2015年01月10日
研究室の同窓会
大学の研究室の同窓会に行ってきた。
教授が退官後も研究生活を続けて、現在は理研にいるというのだが、傘寿のお祝いと、本を出版されたその記念でもある。
教授は女性で、言わばリケジョの走りであるわけだ。院生時代にアメリカに留学し、アメ車を転がしていたという猛者でもある。
研究内容は常に人のやらない領域、ニッチ領域をやって来た。そのことでメジャーとは言えなくても常に第一人者であり続け、80になっても仕事があるのはそうしたニッチ領域の研究者故にお呼びがかかっているからだという。
この点は、経済などでもよく言われることで、他にコンペティターがいない特定領域ならトップを取れる。日本にも零細ながら世界的なシェアを持つ企業が多くあったりする。
ただし、いまやそうした領域の研究者が生きて行くのは困難な時代。参照されない論文を書いていたり、金にならない研究をやっていてはポジションを得ることは困難だ。若い研究者がそうした生き方をしていくのは困難であろう。
少し上の世代は、大学に正規で潜り込めば、論文を書かずとも一生安泰だった。助手のままロクに研究もせず別の活動をしているような人もいる。
時代が違うと感じるばかりだ。
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だが、ニッチでやり続けていると、例え大した才能や圧倒的な実績がなくても評価がついて来やすい。活動をマメにやっていると顔が売れてきたりする。そういうところで美人だとかイケメンだとかは、確実に得をする。
自分などは多くの領域で能力は高くても一つのことで積み上げることをしてこなかった器用貧乏で、そうした評価はついてこない。
この分野ならこの人に、ということで声がかかることは身近にはあるが、結局のところそれが外に広がったりはしない。
昔から器用貧乏を自覚していたが、能力、技術、知識、経験をもてあまし続けている。
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教育系の大学だったが、研究者になった卒業生もいる。
一方で、教員になったものも多いが、驚くような経歴の持ち主がいた。
1年後輩だが、40代前半にして教員経験はなく生物研究者から私学の理事長になっていた。
もちろん自分で学校を作ったわけではなく、家業が私学経営であって、その親が倒れたので急遽理事長になったのだとか。一方で今も特任准教授(非正規・年限付き)で研究室に籍があり、理事長職をしながら週一日東京に来て研究をやっているそうだ。
地方の私学経営は厳しく、中高一貫校であるが、市内の小中学校まわりをしたそうだ。応対するのは教頭・校長クラスで、それが生徒獲得に役立つかどうかは微妙らしいが。
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もう一人、本人曰く、親の七光りで中小企業から私学教員に変わり、親の七光りで30代後半?で教頭になったという人がいる。本人曰く「仕事が嫌いで、仕事していない」。実際にはそんな訳には行かないだろうが。
親の七光りと言えば、ほとんど大学や研究室に顔を見せず、教授になんとか卒業研究をまとめてもらって卒業できた同期が親の七光りで就職し、今は理数科主任だという。
この業界はコネの影響が大きいと聞いていたが、身近にこんなにいるとは思わなかった。
自分にはコネなんて全く縁が無い。
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Posted at
2015/01/10 22:02:20
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