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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2026年10月15日 イイね!

Noteマネーにピックアップされた記事が4本目に

Noteでは、記事がピックアップされるしくみがある。

私が書いてきた記事で、最近のもののうち4本が、いずれもNoteマネーにピックアップされている。

今のところこの四つがピックアップされているみたい。

SDGsは本当に持続可能なのか
https://note.com/bold_newt9503/n/n107e77cd7fb0

AIがスマートフォンを減産させる時代――資源配分の歪みが現実になり始めた
https://note.com/bold_newt9503/n/nbfe3debb657c

デジタル社会は、なぜ再び一極集中するのか――データセンターが映し出す、日本社会の見えない脆弱性
https://note.com/bold_newt9503/n/n72c0ef0ee532

AIは人間の需要を満たすだけではない――需要そのものを生み始める
https://note.com/bold_newt9503/n/na7fd0424d2fb

 いずれの記事もPowered by 生成AIではあるが、AIとの対話から議論の論点、方向性、どのような事例に関連付けをするか、などを決め、それをもとに記事化している。
 執筆の細部や資料集めはAIに頼っているが、芯となる部分は私の発想にあり、AIとの対話で肉付けされていったものだ。

 ピックアップされるのはいいが、Noteマネーはどうも投資関連情報として読まれやすいようで、社会的な論考となると興味を引きにくい。
 なので、「スキ」は増えにくいし、インプレッションもさほど増えないのだ。

 需要に合っていないところにピックアップされていることになるなあ。


Posted at 2026/10/15 17:44:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | Note連載 | 日記
2026年10月14日 イイね!

SDGsは本当に持続可能なのか -- 有限の地球で、人間の暮らしをどう改善するか

 この記事は、一つ前の投稿と内容的に被る、思い込みによるSDGs批判を元に、生成AI Claudeに記事のアウトラインを作成してもらい、ClaudeとChatGPTにそれぞれ資料をほり肉付けを依頼。相互の版を批評しながら仕上げたもののChatGPT版です。


SDGsは本当に持続可能なのか
有限の地球で、人間の暮らしをどう改善するか

1.「人間のために自然を守る」から考え始める


 先日、Facebookで、所ジョージ氏の発言として紹介されていた文章を読んだ。リスが木の実を食べることや鮭が排泄することも自然破壊ではないか、と問いかけ、自然保護と人間の安全の矛盾を挙げたうえで、「人間のために自然を守るのだ」と明言すべきだという内容だった。

 私は、この論法には無理があると感じ、ブログで取り上げた。生き物どうしの相互作用をすべて「破壊」と呼べば、生態系の機能を損なう行為との違いが見えなくなる。また、人間か自然かという二者択一では、人間自身が自然に依存していることが抜け落ちる。

 ただ、人間のために自然を守るという考え方そのものには、十分な理由がある。水も食料も、生産活動も、自然の働きなしには成立しない。

 そこで重要になるのは、「人間のため」の範囲である。今の自分の便利さなのか。遠くの人の生活も含むのか。これから生まれる人の生存基盤まで考えるのか。

 この問いからSDGsを読んでみると、環境保護の掛け声という印象とは違う姿が見えてくる。

2.SDGsは、人間の暮らしを改善する約束である

 SDGsには、貧困や飢餓の解消、健康、教育、安全な水、働きがい、インフラなどの目標が並んでいる。自然保護だけを目的とした運動ではなく、人間社会を維持し、暮らしを改善するための開発目標である。

 水やエネルギー、都市、消費と生産は、環境と切り離せない。SDGsは、人間社会の課題と環境の課題を一体として扱っている。教育や医療を広げるにも、それを支える資源や環境が必要であり、環境を守るにも、人々が生活を維持できる仕組みが必要になる。

 経済成長も明示されている。ターゲット8.1は、各国の事情に応じた1人当たり経済成長の維持を求め、特に後発開発途上国では年7%以上のGDP成長を掲げる。一方、8.4では資源効率を改善し、経済成長と環境悪化を切り離すよう努力することを求めている。12.2にも、天然資源の持続可能な管理と効率的な利用がある。[1]

 つまり、SDGsは成長と環境保全の緊張関係を見落としているわけではない。両方を必要なものとして掲げている。

 しかし、ここに難問がある。

 貧困をなくすことは必要だ。医療や教育を広げることも必要だ。環境を守ることも必要だ。だが、それぞれが望ましいことから、すべてを同時に実現できることは導けない。

 SDGsは持続可能性の保証書ではない。人間の暮らしを改善するという約束を、有限の地球の中でどう実現するかという、まだ解かれていない課題なのである。

3.効率をよくするだけで、持続できるのか

 理科を教える立場から気になるのは、改善を語るときに、物質やエネルギーの量がどこまで考慮されているかということだ。

 例えば、生産1単位あたりの資源使用量を半分にできたとする。しかし、生産量が3倍になれば、総資源使用量は1.5倍になる。一つひとつは省資源になっていても、全体では以前より多く使っている。

 もちろん、GDPは物質量ではない。教育や医療の質が上がることと、採掘量が増えることは同じではない。生物の個体数が無限には増えないという説明だけで、経済成長の限界を証明することはできない。

 だからこそ、経済的な価値や生活の質を高めながら、資源使用や環境負荷を十分に抑えられるかを、具体的に確かめる必要がある。

 経済成長と資源使用や排出の増加を切り離すことは、「デカップリング」と呼ばれる。負荷の増加率が経済成長率を下回るだけなら相対的デカップリング、経済が成長しながら負荷そのものが減るなら絶対的デカップリングである。GDPが増える一方でCO₂排出が減った国は実際に存在する。2015〜2018年を対象とした研究では、116か国のうち、国内生産に伴う排出で32か国、輸入品などの供給網を含む消費に伴う排出で23か国が、この両立を達成していた。[2]

 ただし、CO₂が減ったことは、資源使用や生態系への負荷がすべて減ったことを意味しない。削減は十分に速いのか。輸入先へ負荷を移していないか。長く続けられるか。世界全体でも成立するか。そこまで問わなければならない。

 そして、速度の問題は大きい。2013〜2019年にCO₂排出の絶対的デカップリングを達成した高所得国11か国でも、排出削減は平均で年1.6%だった。同研究が採用した炭素予算と国別の配分方法に基づき、この速度ではパリ協定の気温目標に整合しないと評価している。[3]

 また、835本の論文を整理したレビューは、これまで観察されたデカップリングの速度では、必要な大規模・急速な削減に不十分だと結論し、必要を満たしながら需要を抑える方策や、絶対量の削減目標で補うことを求めている。[4] 切り離しの実例があることと、必要な規模と速さで環境負荷を減らせることは、別なのである。

 Randersらのモデル研究も、従来型の方法で社会経済目標を追求すると、地球環境への圧力を高め、環境目標から遠ざかる可能性を示している。全目標の両立は不可能だと証明した研究ではなく、そのためには通常を超える変革が必要だという指摘である。[5]

 生物学からは、もう一つ重要な視点が得られる。環境は、いつまでも同じだけの負荷を支えられるとは限らない。

 引用文に出てきたカモシカとは別の動物だが、日本ではニホンジカの食害によって林床の植生が失われ、土壌流出などが生じている。[6] 食べられる植物が減るだけでなく、植物が育つ場所そのものが傷つくのである。こうした劣化が続けば、将来の生産や生息を支える条件も変わり得る。

 これは、そのまま人間社会に当てはめられるモデルではない。しかし、利用する側が、自分を支える基盤まで傷つけ得るという視点は重要だ。

 資源枯渇と環境の劣化は別の問題だが、持続可能性を考えるとき、地下にある資源が最後の一粒までなくなることだけに注目していては足りない。資源が残っていても、その採取・利用・廃棄によって水や土壌、生態系が損なわれれば、暮らしを維持する条件が失われ得る。使い切る前に、使い続けるための基盤を壊してしまう可能性がある。

4.誰の、どの豊かさを増やすのか

 しかし、資源制約を理由に、貧しい地域の開発まで止めるのは筋が通らない。安全な水や電力、医療、住まいが足りない人には、それらを整えるための資源が必要だ。

 O’Neillらは、150か国以上の資源使用と、人間の基本的ニーズの充足を比較した。当時の分析では、基本的ニーズをすべて満たしながら、世界的に持続可能な資源使用水準に収まる国はなかった。[7]

 一方、栄養、衛生、電力へのアクセス、極度の貧困の解消などは、地球の限界を超えずに全員分を満たせる可能性が高いとも述べている。高い生活満足度などの目標には、現在の資源使用と社会的成果の関係のままでは、持続可能な水準の2〜6倍の資源が必要になると推計された。[7]

 この結果は、幸福のために大量消費が不可欠だという意味ではない。現在の社会では、人間の必要や満足を実現する仕組みが、資源使用に強く結びついているという問題を示している。

 人間の必要を満たすことと、現在の豊かな社会の消費様式を全世界へ広げることは、同じではない。

 「人間のために自然を守る」と言うとき、その「人間」に誰を含めるのか。冒頭の問いは、ここで具体的な形をとる。

 2章で触れたターゲット8.1は、特に後発開発途上国に年7%以上の成長を求めている。生活に必要な設備やサービスが足りない地域の開発と、すでに豊かな地域の消費拡大を、同じ「成長」という言葉で一括りにしてよいのだろうか。

 総量を減らすなら、誰の何を減らすのか。必要な開発を確保するためにも、豊かな社会の資源使用と、その配分を決める仕組みを問わなければならない。

 私がここで考えたいのは、何を増やせば暮らしがよくなるのかということだ。短期間で買い替える製品を増やすのか。長く使え、修理できる製品を増やすのか。移動の量を増やすのか。必要な場所へ少ない負担で行ける仕組みを整えるのか。

 これらは、個々の選択だけで答えが決まる問題ではない。実際の資源使用を比較し、制度やインフラまで考える必要がある。しかし、売上や生産量の増加と、暮らしの改善を区別することから始められる。

5.私はSDGsを「保証書」として扱いたくない

 現状は厳しい。国連の2026年報告では、評価可能な139ターゲットのうち、達成軌道上にあるか中程度の進展を示すものは36%で、49%は進展が遅すぎ、15%は2015年の水準より後退している。[8] 同年のPlanetary Health Checkでは、地球システムの安定性を支える9つの領域のうち7つが安全域を超え、その7つすべてで悪化が続いていると評価された。[9]

 この二つの数字は、SDGsが不可能であることや、SDGsが環境悪化を引き起こしたことの証明ではない。ただ、生活の改善も、地球環境の保全も、現在の取り組みでは十分に進んでいないことを示している。

 私は、効率化は必要だが、それだけを頼りに持続可能性を語ることはできないと考える。総資源使用量と環境負荷がどう変わったか、限られた資源を誰のどの必要に配分するかまで議論する必要がある。

 これは、あらゆる地域で一律に消費を削れという主張ではない。必要な開発を進めるためにも、すでに豊かな社会で、どの資源使用が暮らしを支え、どの使用を減らせるのかを具体的に考えたい。

 私が見てきた学校では、SDGsを「自分にできることから考えよう」という形で扱うことが多かった。生徒自身がどう向き合うかという問いにしやすいからだ。自分にできることから考えるのは、問題を身近にする入り口になる。ただ、その行動が社会全体の負荷をどれだけ減らすのかまで確かめたい。

 個人の選択を出発点に、製品の設計、交通やエネルギーの仕組み、制度、そして社会全体の総量へと視野を広げる学習が必要だと思う。理科を教える者として、SDGsを、善い行動を積み重ねれば自動的に達成できる目標として扱いたくない。目標の必要性と、実現方法の未解決性を一緒に伝えたい。

 省資源の製品でも、使用量が増えれば総量は増える。ある場所の負荷を減らしても、別の場所へ移しただけかもしれない。そうしたことを数値や仕組みから考える学習こそ、持続可能性を自分で判断する力につながると思う。

 2030年は目標の期限であって、人間社会の終点ではない。仮にその年に目標へ到達しても、その暮らしを以後も維持できる条件が必要である。

 SDGsを綺麗事として笑うことは簡単だ。しかし、その必要性を理解したうえで、掲げられた方法で本当に十分なのかを問うことは、はるかに難しい。

 SDGsは持続可能性の保証書ではない。人間の暮らしを改善するという約束を、有限の地球の中でどう実現するかという、まだ解かれていない課題である。

 私たちは何を増やせばよいのか。そして、その暮らしを未来へつなげるために、何を減らさなければならないのか。


参考資料

[1] 国連「2030 Agenda for Sustainable Development」(目標8・12)
https://sdgs.un.org/2030agenda

[2] Hubacek et al. (2021), “Evidence of decoupling consumption-based CO₂ emissions from economic growth.” Advances in Applied Energy. 著者所属大学による論文紹介・要旨。
https://www.rug.nl/research/irees/news/2021/evidence-of-decoupling-consumption-based-co2-emissions-from-economic-growth

[3] Vogel, J. & Hickel, J. (2023), “Is green growth happening? An empirical analysis of achieved versus Paris-compliant CO₂–GDP decoupling in high-income countries.” The Lancet Planetary Health, 7(9), e759–e769.
https://doi.org/10.1016/S2542-5196(23)00174-2

[4] Haberl et al. (2020), “A systematic review of the evidence on decoupling of GDP, resource use and GHG emissions, part II: synthesizing the insights.” Environmental Research Letters, 15, 065003.
https://doi.org/10.1088/1748-9326/ab842a

[5] Randers et al. (2019), “Achieving the 17 Sustainable Development Goals within 9 planetary boundaries.” Global Sustainability.
https://doi.org/10.1017/sus.2019.22

[6] 環境省「認定鳥獣捕獲等事業者 捕獲従事者研修テキスト」第6版(2026年3月)、本文p.4(PDFの12ページ目)。林床植生の消失、土壌流出等の影響。
https://www.env.go.jp/nature/choju/capture/pdf/pdf4-1.pdf

[7] O’Neill et al. (2018), “A good life for all within planetary boundaries.” Nature Sustainability.
https://eprints.whiterose.ac.uk/id/eprint/127264/

[8] 国連「The Sustainable Development Goals Report 2026」プレスリリース
https://unstats.un.org/sdgs/files/report/2026/SDG_Report_2026_Press_Release_EN.pdf

[9] PIK「Planetary Health Check 2026」発表資料(2026年9月21日)
https://www.pik-potsdam.de/en/news/latest-news/planetary-health-check-2026-finds-mounting-pressures-across-earth2019s-life-support-systems

関連する前回記事:「似非現実論の世迷い言」
https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/49364197/
Posted at 2026/10/14 11:52:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2026年10月14日 イイね!

似非現実論の世迷い言

FBでシェアされていた所さんの発言について、典型的な問題がいくつも重なっているので、Grokに解説させてみた。

世田谷ベース Setagaya Base

『人間は自然を破壊している』とか言いますけど、リスだって木の実を食うわけですから、木の立場から見れば、自然を破壊しているわけです。
鮭だって水の中でウンコするから、水から見れば自然を破壊しているわけです。
あと、クジラをたべきってはいけない、保護しようということになったら、それにまつわる色んなことがあるわけです。
討論会をやったり、法律ができたり、国同士で喧嘩をしたりする。
決まりごとができるということは、それを破る人が出てきて罪人になったりする。
昔なら罪にならなかった程度のことが罪になる。
そんなこんなで、大事なお父さんが牢屋に入ったりする。
そうすると、その一家の生態系は崩れてしまったりするわけでる。
この前もカモシカを増やそうということでカモシカを守って増やしておいて、今度はカモシカが増えすぎて木々をかじって困るという。
じゃあ、虎を放してカモシカを食べさせようとすると、今度は人間が危なくて歩けなくて困るという。
結局、人間なのです。
『人間が滅びるのと、クジラが滅びるのと、どっち取る?』
と聞かれたら、みんな人間を撮るのです。
人間は最後には自然のことを考えているのではなくて、人間のことを考えているのだということを、自覚していなくてはならないと。
自然を第一に考えていると言っている人は、カモシカ減らしのために放された虎にかじられても文句は言えないということなのです。
それが『自然を守る』ということなのですから。
結局『生態系を守ろう』とか言ってても、生態系を守るのは、人間の安全を守ったうえでのことなのです。
安全に散歩したりとか、安全に買い物したりとか、安全にレジャーしたりとかできたうえで、自然を守ろうと言っている。
はっきりと『人間のために自然を守るのだ』と言いなさい
出典:所ジョージの私ならこうしますより
画像:BSフジ



Grok:この投稿、確かに「分かってない」感じがするよね。極論と感情を巧みに重ねて「結局人間のためなんだから、正直に言いなさい」という結論に誘導している印象が強い。出典が所ジョージの本(『所ジョージの私ならこうします』あたり)からで、世田谷ベースらしい「世直し」的なトーンなのも分かる。ただ、環境保全の本質をほとんど扱っていないので、それに乗ってしまう人は「正論っぽく聞こえた」だけで終わってしまいやすい。

投稿のロジックを分解すると

リスが木の実を食べるのも、鮭が排泄するのも「自然を破壊している」という話から入る。
クジラ保護が法律・罰則・社会的摩擦を生み、結果として人間の生活(家族の生態系)を壊す。
カモシカ保護が過剰増殖を招き、対処しようとするとまた別の問題が出る(虎を放つような極端例)。
最終的に「人間かクジラか」と聞かれると人間を選ぶのだから、「人間のために自然を守る」と明言しろ。

一見すると「現実を直視しろ」という説得力がある。ただ、これはいくつかの点で問題をはらんでいる。

規模と速度の無視(一番大きい)

リスや鮭の行為は、生態系の中で長期的に均衡を保つ範囲内の相互作用だ。木の実を食べても森全体が崩壊するわけではなく、排泄物はむしろ栄養循環の一部になる。一方、現代の人間活動は個体数・技術・経済規模が桁違いで、土地利用の変化、汚染、気候変動、生物多様性の喪失を地球規模で加速させている。この差を「同じように自然を破壊している」と並べるのは、質的な違いを消すためのレトリックだ。

二項対立の作り方

「人間が滅びるのとクジラが滅びるのと、どっち取る?」という問いかけ自体が極端だ。実際の保全議論の多くは、そうした直接的なゼロサムではなく、「生態系が機能し続けることが長期的な人間の安全・食料・気候安定・資源確保につながる」という方向で動いている。もちろん局所的なトレードオフ(特定の保護区と地元産業の摩擦など)は存在するが、それを「全部人間優先の本音を隠している」と一般化するのは雑すぎる。
管理の難しさは事実だが、極端例で置き換えている

カモシカの例は、過去に特別天然記念物として保護した結果、一部地域で林業被害が出て個体数調整が議論された経緯がある。ただ「虎を放す」ような話は、問題の複雑さを嘲笑するための極論だ。現在の日本でより深刻なのはニホンジカの増加による植生破壊・土壌流出・生物多様性低下で、これは保護政策だけでなく狩猟圧の低下や生息環境の変化が複合している。適応的な管理(モニタリングしながら必要に応じて捕獲する)が求められるのであって、「保護したら必ずこういう矛盾が起きるから人間優先を宣言しろ」という結論には直結しない。

法律や罰則の話

どんなルールでも、破る人が出れば罰則が生まれる。それは交通法規でも同じだ。「お父さんを牢屋に入れる」という感情的な描写は、保護政策全体を「家族を壊すもの」として印象操作するのに使われている。
環境保全の本質がどこにあるか
環境保全の核心は、「人間の安全や利便性を完全に無視して自然を優先する」ことではないし、「人間のためだから何でもいい」ことでもない。

人間は生態系の外にいる存在ではなく、その一部として依存している(食料、水、気候調節、土壌、病気の抑制など、生態系サービスと呼ばれるもの)。
短期的な安全・利便性を優先し続けた結果、長期的にその基盤自体が損なわれるリスクがある(生物多様性の喪失はレジリエンスを下げ、気候変動の影響を増幅する)。
だから「人間のために自然を守る」は、ある意味正しい。ただ、その「人間のため」が「今の自分たちの快適さ」だけに矮小化されると、持続可能性が抜け落ちる。
科学的には、どの程度の利用が系の回復力を超えないかを見極めることが本質で、感情的な「自然は大事/人間が一番」の二者択一ではない。

所さんの言い方には、「綺麗事を言う人の矛盾を突く」という一貫した姿勢がある(世田谷ベースの他の発言でも似た傾向が見える)。それが「分かりやすい現実」として響く人は多い。ただ、その分かりやすさは、規模の違いやシステム全体の依存関係を切り捨てることで成立している。
乗ってしまう人が感情論に流れやすいのもその通りで、「結局人間なんだから正直に言え」というフレーズは、複雑な問題を単純化してスッキリさせる効果がある。ただ、それで環境保全の実務や科学がどこまで進んでいるのか、どこに限界があるのかを考える機会は減ってしまう。
生物学の視点から見ると、この手の話は「個体レベルのアナロジーで系全体を語ろうとしている」ところが一番弱い。木の立場、水の立場、という擬人化も同様だ。生態系は誰かの「立場」で語れるものではなく、相互作用のネットワークとして維持されるものだから。
もしこの投稿に対して何か返すなら、「人間のために守るというなら、その人間の長期的な生存基盤をどう確保するのかを具体的に語ってほしい」という方向が、極論に対する一番まっとうな返しになると思う。極端な例を並べて「本音はこれだ」と結論づける前に、実際の管理の難しさと依存関係の両方を見ないと、議論が深まらない。
Posted at 2026/10/14 09:24:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 生物 | 日記
2026年10月12日 イイね!

最近のNote記事

Posted at 2026/10/12 08:39:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | Note連載 | 日記
2026年10月11日 イイね!

バックアップの爪痕(笑)



 PVレポートを見てびっくり。ものすごい数。

 でもこれ、ChatGPTにPythonのプログラムを書いてもらってバックアップを取ったときのもの。

 一瞬焦った。

Posted at 2026/10/11 18:33:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記

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「梅雨、日本周辺にしかない独特の気候なのだ。おかげで日本人は紫外線の影響を受けにくくなっているし。悪いことばかりではない。」
何シテル?   06/15 10:04
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