2024年5月11日土曜日、旧新城市と旧作手村の境界にある山脈「雁峰山」を峠越えする旧挙母街道「御前石道」を探索してきました。
今回探索した道は、現代の「挙母街道」である国道301号の和田峠から東方にある御前石峠を越えるルートで、地元では「御前石道」と呼ばれていました。和田峠越えのルートがメインルートとして利用される以前は、御前石峠越えの道が新城と作手を結ぶメインルートだったそうです。
和田峠を越えるルートが車道改修工事(馬車道改修)されたのは大正年間ですが、それ以前は遠回りとなる和田峠経由よりも、短距離で新城と作手を結ぶ御前石峠越えのルートが利用されていたのでしょう。

※ひなたGISより引用・加工。
さて、今回の探索の出発地点へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
まずはこの地点から分岐していく林道へと入り込んでいきます。
日常的に利用されていない林道なのか、路面が深く抉れたままになっています。
地形図で林道から徒歩道が分岐している地点へ着きました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
大岩の横に立って前方を眺めると、確かに徒歩道が続いています。ここからは、この徒歩道を進んでいきます。
ひとまずは明瞭に道筋が残っていますね。
緩やかな谷地形に入ってきましたが、谷底部分の幅が狭くなるのに伴い、道筋が土石にかく乱されてしまい、どこを通っていたのかわからなくなってしまいました。
「忘れられた街道」という本に写真が載っていた祠を見つけました。道筋はわかりませんが、御前石峠へと向かうルートで間違いないようです。
もう全然道筋がわかりません…。登山アプリで地形図を確認しながら、御前石峠へ向かうことだけ考えて進みます。
ようやく道筋らしい窪みを見つけました。
と思ったら、程なくして林道へ出ました。このまま御前石峠へと向かいます。
どうやらここが御前石峠のようです。何の案内板もありませんが、位置的には間違いないでしょう。林道が交差しているだけの味も素っ気もない峠で、少しがっかりです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
戦前の地形図に従って、峠の交差点を直進していきます。
林道の右側斜面の上に平場が続いているのに気が付いて、上へと登ってみました。
半信半疑でしたが、そのまま進んでいったところ、道筋が現れました。
間もなく林道へと吸収されてしまいました。
しばらくは林道を歩いていきます。
戦前の地形図ではこの辺りから直線的に斜面を下っていっているので、林道から斜面へと下っていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
踏み跡程度の細い道が続いていたので、ひとまずは跡を辿っていきます。
地形図をチェックしたら、「御前石道」が通っていたと思われる稜線と位置がずれてきたため、左方向へと斜面を横断して道筋を探します。
先ほど下っていた細道よりも明瞭な徒歩道を見つけたので、麓側へと進んでみます。
さらに違う道の上へと出てきました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
2~3mほどの段差がありましたが、何とか下を通る道へと下りました。この道幅からして、この道が「御前石道」のようです。
ひとまずは麓側へ向かうことを優先します。
ヘアピンカーブが連続します。そして路面にはバイクの轍。林道を歩いていた時にエンジン音がこだましていて、その時は「山仕事でもしているのかな。」と思っていましたが、どうやらオフロードバイクが登ってきていたようです。
一直線に下っていきます。
深い掘割道。旧挙母街道を歩いているとよく見かけます。
倒木が連続していてトンネルのようです。
倒木で道筋が塞がれてしまいました。ここは右側へと迂回します。
道筋部分が深く抉れてしまっています。最近の大雨・豪雨の影響でしょうか。
雨が降ると、掘割道の形状からどうしても雨水の流路になってしまいますからね。
ここで「御前石道」は左側へと逸れていきます。掘割道が雨水等による洗掘で深くなりすぎて道を造り直したものなのか、どうなんでしょうね?
急坂を下っていきます。
舗装林道へと出てきました。新城ラリーのSSコースに使用されていた雁峰林道です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
林道を横断すると「御前石道」の続きがありました。
ここで「確か石仏があった気がする。」と思い出し、林道を少し進んでいくと現れました。
この石仏は千手観音像ですかね。
そして、この場所に「御前石道」の案内板が立っていました。QRコードを読み取ると「御前石道」の説明を見ることができます。
麓を目指してさらに進んでいきます。
※その2へ続く。
Posted at 2024/10/17 22:05:51 | |
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旧挙母街道 | 日記