2024年7月6日土曜日、弟の誘いで山梨県上野原市にある中央自動車道談合坂SA付近の高速道路の廃道を見に行ってきました。
当日は、豊田東ICから東海環状道に乗り、中央自動車道へと乗り継ぐルートで現地へ向かうことにしました。
さて、そのまま大月ICまで行っても良かったのですが、せっかくなので寄り道。一宮御坂ICで下りて、国道20号を走行。途中で山梨県道212号へと入り、笹子峠への旧道を登っていきます。
笹子隧道の甲州市側坑口に到着です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
笹子隧道の開通は1938年(昭和13年)。このトンネルが開通するまでは、笹子峠を自動車で越えることはできませんでした。
1938年という古い時代の開通ではありますが、甲州街道という幹線道路に造られたトンネルと考えると内径が小さいですね。幅3.0m、高さ3.3mしかありません。昔の車両が今よりも小型だったとしても、対面通行できるくらいのサイズで建設しても良かったのではと思います。
ただ、戦前に発行された「本邦道路隧道輯覧」には、有効高4.0m、有効幅員4.6mとあります。トンネルを見るとアーチ部分が二重になっており、後年に補強のためアーチ部の巻き立てを追加施工したのかもしれません。
笹子隧道の扁額。
トンネルの延長は239m。この狭さなので、反対側から車両が来ていないことを確認してからでないとトンネル内へと進入できません。
トンネルの少し手前には、旧甲州街道が県道を横断しています。
少し旧甲州街道へと入り込んでみます。
石仏がありました。
峠へと向かって、幅広な掘割道が続いていました。今回はここで引き返します。
大月市側の坑口へとやって来ました。
こちら側の坑門は西洋風なデザインとなっていて、ピラスター(壁柱)も装飾されています。開通当時も煉瓦調の色彩を施されていたのかは不明です。
大月市側の扁額。
笹子隧道の説明板。
笹子隧道はこれくらいにしまして、本来の目的地である談合坂へと向かいます。
時刻は13時過ぎ。中央自動車道談合坂SA付近の高速道路廃道に到着です。ここは廃道の東側末端部になります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
一応、高速道路らしい雰囲気が残っていますね。しかし、暑い…。
左側が高速道路の廃道、右側が高速道路の現道になります。
階段を下りて、廃道下のガードへと来ました。鬱蒼としていますね…。
「相模湖16」のプレートが付いています。
通行人がいそうな場所ではありませんが、このガードも内部はきれいです。しかも照明が点灯しています。
反対側へと出てきました。周囲に目に留まるようなものは特になかったので、すぐに引き返しました。
最初に駐車した場所から西側へと移動してきました。
跨道橋から廃道を眺めます。先ほどの場所よりも、より強く高速道路の面影が残っていますね。そして、左側を並行する道路は、高速道路の車線をそのまま転用したわけではなく、やや位置をずらして敷設されたことがわかります。
廃道の西側末端部を眺めます。廃道と現道をつなげてみると結構な急カーブになりますね。この急カーブは廃道部分が廃止された理由の一つなのかもしれません。
こちらは道路脇に残された注意看板。「この先急カーブ」とあり、東側の合流地点も急カーブだったことが窺えます。
これくらいにして、現地から引き揚げます。名神高速道路今須トンネルの廃道よりも見どころはありましたが、ワタクシ的には、特別印象に残るという場所でもなかったですかね。
それよりも、中央自動車道が通過しているルートに寄り添うように、旧甲州街道が通っていたとわかったことの方がインパクトがありました(笑)。
こちらは旧甲州街道の恋塚一里塚跡。
場所はこちら。現在の甲州街道である国道20号からは、随分とかけ離れた場所に存在しています。というか、同じ地形図内に国道20号は通っていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらは戦前発行の地形図。赤線が旧甲州街道ですが、山の中腹を縫うように通過していたことがわかります。何らかの事情があって桂川沿いを避けたのか、距離短縮のために山の中腹を通過していたのか。どういう理由だったのでしょうかね。

※25,000分の1地形図「上野原」:昭和4年(1929年)測図。
最後の寄り道は、大月市にある「日本三奇橋」の一つ「猿橋」。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この橋は「刎橋」(はねばし)と呼ばれる形式で架けられています。橋台部となる岩に穴をあけて木材を重ねるように差し込み、上の木材をよりせり出させることで、橋脚を建てることが困難な深い渓谷でも架橋することができる技術です。
現在の橋は1984年(昭和59年)に鉄骨造りで架け替えられたものですが、ネット検索すると木造時代の猿橋の写真を閲覧することができます。
こちらは、猿橋の下流側に架かる八ツ沢発電所第一号水路橋と国道20号新猿橋。
上流側に架かる旧国道の新猿橋。1934年(昭和9年)の架橋です。新猿橋が架橋されるまでは、猿橋が国道の橋としても利用され続けていたわけです。
八ツ沢発電所第一号水路橋。この水路橋は、大正期に建設された大規模な水力発電施設である八ツ沢発電所の施設群の一つとして、重要文化財に指定されています。
さらにこの場所には、旧中央本線の廃トンネルも残っています。どうやったら接近できるのか確認はしていませんが。
帰りは大月から国道139号を通り、本栖湖からは国道300号に入って身延へと出て、中部横断道・東名高速道路を通って帰宅しました。
晩御飯はお決まりの牧ノ原SAで(笑)。
