2016年05月02日
似非科学批判の人たちは……
世の中には、科学のフリをして、いい加減なことをもっともらしく言いくるめて信じ込ませるような人たちがいる。それで利益を得ているような人たちもいる。
たとえば、異常に高価な浄水器を、ウォシュレットの販売台数と大腸ガン患者数の疑似相関を見せつけ、塩素やトリハロメタンのせいだと信じ込ませて売りつける類。
他にも、実際に証明されていない有用微生物(EM菌)のほとんど万能の効果を謳うものとか、まあいろいろある。
一部のサイエンス界隈の人たちの中には、手弁当でこういう似非科学を批判して戦ってきたわけだ。それはそれで非常によい活動であったと思うし、個人が搾取されるのを防いだり、税金から無用な予算が使われたり、似非科学を信じこませるような教育を止める効果があった。
そうした点は非常に評価している。
ただ、彼らが原発問題や医療に関わるととても変な話になる。
彼らはあまりにものを単純化しすぎているようなのだ。
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彼らは初期被爆問題に首を突っ込むが、はっきり言って圧倒的データ不足で初期被曝の有無を言える段階にはない。
それにもかかわらず甲状腺ガンの増加については、スクリーニング効果や過剰診断、疫学調査論文のデータ処理上の問題を取り上げ、結果として初期被曝はなかったというイメージ作りに貢献してしまっている。それが彼らの意図でなくても、全体としてそうなっている。
毎日新聞が甲状腺ガンが増えていることについて、あえてスクリーニング効果を主張する学者と初期被曝の影響であるとする学者を対立させて取り上げたことがあった。おそらく【新聞の両論併記の害】と叩くものが出てくると思っていたが案の定だった。たしかに後者の論文は不備だらけで話にならない。科学的な論文としての評価は低い。ならば新聞はスクリーニング効果だけを取り上げれば社会的使命を果たせるのか? 初期被曝とする学者の論文の不備を叩けば正しい結論を導けるのか?
そうではないだろう。圧力によって初期被曝の測定自体がほとんど行われなかった中で、放射性ヨウ素の影響がどの程度あったのかを傍証から解明していくことこそが正しい理解につながるはずだ。
単なる他人でしかない似非科学批判の人々の態度は、不安を抱える当事者の人たちにはマイナスにしか映らないだろう。
子宮頸部ワクチン問題に関しても、原因は心因性としてワクチンの副反応を認めない。ワクチンの副反応であるとしてワクチン接種をやめさせる行為が似非科学であるというわけだ。
しかし、その証明がある訳ではない。類似の神経症状はワクチン接種以前からあるが、同一であるという証明がある訳でもない。ワクチンが引き金を引いている可能性の研究は一部で行われて入るが、成果とするものがきわめて稚拙で話にならないレベルであり、さらに問題解決を遠のかせている。
ワクチンは効果対副反応の頻度や度合いの問題として考えるべき問題ではあるが、低く見積もられている副反応の中で除外されている神経症状が本当に心因性として片付けられるものだけなのか疑問が残る。
一方、ワクチン接種を引き金に起きている例が非常に多い以上、因果関係が不明でも何らかの対策が必要になるのは間違いなく、心因性であるのであれば適切な医療を受けさせることも必要であろう。結局のところ、原因を明確にすることが重要であるし、本当に心因性として片付けていいものかどうか、検証が必要なのは間違いない。
ワクチン接種後に起きたと言う明確な因果関係があり、学校に行きたくても行けないと言っているものに、似非科学比反応人たちが「あなたの症状は心因性でワクチンとは関係がない」「ワクチン接種反対は似非科学だ」と言ったところで感情を逆撫でするだけだ。実際に苦しんでいる人がいる現実を無視している。
ここでも本来全く関係のない立場でしかない似非科学批判の人々は、したり顔で当事者の心をかき乱す存在にしかなっていない。
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いずれにしても、「科学」の名の下に、関係のない人々が勝手に首を突っ込んできて、不安を抱える当事者の感情を逆撫でしている構図になっている。
科学的論法でものごとを解明した気になっているけれど、それは偏ったデータに依存している気配がある。彼らは研究者ではないので、出てきたデータや論文を吟味することしかできない。それ故に研究が行われる際に大きな淘汰圧の影響を受けうることを意識しなければならないのだが、純粋に科学の立場ではそれは意識する必要がないことでもある。
困ったことに、出てきたものを使って評論しているだけで、彼らは事実の解明には何の貢献もしていない。
かつて、道徳の教科書に載った【水からの伝言】の非科学性を訴え、一部の利益の貢献にしかなっていないニセ科学のEM菌が教育にとり入れられていることを問題として取り上げるなど、社会貢献になる活動をしてきたと言える。
しかし、それらのかなり単純な構造に対して、初期被爆問題にしても子宮頸がんワクチン問題にしても一筋縄ではいかない複雑な構造をもっているように見える。
単純な理解でスパスパと切って科学的に正しい態度と思っているのかも知れないが、物事はそう単純ではない。そもそも社会的な背景や利益と科学的正当性は全く無関係だ。
科学の立場では論文等でデータを積み上げてこそものを言えるし、それを多くの目で検討してようやく科学的にオーソライズされていく。
研究者ではない科学界隈の人間が相手にできるのは、論文などの科学的データと言説のみだ。それについてのみ科学的に正しいと言えるかの議論を行う。しかし、あくまでそれだけだ。社会的価値とか、何らかの研究の傾向の偏りなどは科学の問題ではない。
研究をされない分野などいくらでもある。特に昨今は金にならない研究に予算が付かず、放り出されている。誰かが掘り起こさレない限り、科学的事実そのものが日の目を見ることはない。
初期被爆の問題は、当初圧力をかけられたほどのことで、失われてしまった過去の事実の解明に積極的になる科学者がどれほどいるのか疑問があるし、子宮頸がんウイルスについても、ワクチン接種の医学的な利益・金銭的利益、医学界内における立場を考えれば、多くのリソースを割いて利益になるとは思えない研究をする科学者がどれほどいるのだろうか。
そういう非対称性を無視して、論文の出来などのレベルで議論をしてもおかしなことにしかならないだろう。
似非科学批判の人々には、そう言う視点が欠けているのではないか。あまりに物事を単純に考えすぎているのではないか。
某サイエンスライターの数々の世間知らずな発言に何度も呆れてきたが、そういう人が似非科学批判の先頭に立っていることと、物事をあまりに単純に考えすぎることとはきわめてリンクしていることに思えてならない。
原発事故をきっかけに、似非科学批判は単純な理解では全く及ばない世界に足を踏み入れ、科学的手法だけでこの社会の物事を語るには全く不足であることを露呈させるに至っているように見える。
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厄介なのは、全く科学を無視して感情論を元に強い態度に出ている勢力があることだ。反原発なり、反ワクチンなりの運動の中には、明らかに冷静さを欠くものが含まれる。
こうした人たちは感情的に受け入れられない対象を攻撃する。どうかすると攻撃自体が目的になっていることすらある。
さんざんその相手をしてきた似非科学批判の人々もまた、自分たちと違う立場でものを言う人を脊髄反射的に攻撃対象と見なすことが起きている。似非科学批判の人々も懲り固まってしまっていて、冷静さを失っている。
事態は彼らが扱える領域をとっくに超えているのだ。それをいつまでもサイエンスの方法論で説き伏せようというのには、かなりのおこがましさを感じる。
追記:
STAP細胞は、論文の不備があるから研究を否定されたわけではない。研究の事実そのものが捏造であるから認められなかったのだ。
子宮頸がんワクチンにしても初期被曝にしても、事実は存在するが、それにアプローチする部分に問題が生じている。研究がほとんど行われていない、稚拙すぎる、証拠が残っていないという。
なお、子宮頸がんワクチン接種後の障害は日本でだけ起きていると説明されているが、他国でも起きており、何故このような事実でない説明が行われるのか疑問がある。他国ではすべて心因性であると処理されているわけではない。
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トンデモ | 日記
Posted at
2016/05/03 14:50:15
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