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小林あにのブログ一覧

2025年06月24日 イイね!

【山形県鶴岡市】出羽三山神社へ行ってきました

2025年5月9日金曜日、山形県鶴岡市にある出羽三山神社へ行ってきました。

今年のゴールデンウィークは、姉弟3人で国道292号「草津志賀高原ルート」にある「雪の回廊」を見に行ってきたわけですが、まだゴールデンウィークに出かけようという話が出ていなかった時、私は一人で遠出でもしようかと思っていました。

それで、まずは「東北方面へ行こうかな。」と考えたわけです。で、寺社でも見に行こうかなと山形県山形市の立石寺とか検討していたのですが、「久しぶりに国道7号で日本海沿いを走ってみたいな。」とも思いました。

「それなら鶴岡市まで国道7号を行って、羽黒山とか月山へ行ってみようかな。」となり、ネットで検索して羽黒山にある出羽三山神社へ行くことを決めました。

しかし、姉弟3人でゴールデンウィークに出かけることが決まり、この予定は一旦お流れになりました。

ですが、「やっぱり一人でも遠出したいな。」という気持ちが消えず、たまたま勤務の都合で5月9日・10日・11日が三連休になっていたこともあり、出かけることに決めたわけです。

さて、自宅を5月9日0時45分頃に出発。東海環状道・中央道・長野道・上信越道・北陸道・日本海東北道と乗り継ぎ、朝日まほろばICからは国道7号を走行していきます。

自宅から走ること10時間弱、ようやく山形県に入りました。新潟・山形県境を越えた場所にある道の駅「あつみ しゃりん」にて小休止。海岸線には岩礁が広がっています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後は、あつみ温泉ICから鶴岡西ICまでは日本海東北道を走行(この時点で予定よりも時間がかかっていて、海沿いの国道7号をそのまま進むのは断念。)。

鶴岡西ICから鶴岡市街地を経由し、羽黒山の麓にある出羽三山神社の鳥居前へとやって来ました。


実は、出羽三山神社がある羽黒山の山頂へは自動車道もあるのですが、標高414mとそれほど高い山ではないので、せっかくなら麓から参道を歩いて訪れたいなと思ったわけです。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、「出羽三山」は月山・羽黒山・湯殿山の総称で、月山が「過去」、羽黒山が「現在」、湯殿山が「未来」を象徴しているそうです。

また、「出羽三山神社」もこれら三山にある神社の総称で、「月山神社・出羽神社・湯殿山神社」が正式だそうです。

鳥居に続いて随神門をくぐっていきます。


参道は、随神門からいきなり上り坂が始まるわけではなく、一旦は坂を下っていきます。この出羽三山神社の参道の石段は、全部で2446段あるそうです。


坂を下っていくと、いくつかの社殿がまとまって建っています。風雪の影響のためか、古めかしく見えます。




川を挟んだ対岸にも社殿があります。背後の滝は「須賀の滝」と呼ばれ、1654年(承応3年)にこの場所まで引水して造られた人工の滝だそうです。


続いては「爺杉」。樹齢は推定1000年以上とあります。






この神社で見ておきたかった建築物である、国宝「羽黒山五重塔」が見えてきました。本来、五重塔は寺院建築物であり、江戸時代までの神仏習合の名残りと言えます。


この五重塔は約600年前の室町時代に再建されたもので、東北地方では最古の五重塔だそうです。


五重塔が立つこの地にはかつて寺院があり、周囲には多くの伽藍があったそうですが、明治時代の神仏分離令により取り壊されてしまったそうです。

そのような状況の中、この五重塔は取り壊しのために多くの費用と時間がかかると見込まれたため、幸いにも破壊を免れたらしいです。

そういった経緯のため、この五重塔はかつての寺院の遺構としてではなく、現在は出羽三山神社の末社の一つとして取り扱われています。

五重塔を後にして、さらに参道を進んでいきます。


さて、出羽三山神社の参道には「一の坂」、「二の坂」、「三の坂」と呼ばれる急坂があるのですが、これから「一の坂」を登っていきます。




一直線に登ってますね(笑)。


女夫杉。




「一の坂」を振り返って見下ろしています。


しばらくは緩やかな坂の石畳の道を進んでいましたが、正面にまた急坂が見えてきました…。


「二の坂」が始まりました。「一の坂」よりも長そうです…。




この急坂で、さすがに真っ直ぐ登っていくのが辛くなってきて、ジグザクに登っていきます。


「二の坂」を見下ろしています。帰り道も大変そうです…。


「二の坂」の途中にある茶屋。


「二の坂」が終わり、また緩やかになった参道を進んでいきます。


最後の「三の坂」が始まりました。






「ハチ注意!」の看板。幸い、遭遇することはありませんでした。


まだまだ急坂の石段が続きます。




お約束のクマ注意の看板も。こちらも出会うことはありませんでした(笑)。


坂が緩くなったので、「『三の坂』もようやく終わったか。」とホッとしながら歩いていきます。


ところが、急坂の石段がふたたび現れました。「『四の坂』なんてあったっけ?」と思いましたが、どうやら「三の坂」がまだ終わっていなかっただけのようです…。


「これを登り切れば…。」と最後の踏ん張り所です。




急坂区間が終わり、振り返っています。


どうやら「三の坂」区間は終わったようです。


ようやく山頂の境内の鳥居に着きました。随神門から約1時間の行程でした。


鳥居の横にある社殿。


凝った龍の装飾に覆われています。


三神合祭殿。文政元年(1818年)の再建。出羽三山神社の本殿に当たる社殿で、月山・湯殿山・羽黒山の三神が合祀されている「合祭殿造り」と呼ばれる独特の社殿だそうです。国の重要文化財に指定されています。


社殿には、左から「湯殿山神社」・「月山神社」・「出羽神社」の扁額が掲げられています。三神がこの社殿に合祀されている理由は、月山神社は月山の山頂、湯殿山神社は渓谷にあり、冬季に祭事を行うのが困難な立地であるためだそうです。


鐘楼。元和4年(1618年)に最上氏の寄進により再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。


健治の大鐘。健治元年(1275年)の銘があり、東北地方で最大、銘があるもので最古のものだそうです。こちらも国の重要文化財に指定されています。


手水舎。


出羽三山歴史博物館。ちゃんと見学してきました。


境内を一巡りしてから三神合祭殿でお参りします。


これにて車へと戻ることにします。


「二の坂」の茶屋からの眺め。庄内平野が遠望できます。


麓の鳥居へと戻ってきました。


門前のお店で何か軽く食べようかと思いましたが、入ったお店になぜか店員さんが見当たらず、そのまま車へと戻りました。

これで今回の目的は達したので帰宅します。が、寄り道できる場所へは寄り道していきます。

帰り道は鶴岡市街地から日本海を眺めながら国道7号を走行。17時過ぎ、新潟県村上市府屋にある旧国道7号へとやって来ました。


場所はこちら。現在、この付近の国道7号は海岸沿いを通過していますが、この旧道が開通するまでは山の中を峠越えしていたそうです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の旧版地形図はこちらになります。

※5万分の1地形図「温海」:大正2年(1913年)測図・昭和9年(1934年)修正測図。

岬隧道。


トンネルの扁額。


坑門には「一級国道7号線」の銘板がはめ込まれています。


トンネル内部。


「延長三〇米 幅員六米」とあります。


岬隧道の真下には、羽越本線旧線のトンネルがあります。


羽越本線旧線の橋梁。コンクリート造の放物線アーチ橋です。この付近は大正13年(1924年)に開通しており、煉瓦造からコンクリート造へと移行した時期に当たりますね。


岬隧道から北側を望みます。


間の内隧道。こちらのトンネルは通行止めとなっています。


トンネルの扁額。


このトンネルにも「一級国道7号線」の銘板がはめられています。


トンネル内部。


こちらは「延長一三九米 巾員五米」となっています。


旧国道のトンネルの左側には、羽越本線旧線のトンネルもあります。


こちらのトンネルはコンクリートブロック造。場所打ちコンクリートではアーチ部分の打設が技術的にまだ難しかった時代によくあったタイプのトンネルですね。


この後は国道7号で同じく村上市内の道の駅「朝日みどりの里」まで移動。隣接するコンビニで購入した晩御飯を食べてから、そのまま22時頃まで仮眠してました。
Posted at 2025/06/24 00:25:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2025年06月12日 イイね!

草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました

2025年5月4日日曜日、国道292号「草津志賀高原ルート」の「雪の回廊」を見に行ってきました。

姉から「せっかくのゴールデンウィークだから遠出しよう。希望がないなら『雪の回廊』という所へ行ってみたい。」との要望があり、姉弟3人で出かけてきた次第です。

今回は、自宅から東海環状道、中央道、長野道、上信越道と経由。信州中野ICからは国道292号を走行して現地へと向かいました。

草津白根山を望む駐車帯へとやって来ました。周囲にはまだまだ多くの残雪があります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車帯から右下方を眺めると、国道の両側に雪の壁がある場所が見えています。どうやら、あれが「雪の回廊」のようです。


せっかくなので間近まで行ってみることにします。ちなみに、言い出しっぺの姉は「ここ(駐車帯)から見えてるからいいわ。」とのことで来ませんでした…。

「雪の回廊」までやって来ました。「草津志賀高原ルート」の除雪が完了して開通したのが4月23日。訪れた時点で12日間が経過していますが、想像していたよりは高い雪の壁が残っていました。


車やバイクがけっこう通行していたので、周りに注意しながら撮影しました。




さて、この後はそのまま国道292号を草津温泉へと下っていくつもりでしたが、山田峠を越えた先の交差点で、「草津温泉方面は雪崩のために通行止め。」となっていました。

仕方がないので迂回ルートの案内に従って万座温泉へと下っていきます。

万座温泉まで下りてきたところに駐車場を見つけたので、ちょっと立ち寄ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この場所に火山ガスを噴出する斜面があったので見物します。


この辺りからは硫化水素ガスが出ているようです。どおりで卵が腐ったような臭いがするわけです。


駐車場の奥にも噴出場所があるようなので行ってみます。


斜面の上部に噴煙が見えます。地形図によるとこの沢は「殺生沢」と記されていますが、この有り様だとそのように名付けられるのも当然ですね。


殺生沢の流れ。側壁も河床も石組みとなっています。石の色がまだらになっているのはガスや酸性の水が原因なんでしょうかね。


万座温泉から先は「浅間白根火山ルート」を通り、万座・鹿沢口駅前で国道146号へ。ひとまず渋川方面へと進みます。

国道脇に滝があるのを見つけて停車します。「瀬戸の滝」だそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

滝の前に残る旧国道の橋。


「大滝橋」とあります。


さて、滝の説明板に「崖の中腹に不動明王が祀られている」とあったので探してみたところ、確かにありました。コンクリートで固められた崖には、崖道らしき段差が国道脇から不動明王像まで続いていましたが、とても行く気にはなりません…。


スマホでの撮影では、これが限界でした。


次は八ッ場ダムへと立ち寄ってみました。


八ッ場ダムの周辺図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム湖の湖面は鮮やかな青色をしています。


八ッ場ダムの堤体を歩いてみます。


ダムの下流を眺めます。ダムの直下から下流側は「吾妻峡」と呼ばれています。






八ッ場ダムはこれくらいにして、「吾妻峡」へ行ってみることにします。


ダムの下流側へと移動。駐車場に車を停め、旧国道を歩いて吾妻峡・八ッ場ダムへと向かいます。


けっこう深い渓谷ですね。そして、川の流れがダム湖と同じ鮮やかな青色です。てっきり、もっと青色が薄まっていると思っていました。


吾妻側へと流れ込む滝がありました。


旧国道の崖上には、八ッ場ダム建設により付け替え廃止されたJR吾妻線の旧線が残っていますが、ここで鉄道ファンには有名な物件を確認。


かつて、日本で最も短い鉄道用トンネルだった樽沢トンネルです。延長は7.2m。実際にはロックシェッド的な役割の物件だったのでしょう。


反対側から見上げます。トンネルの周りが樹木に覆われていて、全体がしっかり見えないのが少々残念です。




前方にトンネルが見えてきました。


「松谷トンネル」だそうです。銘板には「1989年12月」と記されていますが、竣工年から考えるとトンネルの幅が狭い気がします。


全然通ったことがない場所で理由がわからず、気になってネット検索してみたら、どうやら狭隘箇所へ新たに一車線幅のトンネルを造り、上下車線を分離することで通行を容易にしたという改良のようでした。


トンネルの傍らには「吾妻峡」の看板が立てられています。


ここからは旧下り車線を進んでいきます。山側の壁面には微妙にオーバーハングした部分が残っていて、かつては壁面がもっと迫り出した「片洞門」だったのかもしれません。


この辺りも深い渓谷が続いています。


松谷トンネルの反対側へと来ました。


前方に大きな岩山が見えています。


旧長野原町へ入りました。


八ッ場ダムが見えてきました。


駐車場から歩くこと約40分、八ッ場ダムの真下に到着です。


やはりダムは下流側から見上げるほうが迫力があって良いですね。


「八ッ場もみじ橋」を渡って、対岸へと進みます。


ダム堤体を見上げます。




吾妻線の廃線を利用した自転車型トロッコの駅「吾妻峡八ッ場駅」。


駅からダム側を眺めると、吾妻線が途切れた場所が見えています。


さて、帰り道は旧国道ではなく、吾妻川を挟んで対岸にある遊歩道を歩いていきます。


吾妻川の急流をより間近で見ることができます。


旧国道を見上げます。旧国道が崖の中腹を掘削して造られた道であることがよくわかります。


遊歩道と言いながらほぼ山道のような行程でしたが、吾妻川の鮮やかな青色の渓流を楽しみながら車へと戻りました。


Posted at 2025/06/12 23:30:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年06月09日 イイね!

【奈良市西ノ京町】薬師寺を訪れました

2025年4月19日土曜日、姉の誘いで母・私の3人で奈良県奈良市西ノ京町にある薬師寺を訪れました。つい3月にも奈良を訪れていますが、気に入った場所は何度行っても良いものなので、全然気にしません(笑)。

お寺からやや離れた場所にある参拝者用駐車場に車を駐車して、お寺への小径を歩いていきます。




薬師寺の南門前へと出てきました。拝観受付をして、境内へと入ります。


薬師寺の場所はこちら。お寺は奈良市街の中心部から西南方向へと外れた田園地帯の中にあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

そもそも、薬師寺は680年に天武天皇が鸕野讚良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を発願したものです。天武天皇自身は寺の完成を見ぬままに亡くなり、その後持統天皇、文武天皇と代替わりしながら整備されました。

そのため、元々の薬師寺は発願当時の都であった藤原京の地(現在の奈良県橿原市)にありましたが、710年(和銅3年)の平城京への遷都に伴い、718年(養老2年)に現在の地へと移転してきました(移転時期は諸説あり。)。

私が薬師寺を初めて訪れたのは、小学6年生の修学旅行の時。今から43年前になりますかね。その後も1回くらい訪れたような気はしますが、我が家の奈良県訪問の中ではめったに来ない場所です。

こちらは中門になります。


中門をくぐると正面に大きな建物。金堂です。お堂の中には本尊である薬師三尊像が祀られています。


西塔と金堂。どちらも近年に再建されたもので、西塔は1981年(昭和56年)、金堂は1976年(昭和51年)の再建です。


こちらは金堂とその奥に大講堂が見えます。


こちらは東塔。この塔は薬師寺創建時から唯一残る貴重な建造物で、730年(天平2年)の建立と考えられています。国宝に指定されています。


外観を見ると屋根が6つあり六重塔に見えますが、実際は三重塔だそうです。小さな屋根は「裳階(もこし)」と呼ばれる飾り屋根のため、数に数えないのだそうです。


西塔。西塔は1528年(享禄元年)にあった「享禄の兵火」により焼失しました。これは大和国国人である筒井氏と越智氏の争乱の最中に、越智氏側の兵が寺に乱入し放火したことが原因のようです。他にも金堂・大講堂がこの放火により消失しているそうです。


金堂と東塔を眺めています。


大講堂。2003年(平成15年)の再建。


この後は食堂で土産物などを見てから、薬師寺の境内の北側に隣接する薬師寺玄奘三蔵院伽藍を見物。


ここからあと500mくらい北へと歩くと、同じく奈良の古寺として知られる唐招提寺がありますが、さすがにそこまで母を徒歩で連れて行くのも辛いので、それは止めておきました。

薬師寺の境内もこれでひととおり見物終了。暑くなってきたのと、母に疲れも見えてきたので、これにてお寺から退散することにしました。


駐車場へと戻る途中にある休ヶ岡八幡宮。薬師寺の鎮守として、平安時代寛平年間(889年~898年)に勧請されました。現在の社殿は、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼の寄進により建立されたそうです。


この後は車に戻ってから、奈良市街地の奈良町へと移動。猿沢池付近の茶屋でお昼ごはんを食べてから帰宅しました。
Posted at 2025/06/09 14:36:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年06月08日 イイね!

奈良市内の寺社を一人巡ってきました

2025年3月22日土曜日、奈良県奈良市の市街地に点在する寺社を一人徒歩で巡ってきました。

最初にやって来たのは東大寺転害門。国宝に指定されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、私は東大寺などを訪れる時は、もっぱら東大寺転害門近くの観光用駐車場を利用しています。ここは東大寺大仏殿・興福寺などから離れた場所にあるので、多少遅い時間に到着しても駐車場が空いているからです。距離を歩くのも苦になりませんしね(笑)。

そんな立地なので、転害門を訪れる人はあまりいません。おかげでじっくり眺めることができます。




いつもなら東大寺大仏殿を目指すところですが、今回はほとんど訪れたことがない二月堂へ行ってみることにします。




二月堂へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

二月堂は、松明を用いた「お水取り」で知られている堂宇ですね。国宝に指定されています。




二月堂から大仏殿の屋根を眺めます。


二月堂から大仏殿を目指して移動していきます。やはり東大寺へ来たなら、大仏様を拝みませんとね。

手向山八幡宮。東大寺の鎮守社として創建されたことを由来としているそうです。


東大寺鐘楼。鎌倉時代前期に再建されたもので、国宝に指定されています。


梵鐘。国宝に指定されています。東大寺大仏開眼供養に際して鋳造されたもので、天平勝宝4年(752年)に完成し、大仏開眼供養の前日に鐘楼(現存している鐘楼ではない。)に懸けられたそうです。高さ386cmと巨大な梵鐘です。


大仏殿へと来ましたが、受付で入場者が長い行列を作っていたので、結局そのまま素通りしました。


そのまま南大門へとやって来ました。この山門も鎌倉時代前期に再建されたもので、国宝に指定されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

写真で見るとそれほどの混雑に感じませんが、これは門の前後が広くなっているからで、参道自体は人をかき分けながら進むような有様でした。


次は春日大社へ行ってみることにします。


南大門から歩くこと15分あまり。春日大社へと到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

訪れた時は本殿への特別参拝が行われていました。せっかくの機会なので、参拝することにします。

春日大社中門。重要文化財に指定されています。ここ中門から本殿を参拝します(本殿は撮影禁止なので写真はありませんん。)。


こちらは、中門から続いている御廊と釣り下げられている燈籠群。


こちらは「万燈籠神事」を再現した部屋。なかなか幻想的です。


大杉の下から中門を眺めます。この大杉は、樹齢800年から1000年と推定されているそうです。


さて、春日大社から更に足を伸ばして、新薬師寺へと向かうことにします。

15分ほどで新薬師寺に到着。こちらの本堂は奈良時代の建築で、国宝に指定されています。


新薬師寺へやって来た目的は、奈良時代に製作された国宝の十二神将像の拝観。堂内の撮影は禁止されていますが、団体客が一組いただけだったので、じっくりと神将像を眺めることができました。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

続いては興福寺へと向かいますが、奈良国立博物館へちょっと寄り道。当日入場できた仏像館と青銅器館を見物しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは撮影が許されていた奈良県金峯山寺の金剛力士像。同寺の仁王門の修理のために、こちらへ搬出されてきました。金剛力士像自体も保存修理され、仁王門の修理が完了するまでの間は当館で展示されるそうです。


足元から間近で見上げると、その巨大さを実感できますね。


こちらは青銅器館に展示されている古代中国の青銅器。異形の形状や執拗なまでに鋳込まれた文様など、古代中国の青銅器はけっこう好きなんですよね(笑)。




さて、興福寺へとやって来ましたが、五重塔は修理中だったんですね。残念…。


場所はこちら。


こちらは再建された中金堂。


この後は国宝館で八部衆像や十大弟子立像をじっくりと見ていました。もう何回見に来たのかわかりませんが、見飽きませんね(館内撮影禁止なので写真はありませんけどね。)。

最後に東大寺戒壇院へとやって来ました。こちらは奈良時代に造られた四天王像が現存しています。ここの四天王像も好きで、東大寺を一人で訪れた時には割と立ち寄っています(堂内は撮影不可なので写真は無し。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回は一人で訪れたのをいい事に、いろんな寺社を歩き回りました。仕事や職場でのストレスがけっこう溜まっていたので、これで少しは発散できました。


今回歩き回ったルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2025/06/08 21:58:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年05月22日 イイね!

「ラリー三河湾2025」を見物してきました(2)

2025年3月2日日曜日、愛知県蒲郡市を拠点に開催された「ラリー三河湾2025」を見物してきました。

この日は土曜日と打って変わってあいにくの天気でしたが、弟を誘ってお出かけ。まずはJR安城駅から東海道本線の電車に乗り三ヶ根駅へ。そこから徒歩でSS観戦場所となっている深溝運動公園へ向かいました。

観戦することに専念していたので、写真は無しです(笑)。ちょうどグレーチングの段差があるポイントをグランドから見下ろしていました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

トップクラスが使用している「ラリー2」車両は、ほとんど減速せずに通過していましたが、挙動が乱れることも、下回りを打つ様子も無し。「ラリー2」車両以外はほとんどの車両が減速して段差を通過していく中、ラリー専用車両としての違いを見ることができました。

SSの観戦は中盤くらいまでにして、昼のサービスへと戻ってくるラリー車を見るために再び電車に乗って三河大塚駅へ。そこから歩いてラグーナエリアにあるサービスパークへと向かいました。

まずは鎌田・松本組のシュコダ・ファビア。フロントのアンダーガードを変形させてしまったようで、メカニックさんがハンマーで「ガンガンガンガン」と耳が痛くなるような大きな音を立てながら叩いていました。それを私を含めて数人が耳を押さえながら見てました(笑)。






福永・齊田組のシュコダ・ファビア。国内ラリーだとヨコハマかダンロップを履いている車がほとんどですが、この車はミシュランを履いています。


コバライネン・北川組のトヨタ・GRヤリスRally2。


勝田・保井組のトヨタ・GRヤリスRally2。奥のテントの中では勝田範彦選手と貴元選手が話し込んでいる様子が見えました。


新井・立久井組のシュコダ・ファビア。昨日のメカニカルトラブルを修復してリスタート。すでに総合順位のポイントは期待できませんので、デイポイント狙いですね。


ファンサービス中の新井大輝選手。


奴田原・東組のトヨタ・GRヤリスRally2。




アンダーガード、大きいですよね。


各車、最後のループへと出発していきます。












最後にタクミクラフトさんがサービスを担当しているトヨタ・セリカを見物。車を見送った後も、ケータリングのご相伴に預かりつつおじゃましていました。




Posted at 2025/05/22 21:55:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー三河湾 | 日記

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「新車「エブリィワゴン」でドライブしてきました http://cvw.jp/b/1796277/48734417/
何シテル?   10/27 22:40
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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