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小林あにのブログ一覧

2024年12月30日 イイね!

越前下山駅・旧下荒井隧道・冠山トンネル

2024年7月13日土曜日、岐阜県~福井県~岐阜県と通過するルートでドライブしてきました。

自宅を出発して、新東名の豊田東ICから高速に乗り、東海環状道・東海北陸道と経由。白鳥ICからは中部縦貫道油坂道路を走行し、越美通洞(トンネル)から先は九頭竜湖沿いに国道158号を進みます。

最初に立ち寄ったのは、JR越美北線の越前下山駅。付近の国道158号を走行している時、いつも気になっていたので、今回は立ち寄ってみました。


当駅は、トンネルとトンネルに挟まれた、わずかな「明かり」区間に立地しています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

せっかくなので、駅ホームへと向かいます。


この駅の開業は昭和47年(1972年)12月15日。比較的最近の開業のため(それでも52年前ですが。)、高架化された路線のような簡素な造りのホームです。




旧国鉄駅には付き物の「名所案内」の看板。


しかし、越美北線の末端区間は一日4往復半しか列車が運行されていないので、わざわざ列車で名所案内に記載されている場所へ向かおうとする人は、ほぼいないでしょう。


越前下山駅の駅名板。


ちなみに、名所案内は錆び錆びになった古い駅名板を再利用しています。


越前下山駅の見物はこれくらいにして、移動を再開します。




昼御飯を食べるため、道の駅「越前おおの荒島の郷」へ立ち寄ります。


場所はこちら。


福井名物「ソースカツ丼」をいただきました。


さて、次に立ち寄ったのは、旧京福電鉄越前本線跡に残る旧下荒井隧道。こちらの廃トンネルも、TGRラリー恐竜勝山戦へ出場するために、付近の国道157号下荒井トンネルを通過するたび横目で気にしていた場所です(笑)。


ちなみに、この廃トンネルを含む勝山駅〜京福大野駅間は、昭和49年(1974年)8月12日に廃止されています。

場所はこちら。


トンネル坑門に掲げられている扁額。一文字目はわかりませんが、あとの文字は「〇誠一貫」でしょうか。




この廃トンネルの延長は521.4m。坑口の前にいた時点でわかっていたことですが、トンネル内の靄が濃いです…。


どうやら、内部は全面コンクリート覆工されているようです。トンネルの開通は大正13(1924)年12月20日だそうで(実は2代目トンネル。)、煉瓦造からコンクリート造へと代替わりしていく時期のものですね。


入ってきた坑口を見返しています。今は壊れてしまっていますが、元々は木製の扉を造り付けて封鎖してあったようです。


退避坑。


奥へと進むにつれて靄は薄くなってきましたが、懐中電灯で照らすとまだまだ真っ白になってしまいます。


ふたたび退避坑。


反対側の坑口付近までやって来ました。こちら側には金網が設置されていました。試しに扉を動かしてみましたが、鍵が掛かっているようで、トンネル内を引き返すことが決定しました。


進入した側の坑口に近づいてきました。坑口付近は浅く水没しています。そして、天井アーチ部分にはコンクリート打設時の型枠の跡が無数に付いています。




天井アーチ部に大きな亀裂が入り、そこから水滴がボタボタと滴っています。水没しているのは、この雨のように滴る漏水が原因でしょう。


旧下荒井隧道の探索はこれにて終了。


また機会があれば、今度は初代トンネルを探索してみたいものです。

さて、旧下荒井隧道から走行すること約44km。今回の目的地である国道417号冠山トンネルにようやく到着しました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

冠山トンネルを含む峠区間は国道417号「冠山峠道路」と呼ばれ、令和5年(2023年)11月19日に開通しました。開通したことを知ってから訪れたいと思っていましたが、岐阜県側からも福井県側からも高速道路からのアプローチ距離が長く、何となく今まで行きそびれていました。


ちなみにトンネル延長は4,834m。


冠山峠道路の開通により、国道417号の岐阜・福井県境の未開通区間が直結され、冬期通行も可能になりましたが、冠山峠道路や徳山ダム建設による新規開通区間以外では、まだまだ狭小区間や線形不良区間も残っているので、大型車の通行には厳しい部分が残されています。

この後は国道417号を南下して国道303号へと合流。東海環状道大垣神戸ICから高速道路に乗って帰宅しました。
Posted at 2024/12/30 02:02:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2024年11月29日 イイね!

中央自動車道「談合坂SA付近の廃道」へ行ってきました。

2024年7月6日土曜日、今回も弟の誘いで山梨県上野原市にある中央自動車道談合坂SA付近の高速道路の廃道を見に行ってきました。

当日は、豊田東ICから東海環状道に乗り、中央自動車道へと乗り継ぐルートで現地へ向かうことにしました。

さて、そのまま大月ICまで行っても良かったのですが、せっかくなので寄り道。一宮御坂ICで下りて、国道20号を走行。途中で山梨県道212号へと入り、笹子峠への旧道を登っていきます。

笹子隧道の甲州市側坑口に到着です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

笹子隧道の開通は1938年(昭和13年)。このトンネルが開通するまでは、笹子峠を自動車で越えることはできませんでした。


1938年という古い時代の開通ではありますが、甲州街道という幹線道路に造られたトンネルと考えると内径が小さいですね。幅3.0m、高さ3.3mしかありません。昔の車両が今よりも小型だったとしても、対面通行できるくらいのサイズで建設しても良かったのではと思います。


ただ、戦前に発行された「本邦道路隧道輯覧」には、有効高4.0m、有効幅員4.6mとあります。トンネルを見るとアーチ部分が二重になっており、後年に補強のためアーチ部の巻き立てを追加施工したのかもしれません。

笹子隧道の扁額。


トンネルの延長は239m。この狭さなので、反対側から車両が来ていないことを確認してからでないとトンネル内へと進入できません。


トンネルの少し手前には、旧甲州街道が県道を横断しています。


少し旧甲州街道へと入り込んでみます。


石仏がありました。


峠へと向かって、幅広な掘割道が続いていました。今回はここで引き返します。


大月市側の坑口へとやって来ました。


こちら側の坑門は西洋風なデザインとなっていて、ピラスター(壁柱)も装飾されています。開通当時も煉瓦調の色彩を施されていたのかは不明です。


大月市側の扁額。


笹子隧道の説明板。




笹子隧道はこれくらいにしまして、本来の目的地である談合坂へと向かいます。

時刻は13時過ぎ。中央自動車道談合坂SA付近の高速道路廃道に到着です。ここは廃道の東側末端部になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

一応、高速道路らしい雰囲気が残っていますね。しかし、暑い…。


左側が高速道路の廃道、右側が高速道路の現道になります。


階段を下りて、廃道下のガードへと来ました。鬱蒼としていますね…。


「相模湖16」のプレートが付いています。


通行人がいそうな場所ではありませんが、このガードも内部はきれいです。しかも照明が点灯しています。


反対側へと出てきました。周囲に目に留まるようなものは特になかったので、すぐに引き返しました。


最初に駐車した場所から西側へと移動してきました。


跨道橋から廃道を眺めます。先ほどの場所よりも、より強く高速道路の面影が残っていますね。そして、左側を並行する道路は、高速道路の車線をそのまま転用したわけではなく、やや位置をずらして敷設されたことがわかります。


廃道の西側末端部を眺めます。廃道と現道をつなげてみると結構な急カーブになりますね。この急カーブは廃道部分が廃止された理由の一つなのかもしれません。


こちらは道路脇に残された注意看板。「この先急カーブ」とあり、東側の合流地点も急カーブだったことが窺えます。


これくらいにして、現地から引き揚げます。名神高速道路今須トンネルの廃道よりも見どころはありましたが、ワタクシ的には、特別印象に残るという場所でもなかったですかね。

それよりも、中央自動車道が通過しているルートに寄り添うように、旧甲州街道が通っていたとわかったことの方がインパクトがありました(笑)。

こちらは旧甲州街道の恋塚一里塚跡。




場所はこちら。現在の甲州街道である国道20号からは、随分とかけ離れた場所に存在しています。というか、同じ地形図内に国道20号は通っていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは戦前発行の地形図。赤線が旧甲州街道ですが、山の中腹を縫うように通過していたことがわかります。何らかの事情があって桂川沿いを避けたのか、距離短縮のために山の中腹を通過していたのか。どういう理由だったのでしょうかね。

※25,000分の1地形図「上野原」:昭和4年(1929年)測図。

最後の寄り道は、大月市にある「日本三奇橋」の一つ「猿橋」。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この橋は「刎橋」(はねばし)と呼ばれる形式で架けられています。橋台部となる岩に穴をあけて木材を重ねるように差し込み、上の木材をよりせり出させることで、橋脚を建てることが困難な深い渓谷でも架橋することができる技術です。




現在の橋は1984年(昭和59年)に鉄骨造りで架け替えられたものですが、ネット検索すると木造時代の猿橋の写真を閲覧することができます。

こちらは、猿橋の下流側に架かる八ツ沢発電所第一号水路橋と国道20号新猿橋。


上流側に架かる旧国道の新猿橋。1934年(昭和9年)の架橋です。新猿橋が架橋されるまでは、猿橋が国道の橋としても利用され続けていたわけです。


八ツ沢発電所第一号水路橋。この水路橋は、大正期に建設された大規模な水力発電施設である八ツ沢発電所の施設群の一つとして、重要文化財に指定されています。






さらにこの場所には、旧中央本線の廃トンネルも残っています。どうやったら接近できるのか確認はしていませんが。


帰りは大月から国道139号を通り、本栖湖からは国道300号に入って身延へと出て、中部横断道・東名高速道路を通って帰宅しました。

晩御飯はお決まりの牧ノ原SAで(笑)。
Posted at 2024/11/29 00:00:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2024年11月26日 イイね!

名神高速道路「今須トンネル廃道」と関ケ原鍾乳洞

2024年6月30日日曜日、弟の誘いで岐阜県不破郡関ケ原町にある名神高速道路の廃道を見に行ってきました。

この廃道は、現在の名神高速道路今須トンネルの旧道に当たります。途中に半径280mの急カーブが存在するために、1964年(昭和39年)の開通以降、交通事故の多発地帯となっていました。1978年(昭和53年)、新たに現在の今須トンネルを経由するルートが完成したことにより廃止されました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

弟によると、今回この場所を訪れることにしたのは、YouTubeでこの廃道を紹介した動画を見て、行ってみたくなったからだそうです。

現地へとやって来ました。あいにくの雨模様ですが、散策する分には問題ないでしょう。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、現在の地形図には残存しているガードが表記されています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

盛り土部分は取り払われて、コンクリート構造物が露出した状態となっています。


車1台が通過できる程度の幅ですね。


「彦根117」のプレートが残されています。


反対側の出入口には木が茂っているので、現状、車での通行には難ありです。


こちら側にも「彦根117」のプレートが残っています。


車では反対側へと出られない状態ですが、ガードの内部は利用されているかのように、まずまずきれいな状態を保っています。


この場所から徒歩でかつての高速道路のルートをだどってみます。


坂を下った所で右折するとコンクリート擁壁があります。これも高速道路の構造物の名残りなのでしょうか。


ふたたび直進ルートへと戻り、先へと進んでいくと橋を渡ります。舗装路の左側の砂利道がある高台が、かつての高速道路になります。


これといった遺構が見当たらないまま歩を進めていくと、廃鉄道車両を見つけました。


車掌車と貨車の合造タイプですね。形式はわかりませんけど。




名神高速道路との合流地点まで来ました。結局、「彦根117」ガード以外、はっきり遺構だとわかるものは確認できませんでした。


合流地点にある現道のガードは「彦根114」。ということは、廃道区間にあった「114」から「116」のガードは撤去されたということなのでしょう。


これにて廃道区間の散策は終了。車へと戻ります。


「まだ時間も早いし、どうするかね。」ということで、同じ関ケ原町内にある「関ケ原鍾乳洞」へ行ってみることにしました。

こちらは鍾乳洞への道路の路肩に立つ「立哨台」。実は鍾乳洞がある敷地、戦前までは陸軍の火薬庫がありました。




こちらは周辺の戦前の地形図ですが、火薬庫の記載はありません。軍事施設なので、載っているはずがありませんけどね。

※25,000分の1地形図「關原」:大正9年(1920年)測図。

こちらは第5火薬庫。


表に説明板が立っています。


見学できるので中へと入ってみます。雨天のため、庫内はかすかに靄っています。


庫内に設置されている各種説明板。








火薬が保管されていた庫内を覗きます。火薬があっただけのはずですが、戦前の軍事施設だと思って見てしまうと、何とも言えない気分になります…。


外側を振り返って見ています。人が出入りした区画の壁面は白く滑らかに塗られていますが、当時のままなのか補修されたものなのか。


さて、それでは本題の鍾乳洞へと潜ります。子供の時以来ですかね。もうはっきりとは覚えていません。昔はテレビCMもやってました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここは、洞内がとにかく狭い・低いです。あとは、人工的に掘削した区間が長いみたいですね。




洞内の様子です。










外へと戻ってきました。店舗が昭和チック丸出しで、ある意味和みます(笑)。


店内で地元の方々が作っている蕎麦をいただきました。


この後は、関ケ原町からいなべ市へと抜けて伊勢湾岸道で一旦帰宅。あらためて弟と二人で行きつけの焼肉屋へ出かけて、晩御飯を食べました。


Posted at 2024/11/26 21:08:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2024年11月21日 イイね!

【2024年】「いなべ東近江ラリー」へ参戦しました

2024年6月22日・23日、三重県いなべ市・滋賀県東近江市で開催された「いなべ東近江ラリー」へ参戦してきました。今回も「JMRC中部ラリーチャレンジシリーズ」クラスへの参戦です。

今回はサービスパーク内の関係者駐車場への自家用車乗り入れがOKだったので、久しぶりに自分の車を運転してのラリー遠征です。


サービスパークとなるいなべ市大安町の「フジ技研」社員駐車場へとやって来ました。天気は曇天…。ラリーの舞台となる鈴鹿山脈にはどんよりとした雲がかかっています…。




土曜日最初のスケジュールはレッキ(下見走行)。まずは受付があるわけですが、その場で「誓約書を提出願います。」と言われて「えっ!?参加受付で出すんじゃないの?」。

この手の書類は、特別規則書やコミュニケーションではいつも回収のタイミングが明記されていないので、正直本当に困ります(笑)。特に今回のラリーはサービスパークとHQ(本部)が離れているので。もう慣れている人は最初から提出書類一式持ち歩いているみたいです。

仕方がないので、ドライバーやすい氏へ電話してサービスパークからHQまで持参してもらいました。

出だしでつまづきましたが、とにかくレッキへと向かいます。今回のSSは2本の設定。SS1「永源寺」2.11kmとSS2「石榑峠西」10.22kmです。

最初にSS2をレッキ。初めての10kmコース。国道421号石榑トンネルの旧道で、普段は利用されることのなくなった道のため、路面状況は非常に悪いです。滋賀県側から三重県側への走行。

峠にシケインがあり、ここから1kmの区間がコンクリート舗装の急な下り坂でかつ極狭。「これSSに使っていいの?」と率直に思いましたね。

SS2を2回レッキした後、続いてSS1へと向かいます。

ところで、リエゾン(移動区間)で利用する国道421号ですが、東近江市内にある永源寺ダムのダム湖沿いの区間で長らく拡幅工事をしております。ここで普段はない工事渋滞に巻き込まれてしまいます。


SSコースをレッキで走行できる時間は指定されているので、到着が遅れてしまうとコースを2周できるところ、タイムオーバーで1周しかできないこともあり得ます。だいぶヤキモキしましたが、幸いにも間に合って、2回レッキすることができました。

レッキが終わり、サービスパークへと戻ってきました。次は車検の準備です。


レッキで作成したペースノート。走る車中でノートを抱えながら作成するので、記入した文字はぐにゃぐにゃです(笑)。2周目で修正や追記をさらにしているので、お世辞にも綺麗なノートではありませんね。


今回も無事に車検通過しました。


ドライバーズブリーフィングのため、ふたたびHQへとやって来ました。HQは「FUJIHUB」というカフェ内に置かれています。翌日はここがセレモニアルスタートの場所にもなります。


ドライバーズブリーフィングでは、事務局側から「今回、初めて『永源寺』のSSを設定しました。初めて使用する区間なので、距離は2.11kmと短いものとなりましたが、実績を重ねてSS距離を5kmにまで延ばしたいと考えております。その辺りを踏まえて、みなさまご協力をよろしくお願いします。」との話がありました。「だから『永源寺』でクラッシュするなよ、わかってるな?」ということでしょう。

その他、質問した選手と回答の歯切れの悪い事務局の間で、ちょっとした問答もありましたが、取りあえずは滞りなく終了しました。

今回の宿泊先である桑名市内のビジネスホテルまでは私の車で移動。レッキで撮影した車載動画でペースノートのチェック後、ホテル内でささやかに「前夜祭」を執り行いました。


「前夜祭」終了後は部屋へと戻ってペースノートの清書。それから、SS2「石榑峠西」の過去のオンボード映像をYouTubeで探して、レーシングスピードでのペースノートの読み合わせとロストしそうな箇所のチェックを眠くなるまで繰り返ししていました。

普段はここまでしないのですが(それもどうかと言われそうですが。)、レッキをして路面や道路そのものの状態の悪さがあまりに気がかりだったのと、その状態のSSを「雨天の中」でアタックする可能性が大だったということ。そして峠から後半5kmの急な下り区間…。

翌23日日曜日。サービスパークは雨で水浸し…。劣悪な環境でのSSアタック決定です…。




それでは走行タイムと簡単なラリーの内容について。今回、私たちのクラスには11台が参戦しています。

SS1:2分09秒5(58.6km/h)。クラス4位。
クラストップから8.3秒差。
スタート直前にドライバーやすい氏が絶叫!突然、バッテリーのチェックランプが点灯したとのことで、猛然とブリッピング。爆音が轟きます。

オフィシャルに咎められはしないかとヒヤヒヤしましたが、そうなる前にランプが消灯し、ひとまず事なきを得ました。「もしかしたらSS中に止まるかもしれない。そうなったらごめんね。」と言われましたが、それはもう仕方がない(笑)。

このスタート前の出来事でSSの感想は何とも…。まあ、普通のSSでした。

SS2:12分03秒8(50.8km/h)。クラス4位。
クラストップから15.4秒差。
「このSSは無事に完走することだけ考えよう。でないと、家に帰れなくなるから。」というような会話をしたような気がします(笑)。

多分、今までのラリーの中で最高に集中してノート読んでいたと思います。本当に最後まで気が抜けないコースでした。しかもスタート時に「フィニッシュ地点でヴィヴィオがクラッシュしているから注意するように。」との指示が出てましたし。

SS中のアクシデントとしては、一つ目に峠にあるシケインでスリップして直進し、斜面へ軽く乗り上げたこと。これはすぐにバックしてラリーを再開。

二つ目はスタート時の指示にあったヴィヴィオのクラッシュ場面との遭遇。SS最後となる左ロングコーナーの入口までやって来たところ、ヴィヴィオのクルーがOKボードを持って「左へ寄れ!」とジェスチャー。

いつクラッシュした車が現れるのかと心配で「左寄り!左寄り!」と連呼してましたが、コーナー立ち上がりにあるフィニッシュラインの直後、横を向いてガードレールに突き刺さったままのヴィヴィオが突然目の前に現れ、思わず二人して声を上げてしまいました(笑)。だって、車一台分の隙間しかなかったのですから…。

前戦に続いての悪コンディションの中、今回も何とか無事に完走いたしました。今回は本当にヤバかったです(笑)。車の汚れが状況を物語ってますよ。


結果はトータルタイム14分13秒3でクラス4位。クラス3位とのタイム差は1秒でしたが、ラリー中にタイムをチェックしている余裕はありませんでしたからね。無傷でサービスパークへと戻れただけでありがたかったです(笑)。

正式結果を持っている間に、SSを4本走ってきた地方選手権組も続々とパルクフェルメへと帰還。


本降りの雨で、私たちのサービス区画は完全に水溜りの中に…。


正式結果を確認したところで現地解散となりました。


解散後、また国道421号石榑トンネルをくぐって、道の駅「奥永源寺渓流の里」へとやって来ました。


職場へのお土産としてこちらを購入。


夜はサービス員で来てくれたやまだ君をねぎらうために焼肉屋で打ち上げしました。


おまけで、SS2「石榑峠西」10.22kmのペースノートを載せておきます。興味のある方はどうぞ。表題の「SS1 永源寺」の文字を消してあるのは、レッキ用ロードブックをもらって確認したら、レッキがSS2→SS1の順だったからです。
























Posted at 2024/11/21 23:12:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 中部・近畿ラリー選手権 | 日記
2024年11月15日 イイね!

【2024年】TGRラリーチャレンジin恐竜勝山戦へ参戦しました

2024年6月16日日曜日、福井県勝山市で開催されたTGRラリーチャレンジin恐竜勝山戦へ参戦してきました。

現地へはラリー前日の6月15日土曜日に乗り入れ。ラリーのサービスパーク会場は例年どおり勝山市内のスキー場「スキージャム勝山」の駐車場。今回は昨年のTGRラリー豊田戦でラリーデビューしたやまだ・やまだ組のヴィッツも参戦です。


13時になりレッキ(下見走行)の受付開始。少しでも早く出発したい方々が長蛇の列をなしています。


このラリーは例年ほぼ同じSSコースを使用するので、昨年も参戦している私たちは昨年作成のペースノートを流用できます。早く出発したところで後ろから追い立てられたらペースノートの修正がじっくりできないので、焦らずに出発します。

ところで、今回のレッキでは珍事件が発生。国道157号とスキージャム勝山を結ぶ対向2車線の道路を移動していたところ、路肩の深い側溝にはまっている後方ナンバーのラリー車を発見。目をつぶって走行していなければ落ちるはずもないような場所だったので、二人して「???」。

そのまま雁が原スキー場跡を起点にするSSのレッキを終えて、細い道を通ってスキージャムへと向かう対向2車線の道路へと出てきたところ、その場所がちょうど脱輪現場。

おそらく、そのラリー車は一旦停止することなく2車線道路へと出てきて、曲がり切れずに側溝へと脱輪してしまったんでしょう。細い道から2車線道路へ出る時、けっこう段差がきつかったので、車が跳ねてしまったのかもしれません。でも、ロードブックをちゃんと見ていたら、交差点で一旦停止するはずなんですが…。

ちなみに、その時ドライバーとコドライバーは「OK」ボードを持って、車の横に揃って立っていました。というか、立たされたんでしょうね(笑)。

その後は参加確認と車検。当然、車検は無事に通過し、土曜日の行事はこれで終了です。


今回も宿泊先は福井駅前のビジネスホテル。そして、今年も宿泊先へと向かう前にドライバーやすい氏の要望で福井市内の模型店へ寄り道します(笑)。

そして、ホテルへチェックインしてからレッキで録画した動画を基に二人でペースノートのチェックを済ませ、「前夜祭」へと出かけます。

今回は私たちとやまだ・やまだ組の4人での「前夜祭」。昨年気に入ったお店が満席で入れなかったので、何年か前に利用した居酒屋まで足を伸ばす羽目に。そのお店で席が確保できたので、ようやく落ち着いて歓談しつつ飲食いたしました。




翌6月16日日曜日、ラリー本番。福井市内の天気は快晴。朝6時半に福井駅前のホテルを出発して勝山市内のサービスパーク会場へと向かいます。


しかし、勝山市へと近づくとドンドン雲が出てきて、スキージャム勝山の上空はすっかり曇天…。


サービス隊のツールボックスのMさんも合流し、サービスの設営をします。


曇ったり晴れたりと天気がコロコロと変わる中、開会式とドライバーズミーティング。相変わらずの盛況ぶりです。


今回のSSコースは、
SS1・4「KARIGAHARA」:1.54km。昨年から設定されたSSですが、スタート地点とフィニッシュ地点が変更され、コースも若干追加されました。
SS2・5「SKI RESORT」:1.36km。幅広の上り坂舗装路。
SS3・6「PARKING」:0.50km。恒例のスキージャム勝山の駐車場を利用したジムカーナコースのSS。
SS合計6.80kmです。

それでは走行タイムについて(ラリー内容については、あまり印象に残るような事はありませんでした。)。今回、私たちの参戦するE-4クラスは8台。そのうちGRヤリスは4台です。

例年、SSを1本走行してから勝山市役所でのセレモニアルスタートへと向かうのですが、今年は最初に勝山市役所まで移動します。

勝山市役所へ到着した頃に、ついに雨が降り始めました。コース脇に並んでいた観客達も雨に濡れないように建物の際まで下がってしまいました。


SS1:1分38秒2(56.4km/h)。クラス5位。
「E-4」のトップから8.2秒差。
昨年と変わらず落ち葉や泥などの汚れが目立つ路面コンディション。スタート直後にパイロンコースが追加されましたが、特にトラブルもなくフィニッシュ。

SS2:1分29秒0(55.0km/h)。クラス6位。
「E-4」のトップから6.0秒差。
1.5車線幅程度の道路で、急坂と連続したヘアピンカーブが特徴のコース。
どうもフィーリングが合わなかったようす。

SS3:1分02秒8(28.6km/h)。クラス6位。
「E-4」のトップから5.3秒差。
駐車場を使用したジムカーナコース。前後方向のパイロンの間隔が昨年よりも狭くなり、より細かく蛇行するコースレイアウトに。

その影響が悪い方向へと出てしまいました。低速で連続してステアリングをロック近くまで切り返すことによりパワステが効かなくなるトラブルが発生。大幅にタイムが落ちてしまいました…。

サービスインの前にリグループ。15分間の待機です。




午後のループです。

SS4:1分35秒0(58.3km/h)。クラス6位。
「E-4」のトップから3.2秒差。
SS1から3.2秒短縮。

SS5:1分26秒8(56.4km/h)。クラス6位。
「E-4」のトップから7.0秒差。
SS2から2.2秒短縮。

SS6:1分02秒6(28.7km/h)。クラス5位。
「E-4」のトップから7.0秒差。
SS2から0.2秒短縮。
SS3と同じパワステトラブルがまたも発生し、ドライバーやすい氏は必死になりながらステアリングを切り返す苦行を強いられました…。

最終結果は、トータルタイム8分14秒4で、クラス5位・総合13位でした。パワステトラブルだけが印象に残るラリーとなってしまいました。


まあ私たちにとって、今回のラリーは言わば「練習」でした。本番は次週6月22日・23日開催の中部・近畿ラリー選手権「いなべ東近江ラリー」。気持ちを切り替えて望みます。

おまけで最後の出来事。ラリーを終えて、パルクフェルメ(車両保管所)からサービスへと歩いていたところ、ドライバーでも参戦している顔見知りのオフィシャルさんから「ロードブックを見せてもらっていいですか?」と話しかけられたので、ロードブックを貸しました。

オフィシャルさん、首を傾げながら「実は『雁が原のSS(SS1・4)のパイロンコースのコマ図がきちんと載っていない。おかしい!』というクレームをもらったんです。これ、コースわかりませんでしたかね?」。

私、「いや、別にコマ図に記載が無くてもコースの全体図にちゃんとしたパイロンコース図が載っているし、オフィシャルが誘導したうえでレッキもしてるわけだから問題ないんじゃないですか。」。

オフィシャルさん、「うん、そうですよね。ありがとうございました!」。

その後、どうなったかはわかりませんが、いろいろと大変ですね…。
Posted at 2024/11/15 22:01:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | TGRラリーチャレンジ | 日記

プロフィール

「【2025年】「いなべ東近江ラリー」へ参戦しました http://cvw.jp/b/1796277/48614396/
何シテル?   08/22 23:09
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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