2023年6月25日日曜日、新城市只持から新城市海老へと至る古道「只持海老道」を探索してきました。「只持海老道」という名称は、旧鳳来町発行の「鳳来町誌 交通史編」によります。そのため、この道が地元の人々からはどのように呼ばれていたのかは不明です。
さて、「只持海老道」については、前日の6月24日土曜日に新城市只持側から探索を進めていきましたが、用事のために時間切れとなり途中で引き返しました。このような場合、普段だと翌週末以降に再訪するところですが、今回はさっそく翌日に再訪しました(笑)。
やって来たのは、新城市玖老勢の「やまびこの丘」付近の林道桃の久保線。この場所へ車を駐車して、徒歩で前回引き返した地点よりもやや先の地点で「只持海老道」へと合流し、残る新城市海老の区間までのルート探索を行います。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
本当は、林道で前回引き返した地点の先まで車で乗り付けて、時間短縮と体力温存を図るつもりでしたが、駐車場所から100mほど先の所で土砂崩れに遭遇し、駐車場所へとバックしてきたわけです…。
土砂の上に軽トラのタイヤ痕は付いているんですが、さすがにインプレッサでの通過は無理です…。
林道を進んでいくと至る所で土砂が路上へと流れ出ていましたが、決定的なのはこの倒木。仮に先ほどの土砂崩れを越えたとしても、ここでアウトでした。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車から歩くこと35分、ようやく今回の本来のスタート地点となる、林道桃の久保線と作業道の分岐点へと来ました。「只持海老道」の続きである作業道側へと右折していきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
余談ですが、この場所に立っていた時、突然「ブンッ!」という野太い音とともに、何者かが眼前を横切って飛び去りました。明らかに鳥ではなかったので(ただ、あまりに顔の前過ぎて、茶色系の塊としか認識できなかった。)、おそらくムササビでしょう。
現在地から新城市海老までの地形図。「只持海老道」に相当する破線道などの記載は全然ありません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車の轍が付いた作業道を進んでいきます。
前方に倒木が見えている方向へと、さらに進んでいきます。
倒木と落ち葉で荒れてしまっています。
小さな谷筋が合流する場所へと出てきました。経験上、こういう場所では道跡を見失いやすいんですよね…。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
戦前の地形図に記載されている里道(只持海老道)の方向へと歩いていってみましたが、いまいち道筋がわかりません。
仕方がないので、見つけた古道を歩き、ひとまずは麓へと下りてから、下から「只持海老道」を探すことにします。
小さな切り通しを通り抜けていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
多くの倒木の中、つづら折りの道を下っていきます。
緩い傾斜地の中を大きくカーブしていきます。
小さな切り通しから先、倒木に埋もれている場所がほとんどですが、この場所は珍しくはっきりと道筋を見ることができます。
沢沿いを進み始めると、今度は土砂や岩に埋もれている場面が多くなり、だいぶ荒れた状況となります。
砂防ダムが見えてきました。この後は、作業道を下っていきます。
旧豊橋鉄道田口線跡の道路へと出てきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここから海老方面へと少しだけ廃線跡を進んでいきますが、海老の街には入らず、山すそをなぞっていく廃道へと入り込んでいきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車が通れる幅だった廃道は、やがて川沿いを進む古道へと変わっていきます。
戦前の地形図を見て、「只持海老道」が通過していたであろう斜面の麓に来ました。廃線跡からこの地点まで山すそを歩いてきて「只持海老道」への入口は全然わからなかったので、ここから斜面を直登して「只持海老道」と交差できないか探ってみます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
斜面を5分ほど登っていくと古道と交差しました。戦前の地形図にあるとおりに斜面を斜め一直線に進んでいる道なので、これが「只持海老道」のようです。
せっかく登ってきましたが、どの地点から斜面へと取り付いているのか確認したいので、坂を下っていきます。
先程歩いていた山すそを通る古道へと出てきました。この付近では道跡が判然としておらず、これではわからないのも当然です。
そのまま川岸へと出てきました。対岸を見ると右へと曲がっていく小径があり、「只持海老道」の続きと思われます。
対岸へと渡り、先を眺めてみると真っ直ぐ海老の街へと向かっているので、やはり間違いないようです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
それでは只持方面へと戻り、峠へと登っていく古道を探索していきます。
戦前の地形図上では緩く蛇行しているような表示ですが(5万分の1地形図のためもありますが。)、実際に歩いてみると小刻みに折り返しを繰り返す道であることがわかります。
古道の道筋があいまいになってきました。このような場面だと、ひとまず直進しつつ、峠方向へと進んでいく道筋がないか注視しながら歩いていくことになります。
ふたたび道筋がはっきりしてきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
斜面を一直線に下っていく細い道跡を見ています。この斜面には、折り返しを繰り返す牛馬用の古道(私が歩いている道。)と、直線的な道である歩行者用の古道が絡まり合うように残っています。
倒木の中を縫って進みます。
どこまで歩いても倒木や枯れ枝に埋め尽くされていて、本当に誰も歩いていない道なのだとわかるような光景です。
谷側の路肩に植林されていると、道跡が崩落している危険性が少なくなるので安心できます。
前方に尾根が見えてきました。間もなく峠が現れそうです。
場所はこちら。
と思っていましたが、なかなか尾根を越えようとはせずに横移動していきます。
やっと峠へと出てきました。ただ、切り通しではなく、平面的な場所へと出てきたので、峠という雰囲気はあまりありません。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
峠から斜面を下っていきます。
見覚えのある場所へと出てきました。往路で道筋がわからなくなり、峠を越えそうな古道へとひとまず進み始めた場所です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
これで「只持海老道」の探索が完了しました。前回引き返し地点から、今回の林道桃の久保線から作業道への右折地点までの約500mは探索していませんが、この区間は地形的に林道桃の久保線に重複していると考えられますので省略しました。
今回の探索ルート図になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
今回の探索区間で確認した「只持海老道」の推定ルート図です。青線が推定ルートになります。
