2024年8月10日(土)、弟と弟の友人の杉浦くんに私の3人で、福島県白河市にある「白河ラーメン 岩松」さんを再び訪れました。
今回は自宅を0時頃に出発。前回訪問時と同じく、東名・首都高・東北道と高速道路を延々と走っていく計画です。
途中、何度かの休憩をはさみつつ、午前6時過ぎに首都高速の用賀料金所を通過。そのままPAにて小休止。すでに渋滞が始まりつつあります。
お盆休みの期間中ということもあり、東北道へと進むと情報掲示板には鹿沼IC付近から先の長い距離の渋滞情報が表示されるようになります。
結局、ゴールデンウィークの時と同じパターンで、鹿沼IC手前の都賀西方PAのスマートICで高速道路を下りて国道293号を進んでいきますが、ちらっと見えた東北道の様子から「流れてるかな?」と思い、上河内SAのスマートICから再び東北道へ。
ストップ&ゴーの状態で快適な流れとは言えませんでしたが、今さら下道へ戻るのも面倒だったので、そのまま白河ICまで乗っていくことになりました。その足で「白河ラーメン 岩松」さんへと向かいましたが、お店が混雑していたので出直すことに。
近場で適当な時間つぶしができそうな場所ということで、私の趣味的な意向で「白河関跡」へとやって来ました。今までに何度も白河を訪れていますが、「白河関跡」へは行けるような機会がなく、ようやく訪れることができたわけです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
「白河関跡」の説明板と案内板。
奈良時代から平安時代にかけて、関東と奥州の往来を厳重に監視する重要な役目を負った関所の跡ですが、今は神社となっているようです。
神社も古くから存在しているようで、境内には巨木が立ち並んでいました。
関所の防衛のために設置されていた空堀の跡だそうです。平安時代には役目を終えて消滅してしまった関所の跡なので、目立った遺構は空堀跡くらいでしたね。
江戸期の関所を再現した建物。江戸時代にはこの場所に関所は存在しておらず、白河関跡とは全く関連の無い建物のようです。
「そろそろ行ってみようか。」ということで白河関跡を13時半頃出発。14時前に再び「白河ラーメン 岩松」さんを訪れ、ようやくラーメンを食することができました。
この日の夜は新白河駅前のホテルに宿泊。合流したプロトタイプのみなさんと一緒に焼き鳥店で飲み会となりました。以前、棚倉町を拠点にした全日本ラリーが開催されていた頃は毎年でしたけどね(笑)。
日付けが変わって翌11日(日)。ホテルの部屋からの眺めですが、良い天気ですね。
プロトタイプのみなさんとはホテルで解散。私たちも9時20分頃に出発しました。
帰りも白河市内で行ってみたい所へ寄り道。「境の明神」へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
目の前の道路は国道294号。江戸時代の奥州街道になります。この場所は福島県と栃木県の県境となります。江戸時代の呼び方ならば陸奥国と下野国の国境ですね。
ここに立つ石碑には、「従是北白川領」と彫られています。「これより北、白川(白河)領」という訳で、国境より北側は白川(白河)藩領だということを示しています。
道路を挟んだ反対側の斜面にも小さな石碑が立っているのが見えます。あとで確認してみましょう。
こちらが「境の明神」こと、境神社です。この社殿は陸奥国側にありますが、下野国側にも対になる「境の明神」があるそうです。
神社に掲げられていた算額。レプリカですが(本物は江戸時代のもののようです。)、和算に関わる神様でも祀られているのでしょうか。
「明治7甲戌年」との銘が入った灯篭。明治7年は1874年なので、150年前のものということになりますね。
先ほど道路わきの斜面に見つけた小さな石碑を確認してみたところ、福島県と栃木県の県境を表す石碑でした。旧漢字が使われているので、明治期から昭和戦前期に立てられたものでしょう。近寄ってしっかりと確認したかったのですが、斜面が急だったので止めておきました。
この後は渋滞を避けつつ迷走(笑)。栃木県塩谷町の道の駅、日光宇都宮道路の日光口PAと休憩を挟みつつ、「華厳の滝へ寄ってみるか。」という話も出ましたが、渋滞・混雑が酷くてスルー。このまま中禅寺湖畔を通り過ぎ、金精峠を越えて沼田市へ出ることに。
こちらは途中で撮った男体山と湯ノ湖。
沼田ICからは関越道・上信越道・長野道と経由し、19時半過ぎに梓川SAでようやく晩御飯。
この後も休憩をはさみつつ、12日(月)0時過ぎに無事帰宅いたしました。
Posted at 2025/03/09 19:13:26 | |
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