小学校算数の掛け算順序問題について感想をツイッターに書いていたら、例の数学者がまた絡んできて、勝手に論争に参加していることにされて辟易した。
自分宛てでも@があるわけでも何でも無く、ハッシュタグがついているわけでもない個人のつぶやきになんでここまでこだわるのかよく分からないが、自分にはそんな論争に参加するつもりは全くない。
その数学者はこの問題にかなりこだわっているようだが、現実に小学校算数の指導書に何が書いてあるのかを把握していないらしい。件の数学者は教科書指導書は「一般の人にはアクセスできない情報」と言うが、教科書取り次ぎの書店に頼めば購入できる(いまは学校関係者以外には売らないとしているところがあるらしい。教育実習には証明が必要とも。その場合でも大学教員なら研究目的で購入は可能ではないか)。大学生協でも可能かもしれない。
指導書にアクセスできないなどと言うところを見ると、掛け算の順序を強制する行きすぎた指導が
・教員個人によるものなのか。
・研修などを通じたある程度の広がりのあるものなのか。
・教科書の指導書レベルで指導を求められているのか。
・教科書で明確に扱っていて、文科省の検定レベルでの指導なのか。
このどのレベルなのかきちんと把握できていないのかも知れない。
そもそもツイッターで拡散された一方的/一面的な情報であるのかどうかの検討はすんでいるのだろうか。
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[5×3] 「かけ算の順序」はニセ科学だと思っている人向けツアー
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121003/1349199256
このエントリーは、多くの情報を取り上げていて、【数学の常識】を算数指導にそのまま取り入れよよというような極端な議論とは一線を画している。
いろいろと参考になる。
日本語と英語では順序が逆になるが、何に何をかけたのか、という計算の意味をとらえさせることは掛け算という演算の理解には必要なものではないか。初期の概念作りのために行っていることは、数学の常識を必ずしも満たさないかも知れないが仕方が無いだろう。
掛け算の順番に意味が無いと主張する人たちは,どう指導すれば掛け算の概念を身につけさせられると想定しているのだろうか。
交換法則が成り立つことと、何に何をかけたのかを考えることは違うだろう。
6本ずつ3人に鉛筆を渡すには、鉛筆は全部で何本必要か。
計算は6×3でも3×6でも同じだが、
6本の3倍が必要だと日本語では考えるので、それをその順番で式にすれば6×3になる。それだけのことだが、日本語を元に立式するのも、日本語が複雑に成る程難しくなる。倒置法で表現されると幼い子どもは訳が分からなくなるかも知れない。【何を何倍する】という順で考えるとき、文章に出てきた順ではないことを理解してもらわなければならない。
特に計算に必要の無い情報までまぎれているときは、【何を何倍】を手がかりに考えるのは有効だろう。
記憶している式や単位を手がかりに物理量の組み立てを考えるのと同じと言えばいいのかもhしれない。
5kgは5×1000×gを表す。
注:順序が決まっているものの例示。「k」は「g」に対する接頭語であり、必ず単位の前に置くことになっている。逆に書いたり別の場所に置くことはルールとして許されない(交換してはならない)。意味としては上記の通り。5×(1000×g)と表すと、ルール込みの意味が分かりやすいか?
速さ[m/s]=加速度[m/s^2]×時間[s]は、速さは加速度に加速する時間を掛けたもの。
距離[m]=速さ[m/s]×時間[s]は、進む距離はある速さにその速度で時間をかけたもの。
F[N] = m[kg] × a[m/s^2]は ある力の大きさはある質量の物体にある加速度を加えたときのもの。
掛け算の順番を入れ替えても計算上は問題ないが、あえて式を上のような形で取り扱うことが多い。
物理では物体を中心として考えるので、質量mに対して力や加速度を加えるという発想の立式をするのだろう。
e=mc^2
有名な特殊相対性理論のこの式をあえてe=c^2×mと書くことはほとんどない。ベクトル量でも何でも無いので交換可能であるにも関わらず。
自然科学では現実を相手にし、時間はわれわれの次元では常に流れ続けるものとしてこれを基準に考えることが多い。グラフで表すときは横軸、x軸に設定するのが普通だ。
数学的にも、もともと運動計算のために運動方程式や微積分が開発されたこともあって時間軸の設定はx軸に充てることを考えるだろうが、純粋に数学として考えれば時間に相当する変数は単なるパラメーターなのでx軸にしなくても構わないだろう。式から値を導ければいいのでどこの軸に充てようが関係がないはずだ。
そもそもグラフ自体が変化等を人間に認識しやすい形にしたものであって、数学的に意味があるわけではない(図形は図形としてまた別に扱うが、視覚のない知的生命体がいたら、何か別の認知手段で同種の概念を取り扱うのだろう)。
実際の計算では順序は問わないが、頭を整理するには知っている式に当てはめるのが考えやすいし単位の組み立て順に考えるのがわかりやすい。割り算でも、たとえば速さ[m/s]=距離[m]/時間[s]は単位の組み立てそのままだ。
【何を何倍する】という指針を元に式を組み立てるのと同じだろう。
数学と物理が違うのは、数学は論理だけの世界だが、物理は現実の現象を考える。現実の世界では【何】を【どうした】というような人間の思考や扱いやすさに沿って扱うのが普通だ。
6= 1/2 ×12 と 6=12/2 は数学的には同じ意味だが、12個のものを二人で分けたと考えたときにわざわざ前者の立式をするのは思考の順に反しているし、立式の手間も計算の手間も増える。後者を考える方が自然だろう。
現実の人間の思考に順番があるのに、数学的に交換可能だから順番は無意味だという主張があるとすれば現実の人間というものを無視している。
子どもの概念形成は現実、身近なことからスタートするのは当然だ。
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おそらく、足し算に順序を強調することに意味があるとは思わないが(授業研究レベルではそう言う考えの基に実践している例があるらしいが、過剰な法則化の危惧を抱く)、掛け算では概念をはぐぐむ段階では立式の際の順序を考えることは必要に思う。
概念は少しずつ拡張するのが常道だろう。最初から何もかもは無理だ。
交換法則は後に学ぶ。生徒の理解に応じてそれをはやく扱っても構わないが、掛け算を理解していない段階でどっちでもOKと言っていては、概念ではなく単に手続きを教え込むことにならないのだろうか。もしそうならないうまいやりかたがあるのなら、是非広めるべきだ。
まあこのあたりは今始まった議論ではなく長い歴史がある。自分はあえて参加したいとは思わない。なので感想を述べるにとどめる。
掛け算の概念を身につけ、さらに交換法則を理解している者に、何の条件もつけずに順序を強制するのはおかしいとだけ言っておく。これはすべての人に共有できるだろう。
これが現場で行われているかどうかだけが問題だと思っている。
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人間、意味が分からない、自分にあてはまらない批判を知らない人間からされても、「なんのこっちゃ?」で終わってしまう。今回も全くの外野から訳の分からない人格攻撃みたいなツイートが投げられたが、まさに「なんのこっちゃ?」である。
自分にあてはまらないことを言われているなら相手しなければいい。おそらくそう言う相手とは理解し合うことは困難だ。ツイッターなら関わり合いになりたくない場合通知を止める方法やブロックという手段もある。いきなり自分宛てに罵倒するようなツイートが来たら即ブロックでも構わない。自分宛てでなければ無視すればいい。
件の数学者は私がフォローしている人がリツイートすることがあるので、関わり合いになりたくないから通知を禁止した。おかしなものが目に入るから、それを指摘したくなる。最初から目に入れなければいい。
また、ツイッターは基本的に情報収集に使っているので、自分のアクションに絡む通知はすべてオフにした。
そして、ツイッターで余計な発言をすると、変なトラブルに巻き込まれがちなので今後発言は慎もうと思う。
最近はリツイートの必要もないのではないかと思い始めている。なにしろ情報収集用の自分アカウントにフォロワーはないに等しいのだから。
記録のために「いいね」を押すぐらいだろう。
関連エントリー
https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/37253505/
追記:
算数掛け算問題の関連エントリーの中で紹介させて頂いたわさっきさんから、記事に対する突っ込みや補足等々を頂いたので、本件に関心をお持ちの方は是非ご覧頂きたい。
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20160201/1454277814