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小林あにのブログ一覧

2025年02月15日 イイね!

【岡崎市】千万町坂の旧道探索と寸五郎坂の探索

2024年8月3日土曜日、岡崎市の千万町坂の旧道探索と寸五郎坂の探索をしてきました。

やって来たのは、岡崎市千万町町にある愛知県道333号の駐車帯。ここから千万町坂・寸五郎坂と巡っていく予定です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは旧千万町小学校。現在は廃校となり「千万町楽校」と名付けられ、地域再生の拠点施設として利用されています。


県道333号と334号の交差点へ来ました。ここで右折し、県道334号へと進んでいきます。


路肩に10%の勾配標識が現れました。この先から始まる「千万町坂」は、愛知県下にある激しい急勾配の坂の一つとして、自転車乗りの方々に愛用されるコースとなっているようです。時々、自転車乗りの方が峠付近の路肩でへばっていたり、寝転がっているのを見かけます(笑)。


峠付近は深い切り通しとなっています。これだけ深い切り通しだと車道開通以前の旧道がありそうですが、見つけることはできませんでした。


さて、切り通しを通過したところで県道334号を外れて、右側の路肩へと入り込んでいきます。この地点を旧道が通過していたという確信は全然無いのですが、取りあえず突っ込んでみます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

何となく道筋らしいものが見えているので、辿っていってみることにします。




砂防ダムが現れました。よく書いていることですが、砂防ダムは土砂の堆積により周囲の地形をかく乱してしまうので、廃道探索的には困ってしまいます。


砂防ダムの下流側を眺めると、道筋らしきものが見当たらなくなってしまいました…。まあ、本当にこの沢筋を千万町坂の旧道が通過していたのかは不明なのですが。


砂防ダムの表面には型枠の板の跡がくっきりと残っていて、設置時期は古そうです。銘板を見ると昭和43年(1968年)設置でした。


険しい沢筋が続くだけで、道筋らしきものの痕跡はありません。


炭焼き窯らしき窪みが残っていました。


また砂防ダムが現れました。


砂防ダムを越えると道筋が現れました。ただ、千万町坂の旧道だという確証は得られません。


またも砂防ダムに遭遇します。


砂防ダムから左側へと道筋が付いていたので、そちら側へと進んでいきます。


結局、千万町坂の旧道を見つけることができないまま、県道334号へと再合流しました。ここは素直にあきらめて、このまま寸五郎坂へと進むことにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

千万町坂で最も急勾配であることを示す16%の勾配標識。


寸五郎坂の入口へとやって来ました。ここで右折します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

舗装されていますね。路肩に「聖子花姫大神奥宮水神」と書かれた案内板が立っています。この先に神社でもあるのでしょうか。


舗装路ですがとんでもない急坂です。なまじ路面が滑らかなので、足を水平に置ける取っ掛かりが無く、歩いて進むにはかえって辛い状況です(笑)。


車道の終点に来ました。ここから先は徒歩道となるようですが、地道ではなくコンクリート舗装されています。


徒歩道になっても急坂が続きます。




橋が現れました。橋の下には石積みの橋台がありますが、現在架かっている橋に比べて幅広なので、かつてはもう少し立派な橋が架かっていたのかもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

橋を渡った先からは地道になります。


この橋を渡るとすぐに右側へと登っていく階段があります。この階段を登ると寸五郎坂の入口に立っていた案内板の神社へ行けるようです。この橋まで舗装されていたのは、神社への参拝客の利便を図るためなのでしょう。

この沢筋にも砂防ダムがありました。右側の斜面へと取り付いて、砂防ダムを越えていきます。


砂防ダムを越えると、寸五郎坂はすぐにつづら折りとなっていました。




道筋の前方がシダ類で覆われています。以前に斜面が崩れたことがあるのでしょう。


寸五郎坂はここで沢筋を離れ、折り返して斜面を登っていきます。






ここは幅広の道筋がきれいに残っています。


また折り返して進みます。


峠までもう少しです。


寸五郎坂の峠に到着しました。峠の名前は不明です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠にある「宮崎音頭」の碑。裏面に彫られた碑文によると、昭和10年(1935年)に立てられたようです。宮崎は現在の岡崎市宮崎町になります。


この寸五郎坂、かつては峠の西側にある木下(きくだし)の集落の子供たちが、宮崎にある学校へと通うための通学路として利用されていたそうです。

山の子供たちが通学路に使っていたという峠道は、往々にして険しい道のりであることが多いですが、この道もまたご多分に漏れない道ですね(笑)。

通学路として使われている訳ですから、木下と宮崎の間の日常の交流にも当然利用されていたわけで、このような石碑が峠に立てられていても何ら不思議はありません。

大きなヤマザクラの木。


峠方向を振り返っています。私は右側の道から歩いてきましたが、左側の道を通っても再び寸五郎坂へと合流することができます。


山の中にこのような石積みが残っていると炭焼き窯の跡かと思ってしまいますが、これはどうも違うような感じがします。


ふたたび舗装路になった寸五郎坂を進んでいきます。峠から木下側は、宮崎側と違って緩やかな坂となっています。




県道333号へと出てきました。あとは県道を歩いて車へと戻っていくだけです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路肩に祠がありました。


石仏を眺めます。


路肩にヤギの群れがいました。多分、「草刈り」用に放牧されているのでしょう。


また石仏が立っていました。この県道も何度も何度もドライブで通っていますが、路肩にこれだけ石仏が立っていたとは気が付きませんでした。








木下の集落にある秋葉山常夜灯と火の見櫓。


ラリージャパン開催時にはレッドブルのゲートが立てられていたコーナー。2024年開催時はSSルートが変更されたため、設置されなかったようです。


またまた石仏を見つけました。これも今まで全然気が付きませんでした。




県道から右斜めに細い道が分岐しています。旧版地形図によると、どうやらこの道は川沿いを通る県道の旧道に当たる道のようです。ショートカットにもなるので、確認してみることにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠へ向かい直線的に道筋が続いています。




峠まで出ることができました。きちんと切り通しも設けられています。




緩やかに登ってきましたが、峠から進行方向を見下ろすとけっこうな高さがあります。


一気に県道近くまで下ってきました。この先で県道へと飛び下り、車へと戻りました。


今回探索したルートの全体図です。


今回、千万町坂の旧道についての探索は失敗でした。どうやら、私が道を外れた場所よりもさらに進んだ場所から旧道は分岐していたようです。

寸五郎坂は随分以前から存在は知っていましたが、他の訪問者のブログなどで道の概要を知っていたので、なかなか訪れることはしませんでした。今回ようやく訪れて、知っていた情報を追試したといったところですね。
Posted at 2025/02/15 23:57:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2025年02月09日 イイね!

新城市作手田原付近の旧挙母街道を歩いてきました

2024年7月28日日曜日、愛知県新城市作手田原付近の旧挙母街道を歩いてきました。

さて、現代の挙母街道である国道301号と旧挙母街道が分岐する地点へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さっそく旧挙母街道だった路地へと進んでいきます。


道幅はご覧のとおり狭く、私の車だと車幅一杯になります。


左側へと分岐していく道のようなものがあったので、少し探ってみることにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

少し踏み込んでいくと道跡であることがはっきりしてきました。




笹原が現れました。


その後、程なくして道跡はわからなくなってしまいました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

旧挙母街道まで引き返してきたところ、分岐点に石仏が立っているのを見つけました。摩滅がひどく、合掌した立像なのがわかる程度です。古い時代から祀られていたことは間違いないでしょう。


ふたたび旧挙母街道を歩き始めると、たくさんの動物の足跡が道に付いているのを見つけました。イノシシのものでしょうか。


旧挙母街道は峠に向かって一直線に登っていきます。




間もなく峠に到着しました。何の変哲もない景色です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠の周辺を探してみると、やや離れた場所に石組みの祠がありました。


こちらは小さな石柱。表面が読み取れないので、馬頭観音碑のようなものなのか、標石の類なのか、識別できませんでした。


それでは峠を下ってきます。こちら側の道も一直線です。


視界が開けてきて、田原地区の広々とした田んぼを眺めることができます。


峠道を下り、国道301号へとふたたび合流しました。ここで右折して、もうしばらく旧挙母街道の痕跡を探して歩いてみることにします。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道301号の歩道を歩いていくと、「作手三弘法」とある石碑を見つけました。石碑が立っている路地へと入っていってみます。


お寺の門前へと出てきました。山門が石柱になっているのは初めて見ますね。


そして、山門の左側には大きな馬頭観音像が立っていました。


場所はこちら。


この付近の国道301号は、車に乗るようになってから数えきれないほど通行していますが、この場所にこんな大きな馬頭観音像があることには、今まで全く気が付きませんでした。


「明治廿七年秋季」の文言や奉納者の寄附額や氏名が読み取れます。明治27年は西暦1894年なので、130年前に建立された像だとわかります。


この地域の人々が立てたものか、街道を利用する運送業者などが立てたものなのか、そこまでは読み取れませんでしたが、街道を利用する人馬の交通安全祈願のために立てられた事は間違いないでしょう。

馬頭観音像の前を通る路地は、現在の国道301号が通る以前の古い道筋なのかもしれません(荷車が通るには少々狭い気がするので、疑問符は付きますが。)。


馬頭観音像のさらに左側には小さな祠。古そうな石仏たちも並んでいます。


さらに国道301号の歩道を進んでいくと、右側へと分岐している道が。国道301号から滑らかに細道へと分岐しているので、旧挙母街道かもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

里山の裾に沿って細い舗装道が続いています。




間もなく国道301号へと合流。この区間には、石仏などの街道を思わせる遺構は見当たりませんでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この先は、地形図を見ても国道に沿うような細道が見当たらないので、ここで引き返すことにしました。まあ、「暑い!」というのも理由ですが(笑)。

旧挙母街道の峠を越えて、車へと戻ってきました。




今回探索したルートの全体図と、比較の旧版地形図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行。

徒歩主体の時代には、少しでも距離を短くしたいために山の端を低い峠でショートカットしていたのでしょうが、荷車の利用が盛んになってくると、低い峠とは言え、一直線で一気に上り下りする坂道は難所となったことでしょう。

そのために現在の国道301号が通る、遠回りでも山を迂回するルートへと変更されて、このルートが現在の国道に踏襲されたのだと考えられますね。
Posted at 2025/02/09 08:23:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧挙母街道 | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
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