2012年12月26日
ひとりごと おでん
かつての自分は、おでんのどこが美味しいのか理解できなかった。なので、外であえておでんを買うこともなかった。コンビニにおでんを売っているのを見て、何でこんなうまくないものを売っているのだろうと不思議にすら思っていた。
しかし、自分がおでんが好きだと気付いたのは、実は割と最近のことだ。
最初に「おかしい」と思い始めたのは、大学を出てから、研究室の面々のパーティー(?)でおでんを食べたとき。実家では見たことのない具がいくつも入っていたのだ。餅を入れるなど知らなかったし、ちくわぶと言う存在自体に初めて出会った。わいわいしながら食べたおでんは美味しかった。
だが、この時はまだ今ひとつよく分からなかった。
そして決定的になったのは、ずっと時が流れ、自分の家を持ち自炊するようになってからだ。
市販のおでんセットを
「どうせ美味しいわけじゃないだろうけど、安いし簡単そうなので試しに食べてみるかな」
と思い、買って家で食べたら、美味しかった。
「何だ、おでんってうまいじゃん。知らなかった」
これが普通のおでんだとようやく理解した。
自分が実家で食べていた「おでん」と称するものは一体何だったのだろう……。美味しくなく、何か苦痛すら感じる食べ物だった。
思えば、実家で出る「鍋」を皆でつつくタイプの料理はどれも苦痛を感じていた。すき焼きなど美味しいはずなのだが、苦痛感がよみがえる。鍋に対する苦手意識が存在する。
実家では、父親が10分に一度は下らぬことで怒って母親にわめき散らし、母親が応酬して怒鳴り合う。取るに足らぬことで子供に対してわめきちらすのも日常のことだった。食事が美味しいわけがない。個別に盛られた食べ物より、一つの鍋になっている方が怒号が飛び交う確率が高かった。家族で、特に鍋物を食べるのが苦痛以外の何物でもなかった。
苦く味のしみていない大根と卵の記憶しかないおでんについては具や味付けが普通と違っていたのは確実だし、怒号の応酬の中、おののきながら食べる家族での食事自体が苦痛を伴うものであったのも、おでんのイメージをトコトン悪くしていた原因のようだ。
未だに人と鍋をするということには構えてしまう。
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Posted at
2012/12/26 21:42:13
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