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小林あにのブログ一覧

2025年05月05日 イイね!

正月恒例の家族旅行へと出かけてきました(1)

2025年1月2日・3日の両日で正月恒例の家族旅行へと出かけてきました。目的地は香川県の小豆島。あとは流れで立ち寄る場所を決めることにします。

まあ恒例とは言いましたが、ゴールデンウィークに出かけることもあります。ただ、母も歳を取ってきてから遠方へ出かけるのが体力的につらいことが増えてきたため、長期休みでの旅行自体をしないことも増えてきました。

今回は深夜2時15分頃に自宅を出発。伊勢湾岸道・新名神・名神・新名神・山陽道と経由していきます。

山陽道山陽ICで高速を下り、ここからは下道を走行。国道2号岡山バイパスを経由して、朝7時25分、小豆島へのフェリーが出ている新岡山港に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

出航時刻まで十分余裕がありましたが、まずは車検証を持参してフェリーのチケットの購入手続きをします。以前来た時は窓口で車検証を提示して購入しましたが、ここにも自動券売機の波が押し寄せていて、自分で車検証記載の全長を確認の上、車両用と乗船用のチケットを購入しました。

その後、待つこと1時間少々。小豆島からのフェリーが到着しました。


フェリーへと乗り込んだところで、屋上を見て回ります。






新岡山港のフェリーターミナルの全景。こじんまりとした施設です。


8時40分過ぎ、フェリーは小豆島へと向かって出航します。港からしばらくの間は、餌をおねだりするカモメがフェリーにくっついてきております。




港がある児島湾を抜けると、船が行き交う瀬戸内海を横断していきます。






母も船室から屋上へと出てきて、瀬戸内海の景色を眺めています。


フェリーは1時間10分ほどで小豆島の土庄港へと入港します。ちなみに港に着いたらすぐに車で下船しなければならないので、到着時の写真はありません(笑)。

まずは土庄港から小豆島の北海岸へと向かいます。地形図内の赤線ルートですね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最初にやって来たのは、道の駅「大阪城残石記念公園」。小豆島では、江戸時代の大阪城改築時に石材を切り出して搬出していたそうです。それらに関する資料や石材業に関する資料が展示されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

展示棟の一つです。


鑿などの道具類だけでもこれだけ使い分けているとは、なかなか凄いです。




突然ですが、明治時代の古いトンネルには石積みのトンネルがあったりしますが、用いられている石材には何らかの表面加工されているケースがほとんどです。

この写真は明治30年(1897年)に竣工した豊田市の伊世賀美隧道の写真ですが、石材の表面が引っ搔き傷をつけたように処理されています。


そういった石材の加工処理のために、また数多くの道具が存在しています。


こちらは石材を運ぶための「修羅」という「そり」の一種ですね。


展示棟の外観。


道の駅に隣接する港の風景。景観を合わせるためか、防波堤に石材が使用されていますね。


こちらはより本格的な造りの「修羅」ですね。


続いては、小豆島の中央部にそびえる山々の頂上部へとやって来ました。遠くには、瀬戸内海を挟んで四国が見えています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

逆光気味で見づらいですが、長年の浸食により造られた奇岩が点在しています。この付近は「寒霞渓」と呼ばれていて、国の名勝に指定されています。




続いては島中央部の山岳地帯から島の南東部へと移動。旧苗羽小学校田浦分校へとやって来ました。ここは小豆島へ来るたびに訪れていますね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

映画「二十四の瞳」の舞台となった学校です。




校舎自体、歴史があるもので、町指定文化財となっています。


校舎内部です。






続いては、学校から少し離れた場所にある「二十四の瞳映画村」へ向かいます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

海沿いに置かれていた大きな釜。五右衛門風呂のように見えます。


こちらの「映画村」は、昭和62年(1987年)に公開された「二十四の瞳」で使用されたオープンセットを公開しているものだそうです。こちらへ入場するのは初めてです。


民家へと入ってみます。


内部は大変細かく造られていますね。ただ、右側の階段は行き止まりになっていて、元からこういった造りだったのか、階段は他のセットから持ってきたものなのかはわかりません。


食膳や食器類も時代に合わせたようなそれらしい造りです。撮影時の食材は本物だったのでしょうけどね。


旧苗羽小学校田浦分校のセット。よく似ていて、すごいものですね。






これで小豆島での予定は終了。宿泊先である高松市へと向かうことにします。

当初は土庄港から高松港へと向かうフェリーへ乗るつもりでしたが、手前の池田港からちょうど間に合いそうな時刻で出港する高松行の便があることがわかったので、急きょ乗船する港を変更。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

無事に乗船することができました。




これにて小豆島とお別れ。池田港から高松港までは約1時間の船旅です。




高松港に到着後は、ナビを頼りに宿泊先のホテルへと向かいます。

ホテルの夕食が正月料金で高かったこともあって今回は素泊まりとしたため、ホテル近くの飲食店で何か食べられればと思ったのですが、歩いていけそうなお店は正月休み…。

結局、最寄りのコンビニまで歩いて往復(ここもそこそこの距離を歩く羽目に。)して、晩御飯はコンビニ飯を食べることになりました…。
Posted at 2025/05/05 20:55:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年05月02日 イイね!

富士桜自然墓地公園へ出かけてきました

2024年12月8日日曜日、亡くなった叔父の納骨のため、叔母夫妻・姉の4人で静岡県富士宮市の富士桜自然墓地公園へ出かけてきました。

余談ですが、もともと我が小林家は、祖父が静岡県から愛知県高浜市へとやって来て、鬼瓦職人となってそのまま定住したことを由来としています。その祖父がこの公園に墓地を購入しており、すでに亡くなっている祖父・祖母をはじめ、祖父家の家族がここに納骨されております。

叔父は奥さんを病気で亡くしてから程なかったのですが、すっかり落ち込んでいて、その寂しさからか叔母夫婦や私たち姉弟に時々声をかけてきて、会食をしたりしていました。

しかし、生きる張りが無くなったためか食も細くなってしまい、体力がめっきり落ちてしまっていたところで昏倒して入院。その後に誤嚥性肺炎を併発してしまったことが死因となってしまいました。

さて、今回姉と私が付き添うことになったのは、私たちも数少なくなった小林祖父家の親族であることと、墓地が愛知県から遠方であるため運転手役をお願いされてという理由ですね(弟は仕事。)。

富士桜自然墓地公園へとやって来ました。富士山麓にある景色の良い場所です。天気が良かったので富士山もよく見えています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

事務所で納骨の手続きをして、ホールで合同での読経を受けた後、叔父の遺骨が入った骨壺を抱えて墓地へとやって来ました。広々とした斜面全体に墓碑が立ち並んでいる様はなかなか壮観です。


叔父の遺骨は係員の方の手により墓碑の下へと納骨され、手続きは無事に完了しました。

さて、お昼近くになったので食事へ行こうかという話になり、グーグルマップで調べると、墓地公園からわりと近い所に和食屋があるようなのでそちらへと移動。

山の中ですが、私はカキフライ定食をいただきました(笑)。


和食屋さんの前からの富士山の眺め。


あとはこのまま真っ直ぐ帰っても良かったのですが、「せっかくだから、ちょっとどこか寄っていこう。」という話になり、ひとまず国道139号を北上します。

休憩とお土産購入を兼ねて、道の駅「朝霧高原」へ寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「本栖湖で富士山でも見ようか。」ということで、本栖湖へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

叔母の夫は車で休憩。叔母と姉と私の三人で眺めの良い場所まで歩いて行って、景色を眺めていました。


先に叔母と姉が車へ戻っと後も、私は「山頂の雲が何とか取れないかなぁ。」としつこく眺めていましたが、結局雲が取れることはありませんでした…。




本栖湖からは国道300号へと入って富士川沿いを通る国道52号へと合流。途中から中部横断道に乗り、東名高速牧ノ原SAで弟に頼まれていた安倍川もちを購入して帰りました。
Posted at 2025/05/02 14:38:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年04月29日 イイね!

【2024年】ラリージャパンを見物してきました(2)

2024年11月24日日曜日、愛知県豊田市を拠点に開催されたラリージャパンを見物してきました。

この日は朝5時半頃に自宅を出発。新城市作手善夫にある「涼風の里」へ7時前にやって来ました。


場所はこちら。ちなみに赤線はラリーカーの移動ルートです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回、この場所で見物することに決めたのは、ラリー仲間で今回のラリージャパンへ出場するSさんから、「涼風の里が『ROUTE NOTE EXCHANGE POINTS』になっているから、この場所で見物するといいですよ。立入り規制もされないです。」と勧められたからです。

施設にはお店の方が自作されたのか、WRCを歓迎する看板が設置されていました。




7時45分頃、0号車がやって来て、「涼風の里」の駐車場に駐車していた車の運転手たちに退去を依頼して立ち去っていきました。一般車が駐車していては、競技車両の待機場所として使用できなくなりますからね。


7時59分、ヒョンデのタナク選手のi20Nラリー1ハイブリッドが「涼風の里」の前を通過していきました。ひとまず、県道35号と県道363号の交差点へと移動することにします。

続いて、同じヒョンデのヌービル選手が運転するi20Nラリー1ハイブリッドが交差点を通過していきます。


さらにトヨタGRヤリス・ラリー1ハイブリッドの勝田選手も通過。


この後、ラリーカーが来なくなったので、ふたたび「涼風の里」へ戻ってみると、後続のラリーカーが駐車していました。


フォード・プーマ・ハイブリッド・ラリー1のミュンステール・ルーカ組です。


こちらはトヨタGRヤリス・ラリー1ハイブリッドのエバンス選手。


各車、タイヤ交換とローテーションを行っています。




GRヤリス・ラリー1ハイブリッドのエンジンルーム。金色の耐熱フィルムが目立っています。


ミュンステール・ルーカ組はせわしく作業を行っています。




エバンス選手、タイヤ取り付け中。


作業中のエバンス選手へオジェ選手が何やら話しかけています。


エバンス車の車内。


エバンス選手、観客からの記念撮影に応じています。


オジェ・ランデ組もタイヤローテーション作業。


WRC2クラスに出場のシュコダ・ファビアRSラリー2に乗るグリーンスミス・アンダーソン組がやって来ました。グリーンスミス選手、体格がデカいです(笑)。


オジェ・ランデ組が「涼風の里」を出発していきます。


グリーンスミス・アンダーソン組がタイヤ作業を開始。




エバンス・マーティン組も出発していきます。


今度はトヨタGRヤリスラリー2の勝田・木村組が来ました。




コドラの木村選手、フロントグリルをめくって何やらしています。落ち葉やゴミなどが付いていたのでしょうか。




勝田・木村組はチームスタッフと会話を交わしてから、5分ほどですぐに「涼風の里」を出発してしまいました。


シュコダ・ファビアラリー2Evoの福永・齊田組が来ました。




こちらはシュコダ・ファビアRSラリー2のチウイスト・ヘラー組。


ボンネットには、日の丸・鳥居・富士山・武士と揃った日本のイメージ画が描かれています。


ボディー全体のカラーリングも、やはり日本をイメージした満開の桜の風景をあしらったものとなっています。


福永・齊田組もタイヤ作業を開始。




トヨタGRヤリスラリー2の山本・サルミネン組。山本選手は、TGR WRCチャレンジプログラムの2期生ですね。


フォード・フィエスタ・ラリー2のバシラキス・ハリーマン組。


シトロエンC3ラリー2の今井・ファーマー組。




これでラリー2車両が4台横並びに。




今井選手と山本選手、額田SSでの感想などを話していました。


県道35号と県道363号の交差点へとまた戻ってきました。トヨタGRヤリスの佐々木・内田組。


県道363号の路肩にもラリーカーが行列を成して駐車しています。


スバル・WRX S4の新井・井上組。


今回出場選手の目玉であるオリオール・ジローデ組。オリオール選手は1994年のWRCドライバーズチャンピオンですね。


全車通過を見届けて、「涼風の里」で朝食です。ここは地元の方が調理する軽食をいただくことができます。私がいただいたのは豚汁とへぼ飯。へぼ飯は、蜂と蜂の子が入った炊き込みご飯です。


さて、1回目の通過を見届けてから約4時間が経過。2周目のSSへと向かうラリーカーがようやく姿を現しました。

シトロエンC3ラリー2のグリアジン・アレクサンドロフ組。車のカラーリングは、ファンだというイニシャルDの藤原とうふ店仕様。


シュコダ・ファビアR5の新井・松尾組。確か、現在世界中で走っているシュコダ・ファビアR5の中で2番目に古い車両だとか。それでも強豪ひしめくWRC2クラスで3位に入っています。


ヒョンデのヌービル・ウィダク組。結局、ヒョンデチームは「涼風の里」では1台も停まってくれませんでした。


フォード・プーマ・ラリー1ハイブリッドのフルモー・コリア組。




エバンス選手、オジェ選手も、2周目は県道363号の路肩で停車して調整していました。




各車、SSコースが設定されている三河湖畔へと走行していきます。




シュコダ・ファビアRSラリー2のマカリアン・フルトン組。


トヨタGRヤリスラリー2のランス・サンファン組。周りでは観客がジッと視線を送っていますが、選手は意に介さずスマホを触っています(笑)。


ふたたびオリオール・ジローデ組。久しぶりのラリー出場と慣れない右ハンドル車ながら、格の違いを見せつけてJRCarクラスで優勝しました。




スバル・WRX S4の新井・井上組。


最後に、「涼風の里」にひっそりと停車していたトヨタGRヤリスGR4ラリーDATの眞貝・安藤組。



これで「ラリージャパン2024」の観戦は終了。過去2年は岐阜県恵那市岩村で見物していましたが、今回は開催スケジュールの変更により新城市作手善夫で初めて見物することとなりました。

2025年の開催スケジュールがどうなるのかはわかりませんが、新城市作手だと自宅から比較的近いので、個人的には同じパターンになると良いですね。それに「涼風の里」にはトイレがあって、軽食もありますしね(笑)。
Posted at 2025/04/29 12:50:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリージャパン | 日記
2025年04月29日 イイね!

【2024年】ラリージャパンを見物してきました(1)

2024年11月23日土曜日、愛知県豊田市を拠点に開催されたラリージャパンを見物してきました。

この日は、イベントの一つとして名鉄豊田市駅近くの歩行者天国でラリーレプリカ車の展示があり、プロトタイプのみなさんが車を展示するとのことだったので出かけた次第です。

豊田市駅前の歩行者天国へやって来ました。ラリージャパンのゲートが設置されています。


このまま展示会場へと向かい、プロトタイプのYZW店長さんやみなさんとしばし歓談。展示車も見て回ります。

Mさんのインプレッサです。左ハンドル車なので、初めは実車と勘違いして見ていた方もいるかもしれません。けっこう下回りを覗き込んでいる人たちがいましたから(笑)。


YZW店長のセリカ。


TさんのランエボⅢ。ウィンフィールドカラーなのが良いですね。


Oさんのインプレッサ。


Aさんのフォレスター。


車の展示中はすることがないので、「ラリー会場へ行ってみよう。」という話になり、豊田スタジアムへとやって来ました




ゲート前に展示されていたヒョンデのi20とトヨタのGRヤリス。




ワークスチームのドライバー・コドラたちの巨大ポスター。


私はみなさんと別れて、一人でサービスパークを見に行きます。こちらは、トヨタのVIP用ホスピタリティですね。


大相撲の会場に立てられる力士名の「のぼり」を手本にして作られたドライバー名の「のぼり」。


ヒョンデのサービスへとやって来ました。この時間、ラリーカーはすべて出払っているはずですが(それがわかっているのにやって来ました(笑)。)、人だかりができています。


覗き込んでみると、前日にアクシデントでクラッシュしたミケルセン選手の車両を修理していました。日曜日にリスタートさせるためでしょう。




Mスポーツ・フォードとトヨタのサービス。こちらは閑散としています。




ふたたびヒョンデのサービスへ戻り、しばらく修理作業を眺めていました。




さて、次はスタジアムへと向かい、展示されている昔のラリーカーを見て回ります。

三菱・ランサーエボリューションⅥ。


スバル・インプレッサWRC。


トヨタ・セリカ。




ルノー5ターボ。小型ながら、リアのマッシブさが良いですね。




アウディ・クワトロ。4WDでラリーの世界に革命を起こした車ですね。






フィアット・131アバルト。フィアットの意向により、十分な戦闘力があったランチア・ストラトスをワークスから強制引退させて、その後継として登場した車両ですね(大雑把な説明ですが。)。1977年・78年・80年にマニュファクチャラーズ・チャンピオンに輝いています。




言わずと知れたランチア・ストラトス。アリタリアカラーが映えます。




リアビューもカッコいいです。


ミニ・クーパー。説明板を見てなかったので、この名称でいいのかな?


フィアット・X1/9アバルト プロトティーポ。初めて見る車です。


スタジアム内のスーパースペシャルステージのコース。


舞台上で何かイベントをしているようですが、すごい人の数です。


カローラWRC。


ここでみんなにどこにいるのか電話をしたら、「もう車へ戻ってるよ。」とのことでした。

ふたたび展示会場へと戻ってきました。


この日は風がとても強く、しかも会場がビル街の中だったので早々に日も当たらなくなり、夕方からは寒くて仕方ありませんでした。

それでも、豊田スタジアムで夜に行われるスーパースペシャルステージの観戦に向かう人達の流れが途切れることはありませんでした。




そして展示のための道路占有の時間が終了となり、みなさんが撤収していくのをお見送り。




翌日もラリー見物のために早起きする予定なので、みなさんを見送った後は早々に電車に乗って帰宅しました。
Posted at 2025/04/29 00:05:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリージャパン | 日記
2025年04月27日 イイね!

【滋賀県東近江市】木地師発祥の地へ行ってきました

2024年11月9日土曜日、ドライブがてら母を連れて、「木地師発祥の地」とされる滋賀県東近江市君ヶ畑町へと出かけてきました。

今回出かけた理由ですが、今までに使われなくなった古い峠道の探索などをしている過程で、峠道の由来などを市町村史などで調べていくと、峠にまつわる集落の話の中でたびたび「木地師」という職業が登場するわけです。

そんな訳で、何となく興味を持つようになり、「ちょっと行ってみようかな。」と思い立った次第です。

自宅から国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、東海環状道と乗り継ぎ、終点の大安ICからは国道421号を走行して県境の石榑トンネルを通り抜けて、滋賀県東近江市にある道の駅「奥永源寺渓流の里」までやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここでひと休憩ということで昼食。親子丼をいただきました。


さて、目的地である東近江市君ヶ畑町へ向かうため、この道の駅近くの集落で国道421号から分岐する滋賀県道34号へと進みます。


二桁ナンバーの県道ながら、所々けっこう狭い道のりを進み、目的地である君ヶ畑町の入口に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは徒歩で集落へと向かいます。


こちらは集落内にある「木地師発祥地 君ヶ畑ミニ展示館」。トイレが隣接していたので、利用させていただきました。


さらにもう少しだけ歩いた場所にある「木地師のふるさと交流館」を訪れました。展示されている資料を見学したり、地元のボランティアの方から木地師の説明を受けたりしました。

建物の写真を撮り忘れたので、その代わりにもらってきたパンフレットの写真を載せておきます。能面がアップで載っているので、ちょっと「ビクッ!」としてしまいましたが(笑)。


もらったパンフレットによると、「木地師」とは、「山の木を伐採し、轆轤(ろくろ)と呼ばれる特殊な工具を使って、盆や椀、コケシなどを作る人のことを木地師といいます。また、轆轤木地師屋とも呼ばれていました。この轆轤の技術は、今から1100年以上前、惟喬親王が法華経の巻軸が回転することから轆轤を思いつかれ、その技術を人々に伝えたのが始まりといわれています。」とあります。

もう一つの伝承として、「文徳天皇の第一皇子であった惟喬親王が、貞観元年(859年)に都を離れて小椋谷(君ヶ畑町と蛭谷町がある地域。)へと逃れてきて、その後亡くなるまでの19年間を過ごした。」というものがあり、「惟喬親王が轆轤を思いつき、人々へ伝えた。」ことと合わせて、これらの伝承が木地師たちの間で広まっていき、「惟喬親王こそ木地師という職業の元祖」であり、「小椋谷は自分たちの遠い祖先の地」と認識していたそうです。

実際、愛知県北設楽郡設楽町の峠道を探索した際に、椹尾という集落跡に江戸時代の墓碑がいくつか残っていたのですが、「設楽町誌」によるとそのうちの一つが木地師である「小椋」文左衛門という方のものであり、小椋谷の「小椋」を苗字として名乗っていたことがわかります。

「木地師のふるさと交流館」では、座敷に上がってお茶をいただきながら、いろんな話を聞かせていただきましたが、話に興味がない母がいい加減飽きてきてソワソワしだしたので、残念でしたがお暇させていただきました。

交流館を出て、集落内を散策します。


こちらは金龍寺。別名「高松御所」と呼ばれるそうです。






最後に訪れたのは大皇器地祖神社。祭神は惟喬親王。全国の木地師の崇敬を集めたそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この神社は金龍寺と共に「木地師支配所」として、全国の木地師の所在地を記載した「氏子狩帳」により木地師たちを訪ねて氏子料を集金。鑑札や往来手形を交付するなどして活動の保護・統括をしていたそうです。


境内の巨木や苔むした石垣など、古い由緒を感じさせる佇まいです。




明治時代になって、土地・山林に対する所有権などの権利が明確化されたり、開発が進んだことによる木材資源の枯渇化などによって、「全国の山々を自由に渡り歩いて木工品を作り続けることができる。」という木地師の活動特権は失われていきました。

そのため、「木地師」という職業は徐々に衰退していったようです。
Posted at 2025/04/27 17:10:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「【新城市】槇原川沿いの伐木作業軌道跡を探索する(2) http://cvw.jp/b/1796277/48659559/
何シテル?   09/17 00:08
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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2025/09/25 14:32:27
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