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小林あにのブログ一覧

2025年05月11日 イイね!

雪が残る伊世賀美隧道と段戸湖へ行ってきました

2025年2月23日日曜日、雪が残る伊世賀美隧道と段戸湖へ行ってきました。

最初にやって来たのは、豊田市連谷町にある伊世賀美隧道。こちらは稲武側の坑門です。うっすらと雪が残っています。


昔は心霊スポットとして名高かった伊世賀美隧道ですが、最近はラリージャパンのSSコースとして使用され、ラリージャパンの名物スポットの一つとして定着してきましたね。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

坑門の脇にある排水口には、氷の滝ができています。


足助側へと移動してきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

足助側の坑門。


トンネル内を往復してきます。訪れた際はだいたいトンネル内を往復して、石積みの壁面などに変化がないかチェックしています。














延長308mを歩いて稲武側へと出てきました。再びトンネル内を歩いて戻ります。


さて、今度は伊世賀美隧道から大多賀峠へと出て、そこからは愛知県道33号を通って次の目的地である段戸湖へと向かいます。


一旦、段戸湖の前を通過して、県道33号を奥へと進んでいってみますが、やがて路面の雪が融けてしまっていたので、引き返すことにします。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

県道33号と県道365号の交差点まで戻ってきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

段戸湖の駐車場へと車を停めて、林道を散策することにします。




段戸湖はまだまだ結氷しています。この辺りは標高が900mあり、冷え込みが厳しい場所なのです。


林道のゲート。ゲートの脇には登山者の足跡が付いています。寧比曽岳(1120m)などへ登山に行く人たちのものでしょう。


林道の支線に架かる橋に入り込み、振り返って撮影。橋の上には私の足跡以外にはウサギの足跡しか付いていません。


トイレのある分岐点まで来ました。段戸湖の駐車場からここまで約1.2kmです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回はここで引き返すこととします。


駐車場まで戻ってきました。フロントバンパーにシャーベット状の雪がこびりついてますね。この後は安城市まで戻ってから洗車場で洗車して、雪や融雪剤の汚れを落としてから帰宅しました。
Posted at 2025/05/11 20:01:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 伊世賀美隧道・伊勢神峠 | 日記
2025年05月06日 イイね!

正月恒例の家族旅行へと出かけてきました(2)

2025年1月2日・3日の両日で正月恒例の家族旅行へと出かけてきました。1月2日は小豆島を観光。その後は高松市へと移動して、市内のホテルで一泊しました。

1月3日、宿泊先のホテルを出発します。


この日は、「いままで高松市は通過するだけで、どこにも行ったことがない。高松城へ行きたい。」との私の要望により、高松城跡である玉藻公園へとやって来ました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

高松城は1590年(天正18年)に生駒親正により築城された城です。高松藩主となった生駒氏は、1640年(寛永17年)のお家騒動により当時の藩主が出羽国矢島(現在の秋田県)へ配流の処分を受けました。

後任として1642年(寛永19年)、水戸徳川家出身の松平頼重が常陸国下館(現在の茨城県)から高松へ入封します。

以降は明治維新まで、松平家(高松松平家)が高松藩主として存続しました。

ここ高松城跡の外縁を通っている、「ことでん」こと高松琴平電鉄の電車が走ってきました。


まずは駐車場から艮(うしとら)櫓を望みます。艮櫓は1965年(昭和40年)に城内の別の場所から移築されてきた櫓だそうで、国の重要文化財に指定されています。


それでは公園内へと入っていきます。正月期間中ということで、入場料は無料でした。


さらに艮櫓をもう1枚。


東門から入場して、艮櫓の横を通り抜けていきます。


天守台が見えています。天守は1884年(明治17年)まで残っていたそうですが、老朽化により解体されてしまったそうです。


こちらは桜御門。1945年(昭和20年)の高松空襲で焼失しましたが、2022年(令和4年)に木造により復元されました。




こちらは披雲閣。松平家の高松別邸として、3年の歳月と15万円余りの巨費を投じて1917年(大正6年)に完成したそうです。現在は国の重要文化財に指定されています。






内部が見学できるので、見て回ります。建物は木造和風建築の2階建て。建築面積は1916㎡あるそうで、案内が無いと迷子になりそうです(笑)。










こちらは2階からの眺め。披雲閣庭園と月見櫓を見ることができます。


披雲閣から公園内を移動して天守台へとやって来ました。


天守解体後は、初代藩主である松平頼重を祀る「玉藻廟」が建っていましたが、天守再建に向けての調査のために解体され、発掘調査が行われたそうです。


天守台から瀬戸内海へとつながる堀の眺め。


鞘橋。天守があった本丸と二の丸をつなぐ橋です。橋が架かる堀の奥には高松築港駅のホームが見えています。


天守台に設置されている説明板。天守の復元再建が計画されているようですが、現存当時の外観写真は存在するものの、内部の詳細な図面等が発見されていないため、文化庁からの再建許可が下りず、なかなか難航しているようです。


続いては城跡の北側に建つ月見櫓へと向かいます。


櫓の真下まで来ましたが、中へ入る前に手前の水手御門をくぐって堀へと出ます。




堀から見た月見櫓。こちらも国の重要文化財に指定されています。高松城跡の写真というと月見櫓を写したものが多い気がします。


こちらは城内側からの月見櫓。


櫓へ入る前にちょっとひと休憩。


櫓の内部。江戸時代から現存する天守や櫓は、とにかく急な階段が厄介ですよね。母が階段を上り下りする時は必ず姉弟で前後をガードしてました。


月見櫓からの眺め。






これにて見物終了。ふたたび公園内を通り抜けて、駐車場へと戻ります。








思っていたよりも高松城跡で時間を費やしてしまったので、これにて四国から脱出することにします。高松中央ICから高松道に乗り、淡路島を経由して本州へと向かいます。

大鳴門橋を通過。残念ながら渦潮は見えませんでした。




さて、姉の要望で淡路島内で寄り道。伊弉諾(いざなぎ)神宮へとやってきました。この神社は淡路国の一宮で、伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀っています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

当然と言えば当然なんですが、初詣の参拝者で大行列…。


表神門に掲げられている扁額。


お参りを済ませて、ふたたび鳥居の前へと戻ってきましたが、まだまだ参拝客がやって来ていました。


こちらは神社への出入口に立っていた「多賀村道路元標」。道路元標は、1919年(大正8年)の旧・道路法施行令公布により設置された石造の標識です。


ここから神戸淡路鳴門道へと戻っても良かったのですが、このまま淡路島の西海岸を兵庫県道31号で進んでいくことにします。

途中で野島断層保存館へ立ち寄ってみましたが、閉館時間間際ということで入館できませんでした。

次に立ち寄ったのは、淡路島のほぼ北端にある江埼灯台。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山の上にあるようなので、登っていってみることにします。


歩いていくと説明板が立っていました。1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)で被った損害を修復したことが書かれています。




確かに、灯台へと続く階段は大きく歪んだままになっています。




こちらが江埼灯台です。灯台の一般的なイメージだと背が高く細い塔ですが、こちらの灯台はどっしりとした構えです。


初点灯は1871年(明治4年)で、1867年(慶応3年)4月に兵庫開港に備えて幕府が欧州列強と設置を約束した5か所の灯台(江埼、六連島、部埼、友ヶ島、和田岬)の内、最初に建設されたものだそうです。国の重要文化財に指定されています。


さらに海沿いを進んで明石海峡大橋をくぐり抜けて、岩屋港まで来ました。


岩屋港の駐車場に車を停めて、徒歩でやって来たのは絵島。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

絵島は、西行法師や平清盛に縁がある島だそうです。


こちらは絵島のすぐ近くにある大和島。こちらは柿本人麻呂に縁のある島とか。壁面が浸食されて、奇妙な模様となっています。




しばし海岸を散策。


夕闇に沈む明石海峡大橋。


駐車場へ戻るために絵島の前を通ったら、ライトアップされていました。


17時を回り、どこかで晩御飯を食べようかと港周辺で探してみましたが、やはり正月休みのようで開いているお店は無し…。そのまま淡路ICから高速道路に乗り、帰路へとつきました。
Posted at 2025/05/06 13:45:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年05月05日 イイね!

正月恒例の家族旅行へと出かけてきました(1)

2025年1月2日・3日の両日で正月恒例の家族旅行へと出かけてきました。目的地は香川県の小豆島。あとは流れで立ち寄る場所を決めることにします。

まあ恒例とは言いましたが、ゴールデンウィークに出かけることもあります。ただ、母も歳を取ってきてから遠方へ出かけるのが体力的につらいことが増えてきたため、長期休みでの旅行自体をしないことも増えてきました。

今回は深夜2時15分頃に自宅を出発。伊勢湾岸道・新名神・名神・新名神・山陽道と経由していきます。

山陽道山陽ICで高速を下り、ここからは下道を走行。国道2号岡山バイパスを経由して、朝7時25分、小豆島へのフェリーが出ている新岡山港に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

出航時刻まで十分余裕がありましたが、まずは車検証を持参してフェリーのチケットの購入手続きをします。以前来た時は窓口で車検証を提示して購入しましたが、ここにも自動券売機の波が押し寄せていて、自分で車検証記載の全長を確認の上、車両用と乗船用のチケットを購入しました。

その後、待つこと1時間少々。小豆島からのフェリーが到着しました。


フェリーへと乗り込んだところで、屋上を見て回ります。






新岡山港のフェリーターミナルの全景。こじんまりとした施設です。


8時40分過ぎ、フェリーは小豆島へと向かって出航します。港からしばらくの間は、餌をおねだりするカモメがフェリーにくっついてきております。




港がある児島湾を抜けると、船が行き交う瀬戸内海を横断していきます。






母も船室から屋上へと出てきて、瀬戸内海の景色を眺めています。


フェリーは1時間10分ほどで小豆島の土庄港へと入港します。ちなみに港に着いたらすぐに車で下船しなければならないので、到着時の写真はありません(笑)。

まずは土庄港から小豆島の北海岸へと向かいます。地形図内の赤線ルートですね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最初にやって来たのは、道の駅「大阪城残石記念公園」。小豆島では、江戸時代の大阪城改築時に石材を切り出して搬出していたそうです。それらに関する資料や石材業に関する資料が展示されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

展示棟の一つです。


鑿などの道具類だけでもこれだけ使い分けているとは、なかなか凄いです。




突然ですが、明治時代の古いトンネルには石積みのトンネルがあったりしますが、用いられている石材には何らかの表面加工されているケースがほとんどです。

この写真は明治30年(1897年)に竣工した豊田市の伊世賀美隧道の写真ですが、石材の表面が引っ搔き傷をつけたように処理されています。


そういった石材の加工処理のために、また数多くの道具が存在しています。


こちらは石材を運ぶための「修羅」という「そり」の一種ですね。


展示棟の外観。


道の駅に隣接する港の風景。景観を合わせるためか、防波堤に石材が使用されていますね。


こちらはより本格的な造りの「修羅」ですね。


続いては、小豆島の中央部にそびえる山々の頂上部へとやって来ました。遠くには、瀬戸内海を挟んで四国が見えています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

逆光気味で見づらいですが、長年の浸食により造られた奇岩が点在しています。この付近は「寒霞渓」と呼ばれていて、国の名勝に指定されています。




続いては島中央部の山岳地帯から島の南東部へと移動。旧苗羽小学校田浦分校へとやって来ました。ここは小豆島へ来るたびに訪れていますね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

映画「二十四の瞳」の舞台となった学校です。




校舎自体、歴史があるもので、町指定文化財となっています。


校舎内部です。






続いては、学校から少し離れた場所にある「二十四の瞳映画村」へ向かいます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

海沿いに置かれていた大きな釜。五右衛門風呂のように見えます。


こちらの「映画村」は、昭和62年(1987年)に公開された「二十四の瞳」で使用されたオープンセットを公開しているものだそうです。こちらへ入場するのは初めてです。


民家へと入ってみます。


内部は大変細かく造られていますね。ただ、右側の階段は行き止まりになっていて、元からこういった造りだったのか、階段は他のセットから持ってきたものなのかはわかりません。


食膳や食器類も時代に合わせたようなそれらしい造りです。撮影時の食材は本物だったのでしょうけどね。


旧苗羽小学校田浦分校のセット。よく似ていて、すごいものですね。






これで小豆島での予定は終了。宿泊先である高松市へと向かうことにします。

当初は土庄港から高松港へと向かうフェリーへ乗るつもりでしたが、手前の池田港からちょうど間に合いそうな時刻で出港する高松行の便があることがわかったので、急きょ乗船する港を変更。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

無事に乗船することができました。




これにて小豆島とお別れ。池田港から高松港までは約1時間の船旅です。




高松港に到着後は、ナビを頼りに宿泊先のホテルへと向かいます。

ホテルの夕食が正月料金で高かったこともあって今回は素泊まりとしたため、ホテル近くの飲食店で何か食べられればと思ったのですが、歩いていけそうなお店は正月休み…。

結局、最寄りのコンビニまで歩いて往復(ここもそこそこの距離を歩く羽目に。)して、晩御飯はコンビニ飯を食べることになりました…。
Posted at 2025/05/05 20:55:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年05月02日 イイね!

富士桜自然墓地公園へ出かけてきました

2024年12月8日日曜日、亡くなった叔父の納骨のため、叔母夫妻・姉の4人で静岡県富士宮市の富士桜自然墓地公園へ出かけてきました。

余談ですが、もともと我が小林家は、祖父が静岡県から愛知県高浜市へとやって来て、鬼瓦職人となってそのまま定住したことを由来としています。その祖父がこの公園に墓地を購入しており、すでに亡くなっている祖父・祖母をはじめ、祖父家の家族がここに納骨されております。

叔父は奥さんを病気で亡くしてから程なかったのですが、すっかり落ち込んでいて、その寂しさからか叔母夫婦や私たち姉弟に時々声をかけてきて、会食をしたりしていました。

しかし、生きる張りが無くなったためか食も細くなってしまい、体力がめっきり落ちてしまっていたところで昏倒して入院。その後に誤嚥性肺炎を併発してしまったことが死因となってしまいました。

さて、今回姉と私が付き添うことになったのは、私たちも数少なくなった小林祖父家の親族であることと、墓地が愛知県から遠方であるため運転手役をお願いされてという理由ですね(弟は仕事。)。

富士桜自然墓地公園へとやって来ました。富士山麓にある景色の良い場所です。天気が良かったので富士山もよく見えています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

事務所で納骨の手続きをして、ホールで合同での読経を受けた後、叔父の遺骨が入った骨壺を抱えて墓地へとやって来ました。広々とした斜面全体に墓碑が立ち並んでいる様はなかなか壮観です。


叔父の遺骨は係員の方の手により墓碑の下へと納骨され、手続きは無事に完了しました。

さて、お昼近くになったので食事へ行こうかという話になり、グーグルマップで調べると、墓地公園からわりと近い所に和食屋があるようなのでそちらへと移動。

山の中ですが、私はカキフライ定食をいただきました(笑)。


和食屋さんの前からの富士山の眺め。


あとはこのまま真っ直ぐ帰っても良かったのですが、「せっかくだから、ちょっとどこか寄っていこう。」という話になり、ひとまず国道139号を北上します。

休憩とお土産購入を兼ねて、道の駅「朝霧高原」へ寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「本栖湖で富士山でも見ようか。」ということで、本栖湖へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

叔母の夫は車で休憩。叔母と姉と私の三人で眺めの良い場所まで歩いて行って、景色を眺めていました。


先に叔母と姉が車へ戻っと後も、私は「山頂の雲が何とか取れないかなぁ。」としつこく眺めていましたが、結局雲が取れることはありませんでした…。




本栖湖からは国道300号へと入って富士川沿いを通る国道52号へと合流。途中から中部横断道に乗り、東名高速牧ノ原SAで弟に頼まれていた安倍川もちを購入して帰りました。
Posted at 2025/05/02 14:38:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年04月29日 イイね!

【2024年】ラリージャパンを見物してきました(2)

2024年11月24日日曜日、愛知県豊田市を拠点に開催されたラリージャパンを見物してきました。

この日は朝5時半頃に自宅を出発。新城市作手善夫にある「涼風の里」へ7時前にやって来ました。


場所はこちら。ちなみに赤線はラリーカーの移動ルートです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回、この場所で見物することに決めたのは、ラリー仲間で今回のラリージャパンへ出場するSさんから、「涼風の里が『ROUTE NOTE EXCHANGE POINTS』になっているから、この場所で見物するといいですよ。立入り規制もされないです。」と勧められたからです。

施設にはお店の方が自作されたのか、WRCを歓迎する看板が設置されていました。




7時45分頃、0号車がやって来て、「涼風の里」の駐車場に駐車していた車の運転手たちに退去を依頼して立ち去っていきました。一般車が駐車していては、競技車両の待機場所として使用できなくなりますからね。


7時59分、ヒョンデのタナク選手のi20Nラリー1ハイブリッドが「涼風の里」の前を通過していきました。ひとまず、県道35号と県道363号の交差点へと移動することにします。

続いて、同じヒョンデのヌービル選手が運転するi20Nラリー1ハイブリッドが交差点を通過していきます。


さらにトヨタGRヤリス・ラリー1ハイブリッドの勝田選手も通過。


この後、ラリーカーが来なくなったので、ふたたび「涼風の里」へ戻ってみると、後続のラリーカーが駐車していました。


フォード・プーマ・ハイブリッド・ラリー1のミュンステール・ルーカ組です。


こちらはトヨタGRヤリス・ラリー1ハイブリッドのエバンス選手。


各車、タイヤ交換とローテーションを行っています。




GRヤリス・ラリー1ハイブリッドのエンジンルーム。金色の耐熱フィルムが目立っています。


ミュンステール・ルーカ組はせわしく作業を行っています。




エバンス選手、タイヤ取り付け中。


作業中のエバンス選手へオジェ選手が何やら話しかけています。


エバンス車の車内。


エバンス選手、観客からの記念撮影に応じています。


オジェ・ランデ組もタイヤローテーション作業。


WRC2クラスに出場のシュコダ・ファビアRSラリー2に乗るグリーンスミス・アンダーソン組がやって来ました。グリーンスミス選手、体格がデカいです(笑)。


オジェ・ランデ組が「涼風の里」を出発していきます。


グリーンスミス・アンダーソン組がタイヤ作業を開始。




エバンス・マーティン組も出発していきます。


今度はトヨタGRヤリスラリー2の勝田・木村組が来ました。




コドラの木村選手、フロントグリルをめくって何やらしています。落ち葉やゴミなどが付いていたのでしょうか。




勝田・木村組はチームスタッフと会話を交わしてから、5分ほどですぐに「涼風の里」を出発してしまいました。


シュコダ・ファビアラリー2Evoの福永・齊田組が来ました。




こちらはシュコダ・ファビアRSラリー2のチウイスト・ヘラー組。


ボンネットには、日の丸・鳥居・富士山・武士と揃った日本のイメージ画が描かれています。


ボディー全体のカラーリングも、やはり日本をイメージした満開の桜の風景をあしらったものとなっています。


福永・齊田組もタイヤ作業を開始。




トヨタGRヤリスラリー2の山本・サルミネン組。山本選手は、TGR WRCチャレンジプログラムの2期生ですね。


フォード・フィエスタ・ラリー2のバシラキス・ハリーマン組。


シトロエンC3ラリー2の今井・ファーマー組。




これでラリー2車両が4台横並びに。




今井選手と山本選手、額田SSでの感想などを話していました。


県道35号と県道363号の交差点へとまた戻ってきました。トヨタGRヤリスの佐々木・内田組。


県道363号の路肩にもラリーカーが行列を成して駐車しています。


スバル・WRX S4の新井・井上組。


今回出場選手の目玉であるオリオール・ジローデ組。オリオール選手は1994年のWRCドライバーズチャンピオンですね。


全車通過を見届けて、「涼風の里」で朝食です。ここは地元の方が調理する軽食をいただくことができます。私がいただいたのは豚汁とへぼ飯。へぼ飯は、蜂と蜂の子が入った炊き込みご飯です。


さて、1回目の通過を見届けてから約4時間が経過。2周目のSSへと向かうラリーカーがようやく姿を現しました。

シトロエンC3ラリー2のグリアジン・アレクサンドロフ組。車のカラーリングは、ファンだというイニシャルDの藤原とうふ店仕様。


シュコダ・ファビアR5の新井・松尾組。確か、現在世界中で走っているシュコダ・ファビアR5の中で2番目に古い車両だとか。それでも強豪ひしめくWRC2クラスで3位に入っています。


ヒョンデのヌービル・ウィダク組。結局、ヒョンデチームは「涼風の里」では1台も停まってくれませんでした。


フォード・プーマ・ラリー1ハイブリッドのフルモー・コリア組。




エバンス選手、オジェ選手も、2周目は県道363号の路肩で停車して調整していました。




各車、SSコースが設定されている三河湖畔へと走行していきます。




シュコダ・ファビアRSラリー2のマカリアン・フルトン組。


トヨタGRヤリスラリー2のランス・サンファン組。周りでは観客がジッと視線を送っていますが、選手は意に介さずスマホを触っています(笑)。


ふたたびオリオール・ジローデ組。久しぶりのラリー出場と慣れない右ハンドル車ながら、格の違いを見せつけてJRCarクラスで優勝しました。




スバル・WRX S4の新井・井上組。


最後に、「涼風の里」にひっそりと停車していたトヨタGRヤリスGR4ラリーDATの眞貝・安藤組。



これで「ラリージャパン2024」の観戦は終了。過去2年は岐阜県恵那市岩村で見物していましたが、今回は開催スケジュールの変更により新城市作手善夫で初めて見物することとなりました。

2025年の開催スケジュールがどうなるのかはわかりませんが、新城市作手だと自宅から比較的近いので、個人的には同じパターンになると良いですね。それに「涼風の里」にはトイレがあって、軽食もありますしね(笑)。
Posted at 2025/04/29 12:50:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリージャパン | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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2025/04/19 15:50:49
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