すこし話は聞こえていたけれど、この混乱時にDHMOをネタに流す大バカものがいたのね。誰でも明らかにネタと分かる『ウ素800』とは異なる悪ふざけだ。しかも流した本人が『ネットリテラシー』云々と言って問題を充分認識していない(あるいは自己正当化している)のが気になるところだ。
【速報】DHMOが検出されたことにマジギレしてる人(@thoton)
http://togetter.com/li/115130
DHMO騒動についての批判について少し物を申してみた
http://togetter.com/li/115224
まず
DHMOについて説明が必要になる(ネットでは以前に比べてそれなりに拡散しているので、知っている方はスルーしてください)。
Wikipedia DHMOの項目が詳しいが、できればなんの先入観もなく次のページを見てほしい。
『DHMOに反対しよう』
http://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/Nis/etc/DHMO.html
どうだろう。DHMOがなんであるかすぐに見抜くことができただろうか。
自分自身もかなり前、理系生物の授業で何度か、いきなり「DHMOに反対しよう」と少々芝居がかった調子でやってみたことがある。
対象はいずれも40人程度の高校2,3年生だが、DHMOがなんであるかに短時間で気づいたのはせいぜいひとりかふたり。ほとんどはネタばらしをするまで気づかなかった。勿論、理系の化学を学んでDihydrogen Monoxideと冷静に聞けば化学式に置き換えられる生徒たちだ。能力的には問題はない。しかし、実際には害があると聞けば冷静な思考よりも感情が優先しやすいことをよく表している。
そもそも、DHMOは『人がいかに騙されやすいか』という調査のために利用されたものである。危機意識を煽り、当然多くの人が騙されやすい内容のものである。
授業で取り上げた時の生徒の親で大学教授をしている人が、「これを大学で使いたい」と言って来たほどインパクトがあるものでもあるのだ。
授業で取り上げたのは、人間の危険に対する反応の傾向を知ることや自然科学の知識の重要性を知ってもらうためであるが、当然平時だからこそ『科学リテラシー※脚注』の向上に役立つのである。
しかし、
現在のような『非常時』に、安易にこのような9割以上の人が騙される情報を、誰もが受け手となり情報の媒介となるツイッターで流せば混乱が生じることは明らかである。ジョークですまされることではない。
追記
ツイッターでは、単に水道からDHMOが検出と言っているだけで、他の危機感を煽る情報が付随しているわけではない。しかし、水道水から何が出るか分からないという危機感が充満している中でなにやら分からない物質が検出されたと聞けばパニック的な反応をする人が現れても不思議ではないし、実際に現れている。
追記終わり
どうも本人は物理を学ぶ学生らしいが、本人が属するコミュニティ内でDHMOがジョークで通じていることから安易にツイートしたらしい。それがツイッター上で広まってしまったようだ。しかし本人はそれを咎められて「ネットリテラシーのなさの問題だ」と言っているようだ。
本人に科学リテラシーはあるのかもしれない。しかし、情報の扱い方を心得ていない。情報リテラシーが不十分なのは明らかだろう(”書く”方について欠けている)。自分の身のまわりしか見えていないから視野が狭いと言ってもいい。
今回の震災では、ツイッターは有効な情報源になる一方でデマの拡散にもかなり役立ってしまっている。
私はツイッターは限られた信頼できるソースしかフォローしていないので、デマの類がどれほど流れているのかは把握していなかったが、安易に情報が拡散させられるツイッターの恐ろしさを感じたので、あえて書いておくことにした。
さまざまなデマや東電の対応などもあり、情報を見ぬく能力は重要であるが、ただ疑うだけではどうにもならない。裏打ちのための科学知識や科学を取り扱う能力は少々一般の人には荷が重いようにも感じられる。どうしたらよいのか少々頭を抱える。
騙されるヤツは情弱(情報弱者)などと切り捨てることには正直怒りを感じる。
追記
「ググればすむ」のはDHMOには通じるが、いつも情報の真偽がネットを検索して判断できるものであるとは限らない。むしろ、判断をネットの情報に依存していること自体に問題もあるだろう。私は情報の真偽の判断は「ググればすむ」という考え方にはあまり賛成できない。
ネット利用上で一般化できることは、情報の真偽が判断できず、情報ソースが曖昧なものは拡散させないこと、程度である。ネットリテラシーだけではデマや悪意による煽動、情報操作の本質的な解決にはならない。
勿論、曖昧な情報の発信者になることなどもってのほかである。
追記終わり
※注
『リテラシー』とは本来【読み書き能力】のことであるが、現在はもっと一般化されて「正しい知識で物事を取り扱う能力」といった意味合いで使われている。
高度情報化社会の情報氾濫への危機感から情報を取り扱う能力の重要性が訴えられ、教育課程への情報教育の導入にあたって「情報リテラシー」という言葉が使われて広まり、次いで理科教育の重要性を訴える文脈の中から「科学リテラシー」などと使われるようになったと記憶している。
ブログ一覧 |
ひとりごと | 日記
Posted at
2011/03/31 21:34:48