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小林あにのブログ一覧

2023年08月06日 イイね!

【新城市】愛知県道435号 須山入口から「峰の峠」までを往復しました

2023年7月8日土曜日。この日は廃道探索には出かけず、三河の山の中を縫ってドライブしていました。

岡崎市額田地区から愛知県道37号を走行し、田原坂を登って新城市作手へと出ます。そこから県道436号・県道435号を通って、寒狭川沿いの新城市愛郷へと出て、少しだけ国道257号を走り、島原橋を渡ってふたたび県道435号へ。

インプレッサだとギリギリの幅の狭い上り坂を登って、新城市中島山中の東にある小さな峠に来ました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

以前、この県道をドライブした時に、峠の切り通しの上に石仏があるのを見かけ、その内にまた見に来ようと思っていました。

県道の上の斜面に上がると、車道改修される以前の古道が残っていました。


古道を進んでいくと石仏がありました。通りすがりに県道から見上げた時は一体しかなかったように見えましたが、全部で2体の石仏と2基の石碑でした。


左から馬頭観音、役行者像で、右端のものは文字が彫られているのみで、何の石碑であるかは不明です。役行者像には年号が彫られていて、「天保五年九月吉日」とあります。天保5年は1835年になります。石碑には「關〇林」の3文字が彫られていて(〇は上が「令」で下が「周」に見える。)、側面に大正六年(1917年)とありました。


こちらは名号碑(南無阿弥陀仏碑)です。彫られている書体は、「只持海老道」で見たものと似ています。ネットでこの独特な書体について調べてみると、江戸時代後期の浄土宗の僧侶「徳本上人」にまつわる名号碑に用いられているようです。ただ、「只持海老道」やこの場にある名号碑が「徳本上人」に関わりのある碑であるかはわかりません。


ひとしきり石仏群を見物した後、ドライブを再開しましたが、ふと「もう少し歩き回るかなぁ。」と思い立ち、須山集落入口の交差点にある旧道へ車を駐車。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

もう一度峠へと徒歩で登っていきます。






石造の暗渠かなと覗いてみましたが、天板はコンクリート製のようです。


峠まで戻ってきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠下のヘアピンカーブを下っていきます。




山中集落まで来ました。


正面の三角コーンが立っている細い道を進んでいくと、先週「只持海老道」の探索に利用した「林道桃の久保線」へとつながります。新城ラリーの初期にはこの小さな交差点もリエゾン区間の一部で、細道から鋭角に左折して走行していました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山中集落内も県道435号は狭い道のままです。


さて、ここで引き返しても良かったのですが、ここ山中集落から以前に古道探索で訪れた「峰の峠」まではそんなに遠くはないはずなので、もう少し足を伸ばしてみることにします。


ここが「峰の峠」へと向かう道になるようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ひとまずは、地形図に表記されている道のとおりに進みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

谷筋へと入り込むと、かつての棚田の跡が峠へと向かって何段にも残されています。




簡易水道の施設のようです。ここから先は徒歩道へと変わります。


まだまだ谷の奥へと向かって棚田の跡が続いています。思わず「すごいな。」と独り言が出てしまいます。




こちらは簡易水道の取水施設のようです。


棚田へ向かうためのあぜ道と思われる道跡を進んでいきます。これだけの土地の造成と石垣の積み上げ。何年がかりで仕上げたものなのでしょうか。




峠へと近づくにつれて谷筋は緩斜面へと変わってきました。まるで湿地帯のような水源地ですが、この辺りにも田んぼの区画と思われる石列や低い石積みが見られます。




ようやく「峰の峠」の盛土道に着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは、山中集落へと向かう古道をあらためて辿っていきます。




先ほど歩いてきた湿地帯。


古道は、谷底よりもやや上部の斜面を縫うように進んでいきます。




棚田跡をより高い目線から見下ろします。


多くの倒木で古道が荒らされてしまっています。




若木の中を突っ切っていきます。


砂防ダムにより古道が寸断されてしまったので、ダムの上流側へと迂回して対岸へと進みます。


棚田跡がある谷底とけっこう標高差が出てきました。




整然と区画された棚田跡が並んでいます。田んぼだった頃は、こんな鬱蒼とした感じではない爽やかな景色だったでしょうね。


古道部分の倒木が切り取られています。現地の当事者ではない私が言うことではないですが、こんなふうに倒木が処置されていると大変助かります。


山中集落から入り込んだ時に見えていた砂防ダムです。


分岐路に出てきました。往路では左側の道へと進みました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山中集落へと戻ってきました。


さらに峠を越えて、車へと戻っていきます。


山中集落から歩くこと約30分。車へと戻ってきました。




今回歩いたルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

家を出た時には「今日はドライブするだけ。」のつもりだったのですが、結局山の中へと入り込んでしまいました(笑)。

今回は散歩をしたようなものでしたが、山中集落から「峰の峠」へと続く石垣の棚田跡はなかなか圧巻の景色でした。「田畑に使える土地は無駄なく使う。」という徹底した考え方が垣間見えますね。
Posted at 2023/08/06 22:34:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年08月06日 イイね!

ブログに書いていない訪問場所が溜まってきた…(3)

「ブログに書いていない訪問場所が溜まってきた…」(3)を記します。

一旦縮まってきた探索日からブログ掲載日の間隔がふたたび広がり、なかなか縮めることができません。

以前にも書いたかもしれませんが、今はだいたい一つのブログをアップするのに、2〜3日かけてます。貼り付ける写真の選定と色調の調整・地形図の加工に1〜2日、ブログを書くのに1日といったペース。作業時間は1日2〜3時間といったところ。

で、私の書き方の場合、ブログ1話に写真を72枚位貼り付けると、投稿の字数制限に引っかかるので、70枚を超えそうな場合は、ブログを(1)、(2)と割る必要があり、その分また日数がかかることになります。

それなのに、探索には毎週末出かけているから、溜まる一方ですよね(笑)。当分は解消しないでしょう。

現在未作成で溜まっている案件は以下のとおりです。

2023年7月8日土曜日、【新城市中島】愛知県道435号の峠と「峰の峠」。




2023年7月15日土曜日、【奈良県川上村】大鯛木馬道。




2023年7月16日日曜日、【新城市海老】カンバンタ山道と海老峠の峠道。




2023年7月22日土曜日、【飯田市南信濃南和田】南和田飯島から谷京峠への峠道。




2023年7月29日土曜日、【飯田市南信濃南和田万古】南和田万古から谷京峠への峠道。






2023年8月5日土曜日、【飯田市南信濃南和田万古】万古隧道から万古集落跡への古道を探索する。




















Posted at 2023/08/06 06:18:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2023年08月04日 イイね!

【新城市】古道「只持海老道」を探索する(3)

2023年6月25日日曜日、新城市只持から新城市海老へと至る古道「只持海老道」を探索してきました。「只持海老道」という名称は、旧鳳来町発行の「鳳来町誌 交通史編」によります。そのため、この道が地元の人々からはどのように呼ばれていたのかは不明です。

さて、「只持海老道」については、前日の6月24日土曜日に新城市只持側から探索を進めていきましたが、用事のために時間切れとなり途中で引き返しました。このような場合、普段だと翌週末以降に再訪するところですが、今回はさっそく翌日に再訪しました(笑)。

やって来たのは、新城市玖老勢の「やまびこの丘」付近の林道桃の久保線。この場所へ車を駐車して、徒歩で前回引き返した地点よりもやや先の地点で「只持海老道」へと合流し、残る新城市海老の区間までのルート探索を行います。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本当は、林道で前回引き返した地点の先まで車で乗り付けて、時間短縮と体力温存を図るつもりでしたが、駐車場所から100mほど先の所で土砂崩れに遭遇し、駐車場所へとバックしてきたわけです…。


土砂の上に軽トラのタイヤ痕は付いているんですが、さすがにインプレッサでの通過は無理です…。


林道を進んでいくと至る所で土砂が路上へと流れ出ていましたが、決定的なのはこの倒木。仮に先ほどの土砂崩れを越えたとしても、ここでアウトでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車から歩くこと35分、ようやく今回の本来のスタート地点となる、林道桃の久保線と作業道の分岐点へと来ました。「只持海老道」の続きである作業道側へと右折していきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

余談ですが、この場所に立っていた時、突然「ブンッ!」という野太い音とともに、何者かが眼前を横切って飛び去りました。明らかに鳥ではなかったので(ただ、あまりに顔の前過ぎて、茶色系の塊としか認識できなかった。)、おそらくムササビでしょう。

現在地から新城市海老までの地形図。「只持海老道」に相当する破線道などの記載は全然ありません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車の轍が付いた作業道を進んでいきます。


前方に倒木が見えている方向へと、さらに進んでいきます。


倒木と落ち葉で荒れてしまっています。


小さな谷筋が合流する場所へと出てきました。経験上、こういう場所では道跡を見失いやすいんですよね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図に記載されている里道(只持海老道)の方向へと歩いていってみましたが、いまいち道筋がわかりません。

仕方がないので、見つけた古道を歩き、ひとまずは麓へと下りてから、下から「只持海老道」を探すことにします。


小さな切り通しを通り抜けていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

多くの倒木の中、つづら折りの道を下っていきます。




緩い傾斜地の中を大きくカーブしていきます。


小さな切り通しから先、倒木に埋もれている場所がほとんどですが、この場所は珍しくはっきりと道筋を見ることができます。






沢沿いを進み始めると、今度は土砂や岩に埋もれている場面が多くなり、だいぶ荒れた状況となります。






砂防ダムが見えてきました。この後は、作業道を下っていきます。


旧豊橋鉄道田口線跡の道路へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここから海老方面へと少しだけ廃線跡を進んでいきますが、海老の街には入らず、山すそをなぞっていく廃道へと入り込んでいきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車が通れる幅だった廃道は、やがて川沿いを進む古道へと変わっていきます。


戦前の地形図を見て、「只持海老道」が通過していたであろう斜面の麓に来ました。廃線跡からこの地点まで山すそを歩いてきて「只持海老道」への入口は全然わからなかったので、ここから斜面を直登して「只持海老道」と交差できないか探ってみます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

斜面を5分ほど登っていくと古道と交差しました。戦前の地形図にあるとおりに斜面を斜め一直線に進んでいる道なので、これが「只持海老道」のようです。


せっかく登ってきましたが、どの地点から斜面へと取り付いているのか確認したいので、坂を下っていきます。


先程歩いていた山すそを通る古道へと出てきました。この付近では道跡が判然としておらず、これではわからないのも当然です。


そのまま川岸へと出てきました。対岸を見ると右へと曲がっていく小径があり、「只持海老道」の続きと思われます。


対岸へと渡り、先を眺めてみると真っ直ぐ海老の街へと向かっているので、やはり間違いないようです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは只持方面へと戻り、峠へと登っていく古道を探索していきます。




戦前の地形図上では緩く蛇行しているような表示ですが(5万分の1地形図のためもありますが。)、実際に歩いてみると小刻みに折り返しを繰り返す道であることがわかります。






古道の道筋があいまいになってきました。このような場面だと、ひとまず直進しつつ、峠方向へと進んでいく道筋がないか注視しながら歩いていくことになります。




ふたたび道筋がはっきりしてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

斜面を一直線に下っていく細い道跡を見ています。この斜面には、折り返しを繰り返す牛馬用の古道(私が歩いている道。)と、直線的な道である歩行者用の古道が絡まり合うように残っています。


倒木の中を縫って進みます。


どこまで歩いても倒木や枯れ枝に埋め尽くされていて、本当に誰も歩いていない道なのだとわかるような光景です。




谷側の路肩に植林されていると、道跡が崩落している危険性が少なくなるので安心できます。


前方に尾根が見えてきました。間もなく峠が現れそうです。


場所はこちら。


と思っていましたが、なかなか尾根を越えようとはせずに横移動していきます。




やっと峠へと出てきました。ただ、切り通しではなく、平面的な場所へと出てきたので、峠という雰囲気はあまりありません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠から斜面を下っていきます。


見覚えのある場所へと出てきました。往路で道筋がわからなくなり、峠を越えそうな古道へとひとまず進み始めた場所です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

これで「只持海老道」の探索が完了しました。前回引き返し地点から、今回の林道桃の久保線から作業道への右折地点までの約500mは探索していませんが、この区間は地形的に林道桃の久保線に重複していると考えられますので省略しました。


今回の探索ルート図になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回の探索区間で確認した「只持海老道」の推定ルート図です。青線が推定ルートになります。
Posted at 2023/08/05 00:18:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「【新城市】槇原川沿いの伐木作業軌道跡を探索する(2) http://cvw.jp/b/1796277/48659559/
何シテル?   09/17 00:08
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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