2016年01月31日
同価値観集団の攻撃性
ネットで顕著だが、同じ価値観を持った人間だけで集まって何らかの活動をしていることがある。
反原発やらネトウヨなどは、同じ価値観を持つものが集まっていて、他の価値観を持つものは最初から排除していることが多い。
多くの場合目立つ旗振り役がいて、何らかの綺麗な目的を標榜して集まるものの、同じ価値観を共有することを条件に集団を形成することがほとんどだ。その価値観を共有できないものは最初から議論をする相手と認めず排除する。その価値観は現実離れしたり荒唐無稽であることすらある。そのため、かなり特異な集団になりやすい。
彼らにとって現実はどうでもよくむしろ自分たちの価値観に対する障害と考え、これを破壊して自分たちの価値観を認めさせることが第一の目的になる。
この同質集団では、その同質性故に違う価値観への攻撃自体が目的化しやすいようだ。
わかり合うことが目的ではないので、違う価値観を持つ人と同じテーマで一緒に議論しようということは最初から考えないらしい。
多くの場合、その集団内では、価値観の違う相手について、矮小化し、本質でないことをあげつらい嘲笑するなどの、相手の否定と仲間内へのアピールが見られやすい。これは仲間意識を強める効果を持つのだろう。
実際に相手方に対するときは、相手の言うことを何らかの理由をつけ(屁理屈も含め)否定し、人格攻撃をする、劣勢になると論点をすり替え相手自身を攻撃したり、仲間に同意を求めて同意を得て安心するなど、およそ議論とはいえない状況が現出しやすい。
相手の否定、相手への攻撃自体が目的になってしまっているので、攻撃と仲間内の価値観の共有と確認を繰り返す。
最初から同じ価値観や信念を共有するものだけを認め、絶対と考える。そこには一切修正の余地を持たない。外部から信じていることが事実で無いことが示されようがそれ自体を認めない。対象を攻撃して認めさせるbことしか考えていないので、話し合いは成立しない。このあたりは宗教にも似る。
反原発の人々が、相手の言うことを理解しようとすることなく、ひたすらレッテル貼りとヘイトスピーチを繰り返すのはその典型だろう。
しかし、何も反原発だけではない。綺麗な目的を掲げながら攻撃性を持った同質集団はそこかしこに見られる。特にネットにはそう言う集団ができやすく、攻撃も安易に行われやすい。
そうした性質を持った人間にとっては、ネットはきわめて心地よい空間なのだろう。
こうした行動は、本人達が他に興味の対象を向けたり飽きるまで続くのだろう。
**
人間は、たとえ優れた人々の集まりであったとしても集団、仲間意識によっていつの間にか他の価値観の排除と攻撃が当たり前になってしまいやすいらしい。仲間への攻撃は自分への攻撃と無条件に考えやすくもなる。
閉ざされた小集団ではよりこの傾向が強まりやすいようだ。
こうした集団では、集団内でも攻撃と排除が起こりやすい。
日韓合意後のネトウヨの安倍首相への評価の転換・攻撃など、わかりやすい例と言える。人ではなく価値観の共有が仲間と認める唯一のものらしい。価値観を変えた者は当然仲間でなく、排除と攻撃の対象になる。
そんな訳で、よほど注意しないと、何らかの集団間では冷静な議論はできないらしい。
何らかの集団の中で、他の価値観を持つものをあげつらって嘲笑するのを見たら、危険信号とみた方がいいのかも知れない。
議場のヤジも同種のものだろう。
少なくともそうした行為を行うアクティブメンバーがいれば、冷静な議論の支障になるのは間違いない。
ブログ一覧 |
ひとりごと | 日記
Posted at
2016/01/31 02:01:52
今、あなたにおすすめ