2025年10月17日(金)、鳥取市の鳥取城跡と久松山を訪れました。
この日は、中国自動車道 大佐PAを早朝に出発。鳥取県倉吉市関金町の旧倉吉線廃線跡と倉吉市打吹玉川地区にある倉吉白壁土蔵群を訪れました。
「さて次はどこへ向かおうかな。」と考えて、「建物は何も残っていないけど、鳥取城跡へ行ってみるかな。」と行き先を決定。山陰自動車道を利用して鳥取市へと移動します。
移動の途中、またも眠気が襲ってきたので(笑)、一旦高速道路から下りて(停まれるPAとかが無い…。)、「どこかに観光客向けの駐車場があるだろう。」と湖山池の湖岸道路を走行。
やっと駐車場を見つけて小休止します。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
小休止して眠気も取れたところで、ふたたび高速道路に乗り直し(無料区間なので料金の心配無用。)。鳥取西ICで高速道路を下りて、鳥取市街地を通過。
市街地の東端にある鳥取城跡に到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
多少なりとも日本史が好きな方だと知っているかと思いますが、鳥取城で有名な出来事と言えば「鳥取城の渇え殺し」ですね。
織田軍による中国攻めの際、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は事前に大勢の商人を因幡国(現在の鳥取県)へ送り込み、現地の米を高値で買い占めさせました。そして、鳥取城周辺の地域住民を城内へと追い立てつつ、毛利氏側からの補給線を遮断します。
こうすることで、鳥取城側の兵糧の調達を阻害しつつ、城内に備蓄されている兵糧も一気に消費させる作戦です。
羽柴軍は万全の態勢で鳥取城を包囲して兵糧攻めを完遂。戦闘開始から約4か月後、飢餓地獄に陥っていた城兵や住民を救うため、城主 吉川経家が自分の命と引き換えに降伏しました。
解放された城兵や住民には羽柴軍から粥が振舞われましたが、酷い飢餓状態での摂食に身体が異常をきたし、多くの人々が頓死してしまったそうです。
そんな悲劇の舞台となった城ですが、江戸時代には因幡・伯耆2か国を治めた池田氏32万石の居城となり、明治維新を迎えました。
写真で見て知っていましたが、立派な石垣が多いですね。
山の斜面の傾斜に沿って斜めに石垣が築かれていますね。
石垣の上部には階段が設けられています。しかし、石垣の上端部の先には道や建物があったようには見えません。不思議な石垣です。
※後で城跡に隣接する鳥取県立博物館で鳥取城の本を読んでみたところ、谷側からの侵入者を遮蔽する目的の石垣だそうです。
晴天で市街地の眺望も良いですね。
眼下に見える足場が組まれた建物は「仁風閣」。1907年(明治40年)に竣工したフレンチルネッサンス様式の洋館で、国の重要文化財に指定されています。
現在はご覧のとおり修理工事のために長期休館中となっていて、2029年(令和11年)に再開の予定だそうです。
行けども行けども雄大な石垣群が広がっています。
表御門跡。
石垣の石にナンバリングがされています。修復作業中なのでしょう。
こちらは、鳥取城天球丸にある半球状に積まれた石垣「巻石垣」。
「巻石垣」は城の防御のためのものではなく、背後の石垣の崩落を抑えるために1807年頃(文化4年頃)に築かれたもので、2012年(平成24年)に復元したものだそうです。
本来であれば、石垣を一旦取り除き、傷んだ斜面を補修してから再度石垣を積み直すべきものですが、それでは費用・時間がかかり過ぎるため、このような手法を選択したとのことです。
この特異な形状。もっと間近まで近づいて登ってみたいものですが、さすがに怒られちゃいますからね(笑)。
城跡をひととおり見物し終えました。このまま車へと戻ってもいいのですが、私にとって鳥取市は容易に訪れることができる場所ではありません。「この山も鳥取城跡だからなぁ。」ということで、城跡の背後にそびえる久松山へと登ることにします。
久松山の標高は263m。地形図で見る限り、登山道は相当急坂のようですが、260mくらいなら行けるでしょう(笑)。それよりも「クマ出没注意」が気になりますけどね…。
城内の通路と言うよりは、やはり登山道ですね。それでも市街地から近いためなのか、山から下りてきた草履ばきの初老の男性とすれ違ったりしました。どうしてこの急坂に草履ばきで来てるの…。
三合目。
だんだん道自体が怪しくなってきました。
中腹にあった神社。
五合目。
六合目。「この先クマ目撃情報多発」…。
七合目。
八合目。
九合目。左側の凹みは井戸の跡らしいですね。
やっと山頂部の曲輪の一角まで来ました。
でも、もう一息頑張らないといけないみたいですね(笑)。
休憩所みたいな建物。かつて存在したロープウェイの乗り場跡みたいです。
さらにもう一段登ります。
ここが鳥取城 山上の丸跡のようです。この場所にもかつては櫓などの建物群があったそうですが、現在は広場となっています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
天守櫓跡。
遥か遠方に日本海と鳥取砂丘が望めます。
こちらは千代川河口。
鳥取市街地と千代川。奥には湖山池も見えています。
南側の市街地を眺めています。
天守櫓跡の下方にも石垣群がありますが、崩壊したままのものがほとんど。これは1943年(昭和18年)の鳥取地震によるものだそうです。こんな山の上では、修復もままならないでしょう。
これにて久松山を下りることにします。
山上にもきれいに残っている石垣がありましたが、立ち入りは禁止となっていました。
下りは15分強で麓の城跡まで戻ってきました。
最後に鳥取城跡に隣接する鳥取県立博物館を見学してから帰路につきました。
今回の長距離ドライブの走行距離は約1,560km。山口県から真っ直ぐ帰宅していればもう少し距離が短かったでしょうが、鳥取県へ寄り道しちゃいましたからね(笑)。
今回のような5連休なんて休みはなかなか無いですが、3連休あればまた長距離ドライブへ出かけちゃうかもしれませんね(笑)。
Posted at 2025/12/22 16:53:18 | |
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