以前の学校でも最近になって突然増えたし今の学校でも見かけるのが、小文字のaをアルファと書く生徒。
下が筆記体のaだが(字が汚いのはご容赦)、上のアルファを「これが私のaだ」と言うのである。
試しにアルファを書かせると、同じ文字を書く。全く区別がつかない。
英語の教員に聞いてみると、中1でちゃんと教えているのに何故かアルファと書く子が出てくるのだという。
活字体の[a]を真似た字を書いてアルファと区別がつかない字体になっている可能性があるのだが、活字体のaともまるで違う。αにしか見えない
女子に多く、かつての丸文字の様に、ファンションとしてとり入れられているのかも知れない。
文字だけに、他の文字と区別がつかないものは許容しがたい。
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生徒と同じように、αのようにかいてもアルファと区別する必要が無いなら構わないと主張する人がネットにいたのだが、年齢不詳ながら他人を片っ端から喧嘩をふっかけ、罵倒し、幼稚な論理を振り回し続けているので相手するのもばかばかしくほっておいた。ネトウヨによく似た行動様式だ。
文字の基本は何より他の文字と区別がつくことだ。区別しがたい文字はあえて区別できる様に注意を払う。
量の単位
リットルの記号は本来国際的な取り決めであるIUPACでは小文字のエルでありlと規定されているが、それでは数字の1と区別がつきがたいので大文字のLが許容されている。単位で大文字が使われるのは人名由来の場合なのだが、大文字になってしまったので
学者がジョークでリットル氏の物語を作ってしまったという話があるぐらい特別な措置だ。
単位に筆記体を使う事は許容されていないので、かつてよく使われていた筆記体の「ℓ」は許容されていない。今売られている製品や出版物ではほとんどが大文字のLでリットルを表示している。
それぐらい区別は重要だ。
大人が書いて、区別がつかなくてコミュニケーションに不都合をきたしても本人の自己責任だが、さすがに教育段階ではそうも行かない。他人に消去法で解読させなくてはならない様なことを放置するわけにも行かないので区別がつく文字を書く様に言っておいた。
ネットにはこう言うことを必要もないことを押しつける「強制」と言って非難する人間がそこそこいるらしい。
自分の考え方こそが正しい、現実世界とのすりあわせは必要が無いと思っているらしい。
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たとえば、小学生の算数では、4という数を扱うときは4と表記するよう指導しているらしい。4.0が筆算で出てきてしまったら4に直して扱う。
分数でも分母と分子が同じになったら整数に直す。4/4という表記も当然あるが、まずは割り算ととらえて割り切れれば整数として取り扱う。このときわざわざ4.0とかと書く意味はどこにも無い。割りきれる数は整数であるから、整数を小数点をつけて無意味なゼロをつける理由はないのである。
これは一般的な数学での数値の表記でもあるし、世間一般での表記の原則でもある。
理系で数学以外の人間にとって、
2.5
+ 1.5
-------
4.0
ではなく
2.5
+ 1.5
-------
4
とやられるとぎょっとするが、そもそもこの演算で与えられている数値に有効数字としての意味があるかどうか不明なので4.0が正しいと主張することは間違っている。
しかし、数学では原則として4で表記する。もちろん前後にゼロをつけても同じ意味だが、ふつうあえてやることはしない。 ゼロをつける理由が数学には存在しないからだ。
数学的には000004も4も4.0000も等価だが、普通は見やすく、無駄のない4と書き表す。
しかし、実験系では測定精度を桁数で表す有効数字という概念であつかう。このため、
1.000
を
1とか1.0とかと表記すると測定精度が本来より低いものとして受け取られる。ゼロに意味を持たせているのである。
もちろん電卓は勝手にゼロを省略するし、エクセルも明示的に桁数を表示するように指示しない限りゼロを省略するのがデフォルトになっている。
一般の人間にとって最もなじみのあるあらわし方だ。
小学校での表記は、原則小数点以下の末尾のゼロは表記しない。1は小数ではなく整数だからだ。数学の標準的な表記に合わせているし、社会一般での表記でもあるからともいえる。
ここであえて4.00などと表記することは、有効数字としての意味があるかのようにも見えてしまう。
例え数学的に正しくとも、現実の生活の中で不都合をきたす様な表記は避ける指導が望ましい。4.0と書いても×ではないが、誤解を受けることを伝えておくべきだろう。
数学的な正しさを言うなら、2進数を1と0であらわしたときの100(いちぜろぜろ)も4と等価だが、もちろんこんな表記を断りもなく使えば100と誤解される。
数学的正しさが、かならずしも生活の中でも問題ないとは限らないので、すこし制約する指導をしておいた方がいい。
特に小数点以下のゼロは有効数字の扱いと重なるので有効数字を扱うまでは避けた方が望ましいだろう。
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小学生にも数学的に正しいものは無条件にすべて認めるべきだという数学概念絶対主義者がそこそこ見られるが、小学校は社会生活を学ぶ場でもある。
数学的な正しさを認めた上で、生活の上で誤解が無い表記を身につけさせる意味が無いとは全く思わない。
数学好きの人間の中に、現実とのすりあわせは不要、自分の論理さえ正しければ問題が無いという人間が時々おり、その人間が身勝手な行動を取り、他人を傷つけたり嘘を平気でついたり、迷惑をかけたりすることをたびたび見てきた。
そう言う人間だからこそ純粋数学という論理のみの世界に浸りたがり、現実の方を批判すると言うことがおこりやすいのかも知れない。
思いこみやバイアスで批判していることすら見られる。
そういう人には社会生活を学ぶ場でもある小学校教育は理解できないことだろう。小学校教育は生活、身近なことからスタートする。いきなり60進法を学ぶのも時計を読めるようにするためだ。
掛け算順序問題が変な話になりやすいのは、純粋数学に浸りたがる人々のメンタリティも関係しているのかも知れない。
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Posted at
2016/11/23 08:58:00