2024年4月7日日曜日、岡崎市切山町の旧挙母街道を歩いてきました。地形図を見る限り、旧街道は現在もほぼ道路として利用されているようなので、今回は「探索」ではなく「散策」というわけです。
さて、岡崎市切山町付近の旧挙母街道は、後身に当たる国道301号と違うルートを通過していました。こちらは戦前発行の旧版地形図です。赤色を付けた道筋が旧挙母街道になります。

※5万分の1地形図「足助」:明治24年(1891年)測図・昭和3年(1928年)要部修正測図・昭和6年(1931年)発行。
こちらは現在の地形図。青色を付けた道筋が旧挙母街道になります。国道301号は川を挟んで北側となる豊田市黒坂町内を通過するルートへと変更されています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さて、現地へとやって来ました。車は国道473号の路肩へと駐車。国道沿いに流れる小川を渡り、古道へと進入します(ここは旧挙母街道ではありません。)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
右側の山の斜面に石仏が3体立っていました。
1体は光背に年号が刻まれていて、読み取ったところ、おそらく「元治元甲…」だと思われます。元治元年は西暦で言うと、1864年3月27日から1865年5月1日に当たります。干支は「甲子」なので、間違いないでしょう。
そのまま古道を進んでいきます。小川の対岸に見えている道路が国道473号です。
程なくして古道は終了。いったん舗装路へと出ます。
50mほど歩いたところで、左側へと分岐していく小径へと進みます。
この道は、おそらく先ほどの古道の続きだと思われます。
小径から国道301号を眺めます。黄色の線で示した道が旧挙母街道と思われます。まあ、本来のルートとは多少ずれているかもしれませんが。
小径はこの先で民家の庭先へと続く形になっていたため、一旦引き返して、あらためて舗装路を進んでいきます。
引き返した民家の山側を通過して下り坂を進んでいったところ、右側へと分岐していく道筋がありました。山すそに沿うように進んでおり、街道の名残りかもしれないので右側へと進入していきます。
砂利道を進んでいくと右側に常夜灯が立っているのを見つけました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
常夜灯には「秋葉山」と彫られています。これは東海地方ではよく見かける「秋葉山常夜灯」ですね。火伏の神を祀る秋葉山(現在の浜松市天竜区にあります。)への参詣道となる街道沿いに設置されたものです。この砂利道が旧挙母街道であった傍証にはなるでしょう。
「安政〇未十二月…」と彫られているようです(「〇」部分は読み取れませんでした。)。安政年間で未年は安政6年なので、安政6年(1859年)12月に設置されたものでしょう。
常夜灯の先にも砂利道は続いていますが、この先は民家の庭先へと突入しているように見えるので、一旦引き返すことにします。
街道が通過する小さな集落内を歩いていきます。
この小さな集落の内外にも石仏が点在しています。
集落を通り抜けると、ひときわ背の高い杉が現れました。愛知県指定の天然記念物「切山の大スギ」です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
なかなかの威容(異様とも言えます。)を誇る巨木です。
「切山の大スギ」から集落を振り返ります。この道が街道だった頃は、この巨木の下で休憩を取る通行人や旅人が居たのでしょうね。
大杉から先は川沿いのやや険しい地形を通過していきます。かつては危険な場所だったためか、この場所にも石仏が祀られています。
険しい場所を通り抜けたところで、道路から外れて直進していくU字型の窪みを見つけました。これはもしや…。
このU字型の窪みは街道の堀割り道のようですね。
路肩にはわずかですが土留めのためと思われる石積みもあります。この道跡が旧挙母街道だったのでしょう。
道路から外れて50mほどで国道301号へと合流しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
国道から振り返っての風景。今回の散策はこれにて終了です。
今回は特に下調べをしていないので、ここ岡崎市切山町付近の旧挙母街道が豊田市黒坂町側へと付け替えられた時期はわかりませんが、理由としては先ほどの山と川に挟まれた急傾斜地を避けたのだろうと思われます。
時期については、早ければ戦前から戦後にかけて自動車通行できるようにルート変更したか、遅くとも国道301号の改良工事で対向二車線化した際のどちらかでしょうね。
Posted at 2024/07/20 22:30:55 | |
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旧挙母街道 | 日記