「レオン」は好きな映画だけれど、殺し屋稼業の話で人がバンバン殺されることには大きなショックがあったし、中年男が少女を保護することは、当時も気になっていた。もう25年も前の映画なのか。
1988~89年に青年期を過ごした自分はどうしても埼玉幼女連続誘拐殺人事件の衝撃と、その後のロリコン・オタクバッシングが刻まれているし、独身男性と少女の組み合わせは無条件に禁忌と言っていいものになってしまったことも背景にあるかも知れない。
レオンは引き取りたくて引き取ったわけではなく、不幸な背景を持ち観葉植物にのみ心を開くレオンが、頼る相手もない不幸なマチルダにほだされて面倒を見るようになり、結果命を失ってしまうストーリーが胸に迫ることは不変なのだけれど。
正直言えば、レオンはマチルダに依存されなければ少なくともああした形で命を失うこともなく、マチルダは疫病神だったと言える。それでも守るものを得たレオンは幸せを感じたのだろう。そう思うからこそ揺り動かされるものがあるのだろう。
しかし、やはり現代的な視点ではどうしても少女への虐待や搾取と重ねられやすい。
大和和紀の「はいからさんが通る」単行本に収録されていた短編「杏奈と祭りばやし」も同じような問題をはらむ。
復員兵で、知的障害のある「おじさん」が、当時多かった戦争孤児の女の子と偶然出会い、引き取り育てていく話だが、純粋すぎるおじさんが自己犠牲を貫き、言わば命と引き替えにその子を育て幸せを願いつつ亡くなってしまうストーリーはやはり締め付けられる。超人気作単行本収録作だけに認知度が高く、ネットをググっても好意的な感想が多く見つかる。
しかしこれも中年男が不幸な少女を保護し育てる設定が今では問題となりそうだし、知的障害者の性欲処理問題なども一般に知られるようになっていて、なかなか難しい設定と言わざるを得ない。
短編や脚本を書いたことがある人間としては、「不幸な子供」「少女」「自己犠牲」「愛」「死」は、人、生物が本能的にもっている保護欲求をくすぐり、自分の生を意味のあるものと信じたい人間の琴線に響きやすい要素だとわかっているし、小ずるい計算の元にできているお話だと思ってしまう部分もなくはない。
独身男性が少女を引き取る話と言えば「アルプスの少女ハイジ」もあった。気むずかし屋の老人が、元気で無邪気、愛くるしい少女に心を開くストーリーで、美しい愛の形ととらえて受け入れている。これは肉親であるから物語の受け手は肉欲問題を度外視しやすいのだろう。
しかし、現実は厳しく、人間は欲求を原動力に生きているから、肉親でさえ多くの事件が起きている。愛情が欲求を超えるかどうかは疑わしく思っているのかも知れない。
だからこそ人は虚構に即物的欲求を超えた愛情を求めて感動したいのだろうな。
リメイクしようと思ってもレオンの設定が現代では難しいにしろ、人々が理想と現実のギャップに悩まされている限り、自己犠牲を伴う無償の愛の物語は受け入れられるのだろう。
追記:
アルムおんじは元傭兵だとか。
不幸や厳しい過去を背景にもつ男性がやがて愛情を開放するストーリーは数多あり、「ハイジ」も「レオン」も「杏奈と祭りばやし」もそのバリエーションの一つと言うことになるようだ。
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2019/06/02 12:16:05