• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

小林あにのブログ一覧

2023年12月31日 イイね!

【福井市】一乗谷朝倉氏遺跡へ行ってきました

2023年11月5日日曜日、弟と福井県福井市にある一乗谷朝倉氏遺跡へ行ってきました。

といっても、元々の目的は、2023年10月28日に開通した中部縦貫道大野油坂道路の勝原IC~九頭竜ICを走行することでした。私が運転していたので、写真はありませんけどね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

長大トンネルが連続する区間なのであっけなく通過。ここまで来てそれだけで帰るのも何だったので、そのまま中部縦貫道を走行し、永平寺の前を経由して、一乗谷朝倉氏遺跡へと向かったわけです。

場所はこちら。すでに何度も立ち寄っている場所ですが、もう何年ぶりになりますかね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この遺跡の特徴は、発掘成果に基づいて戦国時代当時の一乗谷の町並みが復原されていること。ぶらぶらと町並みを散策しました。












武家屋敷には茶室のような部屋があります。越前国の守護代から戦国大名となった朝倉氏が拠点としていた一乗谷は、京(京都)との交流が深く(それゆえ戦乱を避けた貴人・文人などの避難所ともなっていた。)、都の文化も浸透していたようです。


一乗谷の町並みの復原模型。朝倉氏が戦国大名となってからの5代100年の支配の下で、最盛期には1万人が居住する城下町となっていたようです。そして1573年、織田信長の侵攻を受けた際に城下町は徹底的に破壊され、消滅しました。


復原町並の対岸にある広場。朝倉氏の館跡などになります。




さて、帰り道の途中にもちょっと寄り道。国道158号馬返トンネルです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

現行トンネルの横に旧トンネルが残っています。以前に扉が開いていた時には、中に除雪車が駐車してあったように覚えています。


旧トンネルの扁額。


こちらは旧トンネルの脇から伸びる旧旧道。「馬返し」の名のとおり、険阻な道のようです(旧旧道を探索した方の動画があります。)。


最後に立ち寄ったのは、国道158号の油坂峠。大野市の案内標識の下には、大きなスズメバチの巣がぶら下がっています。


こちらは福井・岐阜県境にある油坂隧道。開通は1889年(明治22年)。開通当初は人道サイズのトンネルでしたが、逐次拡幅され、現在は自動車が対面通行できるサイズとなっています。


この後は郡上市白鳥の市街地へと下りて、ガソリンスタンドで給油。白鳥ICから東海北陸道に乗り、帰宅しました。
Posted at 2023/12/31 13:11:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年12月25日 イイね!

浅間高原シャクナゲ園・草津温泉・白根山などをドライブして回りました

2023年11月3日(金)、この日は祝日休みだったので、姉の誘いで母も連れて3人で長距離ドライブへと出かけてきました。

姉からは最初「浅間山の鬼押出しへ行こうか。」という話でしたが、私が「溶岩ばかりなだけで面白くなさそう。」と言ったため、「それなら、浅間高原シャクナゲ園という所へ行ってみようか。眺めが良いみたいだから。」ということで、浅間高原シャクナゲ園へと目的地を変更して出発しました。

豊田東ICから高速道路に乗り、長野県の岡谷ICで高速道路を下ります。岡谷からは国道142号を走り、立科町から長野県道40号へ。東御市で国道18号へと一旦出て、続いて県道94号へと入り、湯ノ丸高原へと上っていきました。

湯の丸スキー場で小休止。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

湯ノ丸高原を少し下った所から、林道棧敷山線という山道を走行。嬬恋村の高原へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

広々とした開放感のある眺め。ここでもしばし小休止。




林道を突き当りまで進んで右折し、嬬恋村道鳥居峠車坂線へと入ります。村道の道中はずっと砂利道。まあ、いわゆるフラットダートだったので、さして気にすることもなく30km/hくらいのペースで走行。


さらに林道群馬坂線へと入り、ようやく浅間高原シャクナゲ園に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

シャクナゲ園のある場所は活火山である浅間山の北麓。火山活動に関する注意看板が立っています。


こちらはシャクナゲ園の成り立ちについて記された説明板。


ここも絶景ですね。林道棧敷山線の出口よりも高台にあるので、よりパノラミックな展望が楽しめました。ただ、天気が良過ぎて、やや霞んでしまっていたのは残念でした。




駐車場から坂を上ってきて、母・姉はややお疲れ気味。展望を堪能するのもそこそこに、車へと戻ることになりました。




さて、次はどこへ行こうかという話になり、私が「せっかくここまで来たんだし、行ったことのない草津温泉まで行ってみる?」と提案。向かうこととなりました。

草津温泉の入口にある大きな足湯。きれいな建造物で、割と最近に整備された施設なのでしょう。


名物の「湯畑」へとやって来ました。今まで、テレビや写真でしか見たことがありませんでしたからね。それにしてもよく賑わっています。










街の入口にある公営駐車場と「湯畑」の間は、そこそこの距離と急坂があったため、母は歩き疲れてしまい、帰りは歩くペースがすっかり落ちてしまいました。

昼御飯は駐車場の近くにあったピザ屋の屋台でピザを買い、みんなで分けて食べました。


さて、これで帰ろうかということになり、どうせ私が運転していたので、「明日も休みだし、もうこのまま白根山を越えて信州中野まで出て、そこから高速道路に乗って帰ろう。」と話し、「好きにすればいい。」ということで、国道292号で信州中野へ向かうこととなりました。

本当は白根山に立ち寄りたかったのですが、最寄りの駐車場が封鎖されていたためそのまま通過。帰宅してからネットで調べたら、現在は噴火警戒レベルが「1」のために、駐車場を封鎖しているとのことでした。

白根山を素通りし山田峠を越えた先で、たくさんの車が駐車している場所が目に入り、車を停めました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車場所のすぐ北側に多くの人が登っている小高い丘があったので、私も登ってみました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山々が幾重にも連なって見えます。


これから通っていく先の国道292号が見えています。山腹を通過する国道にはロックシェッドが連続していて、危険な場所を通過していることを窺わせます。


草津白根山。活火山のため、草木が生えていない荒涼とした山頂部です。




国道292号の渋峠です。本当は手前にある国道最高地点に停まりたかったのですが、駐車スペースが空いていなかったため、代わりにここで停まりました。




場所はこちら。


渋峠から志賀高原へと下っていく道中は、道が狭いのと高低差が激しいこともあって、なかなか緊張を強いられました。その分、迫力ある景色が楽しめましたが、運転中なので「チラッチラッ」と見るのが精一杯なのは残念でした。

信州中野ICから高速道路に乗り、長野道姨捨SAで小休止。この後も休み休みしながら、のんびりペースで帰宅しました。


Posted at 2023/12/25 23:43:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年12月23日 イイね!

【奈良県十津川村】「旧逓信道」を歩く(2)

2023年10月28日土曜日、奈良県吉野郡十津川村上葛川を通る「旧逓信道」を途中まで歩いてきました。

前回(1)では、この場所まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢を塞ぐようにカーブで築かれた石垣です。一番下の部分には、沢水を流すためなのか穴が開いています。


沢の上流側にも低い石垣が組まれていて、ちょっとした築堤になっています。


植林地を通り抜けていきます。


二股に育った杉の片面が枯れてしまったものなのでしょうか。


道が崩れて、ガタガタに荒れた斜面になっています。足元に気を付けながら通過します。


また切り通しを越えていきます。


切り通しを抜け、ガレ気味の荒れた場所を歩いていきます。奥には石垣が見えています。


岩の切り取り工に石垣を組み上げて道を通しています。


小さな沢を石垣で埋めてあります。沢の水を石垣の路上に流すようにした「洗い越し」のようです。




目の前の斜面が崩落して、道が完全に寸断されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

寸断された場所からほんの少し戻り、下側へと迂回していきます。


迂回ルートの岩壁には、明らかに人工的に削られた跡があります。まだ「旧逓信道」が現役の頃(少なくとも里道・生活路として。)に、すでに本来の道筋は崩落により通行できなくなり、この迂回ルートを造り直したのかもしれません。




迂回ルートから上を見上げると石垣が残っています。ただ、本来の「旧逓信道」の道筋はさらに上の黄色の線の部分を通過しているので、何のための石垣なのかはよくわかりません。


迂回ルートを100mも歩かないうちに、滝のような大きな段差がある枯れ沢に遭遇しました。この部分も、「旧逓信道」の本来の道筋は崩落により消滅したようです。


枯れ沢を渡ると、迂回ルートは急斜面を無理やり上り、「旧逓信道」の本来の道筋へと復帰します。






倒木が被さっている場所にロープが掛けられています。


木製桟道が腐って落ちています。ここもロープでバランスを取りつつ、わずかな岩の出っぱりを伝って通過します。




岩の切り通しを通過。


ここも材木を並べた桟道があったようですが、ご覧のとおりボロボロ。張り出した岩の上を歩いて渡ります。一応、登山ルートではあっても、廃道転用のマイナーなルートなので、管理の手はなかなか及ばないようですね。


岩壁に沿った崖道です。きれいな壁面ですが、やっぱり自然にできたものなのでしょうね。


そして谷側を覗き込むと、けっこう縮み上がるような高さなんですよね…。


岩場の崖道が続きます。


荒れた沢を通過します。


まだまだ石垣が現れます。この「旧逓信道」、本当に一体どのくらいの期間と費用を掛けて整備された道なんですかね。きちんとした来歴が知りたいものです。


そして、岩の切り通しを通過。


ここも本来の路面が流失して凹地になっています。大きな破断はないので、一歩一歩注意しながら通過していきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大きな根っこの塊が道を塞いでいます。ここは山側を通っていきます。


岩壁と石垣の道が、崩れながらもまだまだ奥へと続いています。


どうにも怪しい雰囲気の木製桟道…。念のため、岩壁にもたれ掛かるようにして通過します。


これはいかにも人の手で削った感じがするゴツゴツした壁面。


また道の状態が悪くなってきました。地形図で確認すると、この辺りから尾根まで上るようです。ただ、この現場を見ると、崩れやすい場所を踏み跡のような細道で上っていく感じ。


この日は夜に用事があったため、もともと目的地を定めて踏破することまでは考えていませんでしたが、道の状況や時間的なことを踏まえて、この地点で引き返すことにしました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まだまだ気は抜けませんが、元来た道を引き返していきます。


白いキノコの上に誰が乗せたのか唐辛子の瓶が…。意味がわからん…。


往路ではハラハラした道中も、復路では状況がわかっているので、要所要所は注意しつつ、サクサクと歩いていきます。








上葛川の集落まで戻ってきました。ようやく一安心です。


自分の車もちゃんと待っていてくれました(「もしかして無くなっているかも…。」という気持ちは、毎回ちょびっとだけ持っています(笑)。)。


今回の探索ルートの全体図です。青線は未踏の「旧逓信道」、赤線が今回踏査した部分です。往復距離8.6km、4時間45分の行程でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

また出直して、続きを歩くかどうかは未定です。いっそ歩くなら、下北山村浦向側から笠捨山へと向かい歩くか、上葛川の集落からさらに十津川村折立方面へと歩いてみることを考えています。

ただ、「旧逓信道」のことをネット検索しているうちに、今度は十津川村内の旧道「西熊野街道」の記事を見つけてしまったり、先回探索した立合川には、実は対岸側にも木馬道があることを知ってしまったりと、いろいろと興味をそそるネタが出てきて、訪問する優先順位をどうしようかといったところです。

まあ、一番の問題は、自宅から片道4~5時間かかる場所ばかりであることなんですけどね。

最後に、ネットで調べることができた「旧逓信道」の情報について記しておきます。ちなみにネットで閲覧できる地誌の類で、この道を「逓信道」として記述しているものはありませんでした。

今回「旧逓信道」と呼んでいる道については、「笠捨越」という呼び名が一般的なようです。「奈良県吉野郡史料」の内、下北山村の道路の項目によると、「(前略)大字浦向より笠捨峠を経て十津川村上葛川に通ずる里道(後略)」とあります。

次に「下北山村史」です。

1924年(大正13年)の吉野郡役所あて僻地小学校の調査報告書に次のように述べられています。「(前略)隣村十津川村に通ずる山道、『笠捨越』の如きは、これまた数里の間人家絶えて無き険坂にして、或いは道と云わんよりは、僅かに人跡を印すと云うが当れるとなす所あり、怪物、野獣、強盗、追剥等につきては、前述伯母峰(東熊野街道の峠)よりも甚だしきものあり、堂々たる男子にして大抵のものは道連れを雇いて越すを例とせり(後略)」。

険しい山道というだけでなく、危険極まりない場所で、男性でも一人で歩けないほどだ(わざわざ「道連れ」を雇うほど。)と言っています。まあ、脚色もあるような気がしないではありませんが…。

「十津川への道」という項目にも「笠捨越」が記載されています。「浦向の奥地から奥地谷をのぼり、十津川橋を渡り笠捨峠を登り詰め、一寸向こう側へ下りて白谷辻を右すれば白谷奥へ、左すれば笠捨山の北の方から葛川上流に下り、田戸・小原・折立・平谷方面に通じている。約十五キロの間家一軒無い淋しい山道で、よく熊が出た。椎茸作りに来る人などよく通り、幕末頃北山中を震え上がらせた天誅組が越えてきたのもこの道であった。」。人家の無い寂しい山道であるという点は、僻地小学校の調査報告書と同様です。

それから「十津川への道」には、「同じく熊野川水系に属しながらも、大峰山から南に連なる奥駆道の稜線は北山と十津川を隔てる大きな障壁だった。主な道路はみな南北に通じ、両者を結ぶ道らしい道もなく、したがって交流も少なかった。」ともあります。

最後に「郵便局」の項目。これは「笠捨越」とは直接関係ありませんが、浦向郵便局は1882年(明治15年)に開局したこと、「当時の郵便は不動峠(浦向の南東側にある峠。)を郵便夫の肩に背負われて運んでいた。」とあります。

この記述から、十津川村上葛川から「旧逓信道」である「笠捨越」を通り、下北山村の郵便局と郵便物のやり取りをしていたというのであれば、それは浦向郵便局だったはずです。

逓送ルートとして不動峠を通行していたということですが、新宮(和歌山県新宮市)の郵便局と直接郵便物のやり取りをするようになってからのことでしょう。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「約十五キロの間家一軒無い淋しい山道」であることと、「両者(十津川村と下北山村)を結ぶ道らしい道もなく、したがって交流も少なかった。」(=両村間の郵便物の往来も少ない。)という理由により、岩壁を切り取り、石垣を築き上げて造られた「逓信道」は早々にその役目を解かれてしまったのでしょう。
Posted at 2023/12/23 21:43:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年12月16日 イイね!

【奈良県十津川村】「旧逓信道」を歩く(1)

2023年10月28日土曜日、奈良県吉野郡十津川村上葛川を通る「旧逓信道」を途中まで歩いてきました。

この「旧逓信道」は、「立合川木馬道」の情報をネット検索していた時にヒットした、近隣の笠捨山(標高:1,352.7m)への山行記録などに記載されていたものです。道中の風景写真を見て、「なかなか面白そうな道だな。」と思い、今回訪れたわけです。

ネット検索で得た伝聞での情報によると、この「旧逓信道」は明治時代に十津川村の郵便局と東隣の下北山村の郵便局の間の郵便物や小包の輸送(「逓送」なんて言いますね。)に利用されていた道だそうです。当時は「郵便逓送人」と呼ばれる人がいましたから、その人達が郵便物や小包を担いで運んだのでしょう。

ただ、「旧逓信道」が通る山の奥深さや険しさによるものか、利用された期間は短かったようで、早々に新宮(和歌山県新宮市)の郵便局から十津川村の郵便局と下北山村の郵便局へとそれぞれ逓送便が往来するように変更されたそうです。

現在は山行記録にあるように、上葛川から笠捨山などへの登山道として利用されているようです(ただし、サブルート的な利用度のようですが。)。

当日の朝8時過ぎ、「旧逓信道」の入口となる十津川村上葛川の集落の近くへとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車場所から坂を上り、上葛川集落へと向かう道の交差点まで来ました。ここは集落の西側になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この交差点に巡回バスのバス停とポストがありました。


上葛川の集落の中を歩いていきます。家はけっこうありますが、居住しているような気配はあまり感じられません。


集落内にもポストがありました。私は団地住まいなのですが、その団地内には一つもポストがありません。なのに、この小さな集落には二つもポストがあるとは…。


集落の東はずれまで来ました。入口の交差点にバス停があったので、集落内にはバスは入ってこないものだと思っていたら、こんな場所にバス停がありました。


集落を振り返ります。斜面に立つ門型の遺構は索道の跡でしょうか。


ここからは林道を歩いていきます。


林道の折り返し地点まで来ました。「旧逓信道」はこの場所から始まるようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

入口には、近隣の山である笠捨山や地蔵岳への案内板や石碑が立っています。




それでは「旧逓信道」へと踏み込んでいきます。序盤から最近歩いた「立合川木馬道」を彷彿とさせる岩の切り取り工や石垣が目を惹きます。




さっそく岩を開削した切通しが現れました。単なる登山道なら、わざわざ岩を削り取って道を通すような労力は掛けないでしょうから、やはりそれなりには重要な道だったことが窺えます。


岩壁を切り取った狭い道が続きます。谷側に木が生えているので、あまり気にはなりませんが、眺めの良い絶壁だったら通行するのに躊躇しそうです(笑)。




そして、どこからともなくこの道にゴムホースが合流してきました。多分、上葛川集落へ水を引くためのものでしょう。施設管理用として「旧逓信道」を利用しているためか、道が崩れた場所には橋が架けられたりもしています。






頭上の岩がせり出していて、「片洞門」のようになっています。


「旧逓信道」と表示された案内板。設置者の「新宮山彦ぐるーぷ」さんは、周辺の山々の登山道整備や山小屋管理を担ってみえるようです。


「上葛川飲料用水道」の立て看板。どうやら、ゴムホースは集落の簡易水道の送水管だったようです。


路面が崩れた場所に渡し板が架けてありますが、外れてしまっています。ここは左側へと迂回していきます。


沢に鉄板の橋が架かっています。そして、さらに左方向へも橋が分岐しています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

橋の上流側に滝がありました。そして、滝の上へとゴムパイプが渡してあります。どうやら、ここが簡易水道の水源地のようです。滝の水量から見て、他にも水源地はありそうですけどね。


荒々しく削られた岩壁の前を通っていきます。


ここも道幅が狭くなっています。木々のおかげで、不安感はあまり感じませんが。


深く削り込んだ岩の切り通しです。岩を伝うように巨木も生えていて、なかなか見応えがある場所です。


ここははっきりと石垣が見えています。今のところ、ここまではけっこう苔むした石垣の方が多いように感じます。


木製桟道が取り付けてありますが、木材が腐食気味…。踏み抜かないようになるべく山側に身を寄せて通過します。


岩を道幅分だけくり抜いて、逆コの字型に造られた「片洞門」。これだけしっかりと形が残っているのは心躍りますね(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「片洞門」を抜けると渡し板が架けてありましたが、ここも腐って傷んでいます。左側へと岩伝いに迂回していきます。


そして、ガッチリと組み上げられた石垣。全面が苔で覆われてしまっているのは私的には残念ですが、それでも立派な遺構の一つです。


先ほどの「片洞門」を振り返って。


苔むした石垣の上へと上がり、岩壁の横の細道を進んでいきます。




ここは石垣が崩れてしまって、岩盤が剥き出しになっています。取り付けられているロープをバランス取りに使い、渡っていきます。


この道は、木材を運搬する「立合川木馬道」に比べると、道幅が狭い場面が多いです。「人が荷を担いで歩ける程度の道幅があれば十分。」という判断なのでしょう。




凸凹な岩の地盤を平らに埋めるように石垣が積み上げられています。


切通しを通過していきます。


少し傾斜が緩やかな地形ですが、路肩にはしっかりと石組みがされています。


岩を切り取った区間も繰り返し何度も現れます。


ガレ場となった沢を横断していきます。道が完全に埋まってしまうと、不安定な石の斜面を歩くことになるので厄介です。


岩を豪快に削り出して道が造られています。


ここも手前側は石垣が崩れて路面が無くなっているので、岩壁に掛けられたロープを頼りに路面へとよじ登ります。


谷側を見下ろすと垂直の崖になっています。そんなに怖くはないですが、気を抜くことはできません。


路面が欠落したところに材木が並べられていますが、これは上に乗りたくないですね…。左側の足元に少しせり出した岩を足場にして渡っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※その(2)へ続く。
Posted at 2023/12/16 17:55:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2023/12 >>

     12
3456789
101112131415 16
171819202122 23
24 252627282930
31      

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

旧伊勢本街道「飼坂峠」南方の廃道を探索する(4) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/04/19 15:50:49
甚目寺と名鉄築港線東名古屋港駅 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/04/19 15:27:31

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
所有4台目(4代目)となるインプレッサ。 ガチガチのマニアというわけではないですが、4 ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成16年夏に購入。 自身3台目のインプレッサとなります。 購入理由は、2台目インプレ ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成9年夏購入。 インプレッサ2台目。 行きつけの車屋さんへタイヤ交換の依頼をしに行っ ...
スバル インプレッサWRX スバル インプレッサWRX
平成7年夏購入。 インプレッサ1台目。 購入動機は、WRCのビデオを見たのが一番。 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation