原発周辺、長期間住めないと判断…首相陳謝へ
福島原発
政府は20日、東京電力福島第一原子力発電所事故で高濃度の放射性物質に汚染された周辺の一部地域について、長期間にわたって居住が困難になると判断し、警戒区域を解除せず、立ち入り禁止措置を継続する方針を固めた。
数十年続くとの見方も出ている。菅首相が地元自治体に直接説明し、避難の長期化を陳謝する方向で検討している。具体的な地域は、福島県双葉、大熊両町の原発3キロ・メートル圏内などを念頭に精査する。
政府は4月、原発20キロ圏内を原則として立ち入りを禁じる警戒区域に設定。来年1月中旬までに原子炉が安定的に停止する「冷温停止状態」を達成し、警戒区域を解除する方針を示してきた。
しかし、文部科学省が原発20キロ圏内の警戒区域内で事故発生後の1年間で浴びる放射線の積算量を推計したところ、大熊、双葉両町を中心とする35地点で、計画的避難区域などの指定の目安となる年間20ミリ・シーベルトを大きく超えた。原発から西南西に3キロ離れた大熊町小入野では508・1ミリ・シーベルト、同町夫沢でも393・7ミリ・シーベルトと、高い推計値を示した。
(2011年8月21日03時01分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110820-OYT1T00928.htm?from=tw
事故直後、菅首相が「10年住めないのか20年住めないのか」と発言したとされてひどく問題になったことをご記憶と思う。
私は次のように書いた。
2011年04月13日
高濃度汚染地域は、残念ながら、当分人は住めません
(中略)
原発周辺「20年住めない」=菅首相が発言、その後否定
時事通信 4月13日(水)15時51分配信
菅直人首相は13日、松本健一内閣官房参与と首相官邸で会い、福島第1原発から半径30キロ圏内などの地域について「そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」との認識を示した。松本氏が会談後に明らかにしたものだが、首相は同日夜、「私が言ったわけではない」と記者団に語った。
松本氏によると、同氏は首相に対し、避難生活を強いられている周辺住民の移住先について、福島県の内陸部に5万~10万人規模の環境に配慮したエコタウンをつくることを提案。首相は賛意を示し、「中心部はドイツの田園都市などをモデルにしながら、再建を考えていかなければならない」と語った。
ただ、松本氏はその後、「20年住めない」との発言について、「私の発言だ。首相は私と同じように臆測(認識)しているかもしれないが、首相は言っていないということだ」と記者団に釈明した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110413-00000089-jij-pol
この記事や、これに関するツイートで、あたかも「20年間住めない」と発言したことがいけないことであるかのように扱われているようだ。
高濃度汚染地域がそう簡単に解決するとでも思っているのだろうか。当分人は住むことができないからこそその地域から退避させる必要があるのだ。現状を把握したうえでの計画避難判断のはずで、こんなことを軽々に言えるわけがない。
以前の菅首相の「東日本がつぶれるというようなことも想定しなければならない。そういうことに対する危機感が非常に薄い。」と発言したことについても非難があったようだし、どこかの新聞記者が担当者への個人的な発言であるにもかかわらず「潰れるとは具体的にどのようなことなのか説明すべきだ」と記者会見で詰め寄ったのも見たが、ピントがずれていると思った。
原発の件では危機意識がないからこそ、このブログでも地震直後から言ってきたように、東電は当初から後手後手に周り、事態が悪くなってからその場しのぎのような対応を続けてきた。最悪の想定をすべきなのは当然なのだが、それを非難したり問題視したりすることが多いのは理解に苦しむ。
こういうのも「正常性バイアス」の一種だろう。「また元に戻れる」「大したことではない」というバイアスがあるのではないか。原発や放射線というものに対する意識が低すぎる。それだけ危険なものを誘致した人たちはお金と何を引き替えにしたのか。
問題を完全にとらえ間違っている新聞記者は、平和ボケで揚げ足とりしかできていないと言われても仕方がない。ジャーナリストを名乗って欲しくないものだ。
記者会見を見ていると、このような問題の本質とかけ離れた質問は時々ある。そういう記者を抱えるデスクはどういう心境でいるのか聞いてみたいものだ。
https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/22065263/
所詮政局や感情で菅首相を叩いていただけだったわけだ。
事故直後であろうが何だろうが、どう考えたって高濃度汚染地域には人が簡単に戻ることはできないのはわかりきっていた。ガラガラポンしてこそ可能な新しい仕組みの街づくり:エコタウンの件も含めてきわめて正しい見解の元の発言であるが、それらを自己の目的のためにすべて否定した政敵や記者、それに乗って菅叩きに乗った連中の浅はかさが明確になったと思う。
そうした攻撃を続けてきたことでどれだけ物事が進まなかったか検証すべきだろう。
震災以来ずっと感じ続けてきたのが「馬鹿も休み休み言え」。ほんと、少しは休んでほしい。
Posted at 2011/08/21 11:18:45 | |
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放射性物質・放射線 | 日記