向かっていきます。


小さな鉄橋が見えてきました。野尻森林鉄道の廃線跡です。






橋の下をくぐり、さらに先へと進みます。


木曽川のほとりへと出てきました。対岸につり橋の主塔跡が残っています。


さらに上流へと向かい歩いていくと、また橋の跡がありました。


対岸には橋台跡も見えています。


現在供用中の道路橋をくぐって進むと目的地が見えてきました。


野尻森林鉄道 木曽川橋梁です。森林鉄道廃止後も撤去されることなく現存しています。


土木学会の「歴史的鋼橋調査台帳」によると、橋長は134.6m、橋梁の形式は「単線上路ワーレントラス」、「単線下路曲弦プラットトラス」、「単線上路プレートガーダー」の3種類が用いられています。


「単線上路ワーレントラス」部分の写真。




橋梁の支承部の写真。と言っても知識があるわけではありませんが、「平面支承」というタイプと思われます。


上流側からの眺め。


橋台の上へと登って橋を眺めます。レールは撤去されていますが、枕木が残置されたままになっています。長年風雨にさらされているため、すっかりやせ細っています。




それでは対岸側へと移動します。


木曽川橋梁の下流側に架かる道路橋を渡っていきます。橋の名前は「野尻向橋」とあります。


野尻向橋からの下流の眺め。手前が先代橋、奥が先々代橋の跡ということになりますね。


木曽川橋梁の対岸側へとやって来ました。こちら側は鬱蒼とした竹林で眺めがよくありません。






「単線上路プレートガーダー」の上に残っているボロボロの枕木。


右岸側からの眺めです。


「単線上路プレートガーダー」の側面に取り付けられている銘板。「大正十年四月 日本橋梁株式会社 製作 大阪」とあります。


ついでに野尻向橋の先代橋を見てみることにします。

間近で見ると変わった構造をしています。橋の下のホームのような構造物は何のためのものなのでしょうか。


川べりの構造物には階段が設けられています。元は堰堤か取水口で、橋も併設されていたというところでしょうか。


橋の上からの眺め。


最後に中央本線野尻駅に隣接する木曽森林管理署南木曽支署野尻土場の眺め。


かつては周辺の山々から大量に伐採された材木が森林鉄道でこの土場へと搬入され、野尻駅で中央本線の貨物列車へと積み替えられ発送されていたのでしょうね。

Posted at 2022/05/10 22:42:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2022年05月01日 イイね!

野尻森林鉄道 柿其線跡を歩く(1)

2022年3月12日土曜日、長野県木曽郡南木曽町に残る野尻森林鉄道柿其線跡を歩いてきました。

ここを探索しようと思ったのは、3月6日日曜日に木曽谷へドライブへと行った際、立ち寄った柿其水路橋付近で弟が森林鉄道跡にトンネルがあるのを発見しながらも、その日は現地へと近づくことができないまま帰ることになったからです。

南木曽町の木曽川に架かる柿其橋のたもとへとやって来ました。


柿其橋の上から森林鉄道跡がある方向を眺めています。黄色の枠で囲った辺りに森林鉄道跡があります。


柿其橋のたもとにある神社の脇から木曽川の河原へと下ります。


そのまま河原を歩いて、支流の柿其川に架かる橋の下に来ました。


本当はこの橋を渡ることができれば森林鉄道跡が残る対岸へと楽に進めるのですが、この橋は付近にある採石場の私有橋のようで、関係者以外立ち入り禁止となっていました。そのため、河原を歩いて対岸へと渡ることにしたわけです。

河原を石伝いに渡り、採石場の敷地内に入らないように注意しながら急斜面を登って、森林鉄道跡へとやって来ました。登ってきた場所のちょうど目の前にトンネルがありました。


このトンネルは第6号隧道と呼ばれているようです。ご覧のとおり、森林鉄道のトンネルとは思えない立派な石積みの坑門を持つトンネルです。


内部は緩くカーブしています。


通信線用のものか、碍子が残ったままになっています。


内部は側壁が石積み、アーチ部はコンクリートで覆工されています。森林鉄道だと内部は素掘りのままというのがよくあるパターンですが、このトンネルは全面が覆工されています。


反対側へと出てきました。


路盤の上には多くの落石が転がっています。そして左側遠方には関西電力読書発電所の柿其水路橋が見えています。


反対側の坑門です。


3月6日日曜日に訪れた際に引き返した崩落斜面の反対側へと来ました。


行けそうな感じではありますが、もう向こう側へと渡る意味がないですし、やはり滑落が怖いので素直に引き返しました。


引き返した地点からの第6号隧道の眺め。柿其川へと落ち込む右側の急斜面を見てもわかるとおり、険しい場所に造られています。


第6号隧道はこれくらいにして、木曽川の上流方向へと進んでいくことにします。




少々うっとおしい薮を通り抜けていきます。


植林地の中にも森林鉄道の跡が一直線に残っています。


幅の広い場所に出ました。この場所で列車交換でも行っていたのでしょうか。


盛土状の路盤がはっきりとわかります。


谷積みで高く積まれた立派な石積み擁壁です。




同じように石を高く積まれた擁壁が続きます。


右側の落ち込んでいくような急斜面にも、路盤を維持するための石積み擁壁が設けられています。


路盤の上に行く手を塞ぐような大きな落石が転がっています。


ここは落石の上に登って迂回します。




落石がある場所を振り返っての眺め。


また背の高い石積み擁壁です。


露出している岩を避けるように石垣が組まれています。




依然、険しい地形が奥へと続いているのを見て、この先に路盤が残っているのか不安になってきます。




路肩に残っていた境界標石。戦前の宮内省帝室林野局のものです。


玉石積みの擁壁です。この場所のものは、目地にコンクリートなどの「つなぎ」を何も使わずに積み重ねる「空積み」だと思われますが、これだけの規模のものは初めて見ます。


玉石積みでよく見かけるのは、目地をコンクリートなどで埋める「玉石練積み」と呼ばれる手法で造られたもの。玉石の空積みだとイメージ的に土留めとしての機能が弱い気もしますが、今もこのように維持されているということは、これで十分だということなのでしょう。

こちらは下部が玉石の空積み、上部は平らに加工した石を斜面に敷いてあります。上部のような斜面の補強の仕方も見かけません。しかも、石のサイズがバラバラで敷き方に規則性もありません。


擁壁から剥がれ落ちていた玉石。さすがに大きい石です。


ようやく次のトンネルが見えてきました。


第5号隧道です。


坑門の上部は石材が斜めに積まれています。落石や土砂崩れを受け流すためでしょうか。


トンネル坑口からすぐの場所の天井には大穴が開いています。


このトンネルも全面覆工されています。側壁が石積みなのは明らかですが、アーチ部も煉瓦状に加工した石材で巻かれているようです。第6号隧道と違う方法で覆工した理由はわかりませんが。


出口が見えてきました。すでに次のトンネルが見えています。


これは良いですねぇ。とても絵になります(笑)。


先に振り返って、第5号隧道の反対側の坑門。トンネルの前が落石や倒木で物々しいです。


第4号隧道になります。


こちらはご覧のとおりの短いトンネル。それでもしっかり全面覆工してあります。


第4号隧道の反対側の坑門です。トンネル上部の土被り部分が少なく、ロックシェッドといった感じです。


倒木が絡んでいたり、斜面が土砂崩れを起こしたりと、また荒れだしてきました。




橋梁跡が現れました。この深さだと迂回して沢まで下りるしかありません。


一応、写真にある斜面が下りていけそうでしたが、この周辺は真砂土なのか土質がボロボロ・サラサラで踏ん張りが効きません。


実際、写真で見るよりも急斜面なので、踏ん張りが効かなくてそのまま滑り落ちることもあり得ます。今回は大事を取って、ここで引き返すことにしました。

実は夜に知人と飲む約束があったので、これ以上時間を費やすことができないという理由もありましたが(笑)、あくまでも「これは無理したくない。」というのが引き返す理由です。

この先は次回に出直すとして、車へと戻ることにします。しかし、いい風景です(笑)。


第6号隧道まで戻ってきました。ここから左側の斜面を柿其川まで下っていきます。


柿其川の河原です。帰りもこの河原を通って対岸へと渡ります。


柿其橋が見えてきました。あとは神社の境内へと登って、柿其橋を渡っていくだけです。


さて実際のところ、今回は第6号隧道を確認する程度の偵察気分でこの場所へ来たので、距離的には大したことはなかったですが、時間的には足を伸ばし過ぎてしまいました。トンネルがあるのに懐中電灯も持ってきていなかったくらいですからね。

これを書いている時点ではまだ続きの区間を探索してはいませんが、自宅から2時間程度で行けるので、探索ネタが思いつかなくなった時にでも再訪してみたいと思います。なので題名には(1)を付けました。

まあ、橋梁跡の先はさらに困難な状況らしいですが…。
Posted at 2022/05/01 22:21:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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旧伊勢本街道「飼坂峠」南方の廃道を探索する(4) 
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