2018年07月29日
MtFを嫌う心理
以前、性自認が女性であり、女装をし、女性として暮らしているMtF(男性から女性へのトランスジェンダー)が就職してきた会社の上司の書き込みを見たことがある。
とにかく女性のフリをした男性であることが許せないらしい。
スカートの下にふと見える下着に膨らみを見て憤ってみたり。(なんでそんなに観察しているんだ)
これは、女性は自分にとって生殖可能な存在でなければならないという、まあ本能みたいなものだろう。
現実に何かするかどうかは置いておいて、いざことに及んでも、絶対に子供が出来ない訳だから、そういう偽物を排除したいという心理が働くらしい。
これはほとんど無意識に起こることだから、差別するなと言うのは、きちんと物事を理解し、よほど理性的に物事をとらえて処理できるようにならない限り難しいのかも知れない。
本当は、単に人間の一人としてとらえればいいのだが。
自分の知る限り、女性は割とトランスジェンダーに寛容な傾向を感じる。そういう男子学生が女子学生となじんでいることはよくある。女性はコミュニケーションに重きを置く傾向が強く、性的対象としてとらえる頻度が低いことが効いているのかも知れない。
それに対して、男性はトランスジェンダーであっても生物学的女性を女性としてしか見ない傾向が強いように感じるがどうだろうか。男性はまさしく性欲の生き物であるし。そう言う意味では性転換済みのトランスジェンダーは、どちらの性であっても受け入れがたいのかも知れない。
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LGBとTは違うと一部の人達は主張しているようだが、Tは病気で、LGBは趣味であるからと思っているらしい。
これは誤解も甚だしい。
性的志向と性自認は別のもので、恋愛対象が異性であるか同性であるか、場合によって両方かというのは、単なる趣味の問題ではない。もちろん、文化的に同性と交わるようなことが推奨されたりと言うことがあっても、性的志向それとは別のものだ。
同性しか愛せないヒトに異性を愛せというのは無理だ。
なかには無性愛の人もいる。だれも性的対象として見ることができないと言う人だ。この人に無理矢理愛せと強制しても、真に愛することは出来ないだろう。
微妙な人、なんらかの理由があって感情がロックされている人は、きっかけによって異性を愛することが出来るかも知れないが。
思春期あたりは性対象が定まっておらず、同性を愛してしまうようなケースもあるだろう。
知り合いの中には、それまで異性愛に何の疑問もなかったのに、なぜか特定の同性を愛してしまった人もいた。
人間の性対象はかなり複雑で、単に趣味の問題などととらえてはいけないのだ。
トランスジェンダーだと、性自認は女性で性対象も女性という人は多いようだ。
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何にしろ、実際に存在する多様な人を、何らかの基準で色分けして苦しめるような扱いは、同じ人として許されるものではない。
中には、差別者を糾弾することが差別だと言って、差別をすることの免罪を図ろうと詭弁を弄するものもいる。
他人を苦しめる人間には相応の制裁が科されてしかるべきだろう。差別主義者は能動的に他人を苦しめているのだから。
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Posted at
2018/07/29 14:59:59
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